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なぜ人形はしゃべらないのか?

日 時:2023年10月28日(土)10:00〜11:30

場 所:飯山総合学習センター

参 加 者:5名(小学校低学年)

ファシリテーター:杉原・内藤・小西


テーマ:「なぜ人形はしゃべらないのか」

▼なぜ人形はしゃべらないのか

▼「人間しゃべる」と「ぬいぐるみのしゃべる」はどう違うのか

▼気持ち(こころ)が有るものと無いものはどう分けられるか




「例年と比べて今年は暖かい」と言われていたけれど、この日は朝から少しだけひんやりとしていた。開講時刻の30分前に男の子が一番のりでやってきた。半袖半ズボン。「今日、〇〇って来るん?」「みんな、はよ来んかな」と、心待ちにしている様子が微笑ましい。


今回のテーマはあらかじめ決まっていた。「神と悪はどちらがつよいのだろうか」だ。先月同テーマで対話をした際おおいに盛り上がり、「もう一回やりたい」と子供たちにせがまれたのだ。ところが、ぞろぞろと集まり始めた子どもたちに「前回どんな話をしたんだっけ」と聞くと「え、なんだったっけ」「神と悪だよ」「あーそうだった、そうだった」と、どこ吹く風。若干の肩透かしをくらった私たちは、少し考えてから、別のテーマを選ぶことに決めた。そんなわけで、集まってくれた低学年の子どもたち5人で、今回のテーマを考えるところからスタートです。






テーマ選び

「今日みんなと一緒に考えたいことを1つか2つ出してください。どんなお題でも大丈夫だけれど、1時間みんなと一緒に考えたいと思えるようなお題を考えてね」ファシリテーターが問いかけます。

すぐにペンを走らせる子、じっくりと考え込む子、書いては消して...を繰り返す子。それぞれの仕方でアイディアを出します。その後、投票によって、「なぜ人形はしゃべらないのか」というテーマに決定。


こどもてつがくスタート

太文字はファシリテーターの発言


《なぜ人形はしゃべらないのか》


まずは子どもたちの考えを順々に伺っていきます。

「生きてないから」

「人形の仕組みがそうなってないから」

「生き物はしゃべるけど、生き物じゃなかったらしゃべらないから」

「中身は綿だから」

“人形はしゃべらない”という点において、おおよそ子どもたちの意見はまとまっていました。


そこでファシリテーターが、子どもたちに問いかけます。

「生きていないからって皆言ってたよね?それじゃあ生きていないことと喋らないことって、どう関係しているんだろう」


しばらく沈黙が流れます。少ししてより具体的な質問を子どもたちに投げかけます。

「生きてたら、絶対しゃべるってこと?」

「んー、あんまり喋らない子もいる」

「不自由な人もいる」

「それじゃあ人形は、不自由にしゃべれないだけってことはありえない?」

「ありえない。だって(中身は)綿ばっかりだし」

「じゃあ私たちの中には何があるの?」

「肉とか心」

「人間には心があって、ぬいぐるみにはないの?」

「ない」


ここまでは人形の仕組みに関する話題でした。「人形がしゃべれないのは、発話を可能にする仕組みが人形に欠けているから」という点で、子どもたちの考えは概ね一致しているようす。


そんな中、こんな意見が出てきます。

「え………でも……心があってもしゃべるかどうかはわからない」

「あ、チャッキーは喋れる。チャッキーは動けるでしょ?」

「動くぬいぐるみはある。でもメカニック」


「んー、じゃあ『メカニックなぬいぐるみの喋る』と『わたしたちの喋る』は同じ?違う?」

「違う」

「どう違うの?」

「うーん……」

「人形は同じ言葉をずっとしゃべる。一定の言葉しか喋らない」



《人間と人形はどう違うのか》


この辺りから、人間と人形を比べながら、喋るとはどういうことなのかという論点が共有され始めます。

「同じ言葉とか一定の言葉ってのすごい気になるんだけど。うーん、ってことは人は一定の言葉とか同じ言葉は喋ってないってこと?」

「…喋る…ときもある」

「喋れるときもある?今気になっているのは『喋れる人形と喋れる私たちってどう違うんだろう』ってことだったね。そういえば、しゃべれる人形って持ってる?」


子どもたちは、自分たちが持っている人形やキャラクターの目覚まし時計を思い浮かべながら、自分の考えを話してくれます。ここまでの対話では、なかなか声を上げづらかった子も、自分の持っている人形のこととなるとより積極的に話してくれるようになりました。

議論や対話が抽象的になっていくと、なかなか理解しづらくなるのは大人も同じです。そんな中、抽象的な議論を意識的に具体化させることで、全員のイメージを擦り合わせたり、話に入れていない人の考えに耳を傾けることができますが、ここでも子どもたちのそのような様子が伺えたことは良かったと思います。


「人形が一緒にいてくれたら安心する」

「人間でも安心する」

「人間だったら心があるけど。その言葉を、自分の気持ちを喋らないと相手はわかんないけど、人形は、(言葉がなくても)相手の気持ちがちょっと分かってる(と思う)」


「なんでそう思うんだろう。これが不思議だよね」

「長いこと一緒にいるから」

「長いこと一緒にいるとなんでそう思うようになるんだろう」

「長いこと一緒にいると、気持ちがわかるようになってくる」

「友達は、ふざけながら話を聞くことがあるけど、人形はじっと聞いてくれるから」


人が人形に向かって話をしているとき、「人形が」話を聞いてくれていると感じる。そこに人形の主体があるのなら、そこに気持ちがあってもおかしくないかもしれない。私もだんだんそんなふうに感じ始めました。


そこから論点は、次のような変遷をたどりました。

・喋るとはどういうことか。発話するという意味だけなのか。(→喋らなくても何かを伝えることは可能か。)

・気持ちが通じると感じるのはなぜか。

・「気持ちがあるもの」と「気持ちがないもの」の違いは何か。


おわりに


興味深かったのは、今回のテーマである「なぜ人形はしゃべらないのか」という問いに対して、はじめは、ほとんどの子どもたちは(それぞれの表現で)「生きていないから」と答えてくれました。しかし、対話が進むうちに「人形には気持ちがあるかもしれない」という考えも出てきました。生きていない人形はずのにも気持ちがあるかもしれない。これはいったいどういうことでしょうか。

不思議な論理が浮かび上がったタイミングで、終了の時間となりました。「生きていること」と「気持ちがあること」、「喋ること」はどう繋がるのか。子どもたちの考えが気になります。名残惜しいですが、今回のこどもてつがくはここまでです。

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