ゲームのあれこれいろいろ


 はーい、テツガク肯定です。

 
 今日はテキトウに。
 ゲームについて、あれこれいろいろな心情を書き残しておこうと思います。
 大きく分けて5つくらいでしょうか。
 本当は、もっと前に書き残す予定でしたが……忘れていました。

 そんな私にやる気を思い出せてくれたゲーム。
 それが、『原神』です。

 凄いです、このゲーム。
 これまでの私達とゲームの距離感や在り方。
 そういうのを全て変えてしまいそうな。
 そんな印象のゲームです、個人的には。


 さて、前置きはこのあたりで、トタン屋根に。
 ここから先は、批判のような批評のような。
 よくわからない意見が続くと思いますが。
 それが、私なりの真っ直ぐな好意的な声です。
 ちょっと変だと思いますが。
 それでは……。


 1、ゲームの『まち』について。

 『原神』をプレイしながら気づいた。
 RPGゲームにおける『まち』の存在。
 ただ、建物があって、人がいて、料理が買えるだけでは。
 『まち』とは思えない、古き呪縛に囚われた私がいて。


 2、ゲームの『自由度』について。

 最近、よく顔を出す『自由度』。
 それは、自由を連呼すれば、いいわけではないのが。
 とても厄介で。
 とりあえず、三つほど選択肢が欲しい。
 だけど、それってよく考えたら、自由じゃないのかな?


 3、ゲームの『マップ』について。

 『原神』をプレイして、思い出した。
 『デジモンワールド』のマップの不思議さ。
 初代よりも後の2作の方が、圧倒的に広いのに。
 印象の濃さは、初代には敵わない。
 その理由が、幽かに見えた気がした。
 あれは、繋ぎ目が残っていても許された。
 そんな時代だからできた、奇跡だったのかも。


 4、ゲームと私達

 『原神』の登場。
 ここから、ゲームと私達の距離感が変わりそうな。
 そんな予感を幽かに感じている、私。
 満足感はお金でしか買えない、と思っていましたが。
 これからは、違うのかもしれません。


 5、プレイ時間と満足感

 8000円の壁を乗り越え、買ったソフト。
 そこから、クリアまでのプレイ時間。
 それらを合わせて、どれくらい満足感が得られるのか。
 それを吟味すると、ゲームは映画よりもリスキー。
 だから、そのバランスが大切だと改めて気づいて。
 

 

1、ゲームの『まち』について。



 『原神』を遊ばせて頂き。
 驚きました、モンド城から広がる、その世界の広さに。
 広い世界に飛び込んだら、そこには何が待っているのか。
 ワクワクと期待感が止まりません。
 実際、歩いていれば、いろんな発見があります。
 魔物の集落があったり、動物がいたり、宝箱を見つけたり。
 食材や素材に財宝を集めながら歩くのが楽しくて。
 話を進めて、早く次の未開の地へ行きたくなります。
 
 そして、私の目と耳に飛び込んだ名詞。
 『清泉町』という名前。
 西洋的な世界の中に、迷い込んでしまった町名に。
 私の期待値は最高潮。
 そのまま、そこへ向い、到着した瞬間。
 察してしまいました、ああ、そういう『まち』ね。

 ここで、ゲームにおける『まち』の個人的な定義。
 それを明かしておきます。
 私にとって、『まち』とは、何かが買えるお店。
 あるいは、何かができる施設がある。(回復ができる宿屋など)
 それが、条件になっていました。

 きっと、最初に遊んだ『テイルズシリーズ』の印象なんでしょうね。
 それが、しっかり今も焼きついているので。
 建物と人がいるだけでは……『まち』とは思えない自分がいて。
 どこか張りぼてに感じてしまって。
 ちょっと、さめてしまったり。

 すみません。一応、買い物はできます。
 清泉町で一番の食事処で自慢の料理を。
 それが、回復アイテムですが……。
 なんか違うんですよね……。

 『キャラバンストーリーズ』のマップもそうでした。
 美しい世界に感動して、エルフ領の森で建物を見つけた時。
 気分は最高潮、近づけば一瞬で急降下。
 
 『まち』とは。
 お店の外見があって、何かを買ったり、何かできないと。
 『まち』ではない、という古臭い定義の呪縛。
 それが、解ける日はくるのだろうか……なんて思いながらも。

 新しい場所で、新しい選択ができるかもしれない。
 その期待感も、ゲームの面白さの一つだったのかもしれない。
 そんなことを気づかせてくれたのが、新しい世代のゲーム達で。
 だけど、もう『まち』の役割は、今では重要ではないのかもしれない、とも気づきました。

 セーブをする拠点もいりませんし。
 回復も料理や魔法でなんとかなりますし。
 武器などのアイテムも……多くても仕方ないですからね。
 
 


2、ゲームの『自由度』について。



 『原神』の序盤では、『自由』という単語を耳にし目にします。
 ですが、肝心の私には自由度、それが欠片も感じられず。
 何かを間違ってしまったのかもしれませんが……。
 ひたすら、言われるがままに、任務をこなして条件をクリアしていきました。

 最近、よく顔を出す、厄介なこの『自由度』という単語。
 自由を連呼すれば、成り立つわけではないこと。
 それが、最も厄介だと思います。
 
 もちろん、ある程度は制限も必要です。

 例えば、ドラゴンを助ける。
 これが、一つの大きな制限だとします。
 目的という制限です。

 そこに、どうやって助けるか。
 手段という制限も必要になります。

 単身、拠点に乗り込む。(まあ、それは無理だろうけど。ゲームが上手ければ救出できるかもね)
 各地を旅して、仲間を集めて乗り込む。(時間はかかるだろうけど、誰でもできそうだね)
 関係のない任務で得た情報から裏口を知り。そこから、乗り込む。(おい、それは反則じゃないか!)

 力で突破、王道で突破、抜け道で突破。
 だいたい、三つくらい選択肢があれば。
 自由度を感じるのかもしれません。

 まだ、私は遊んだことがありませんが。
 『ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド』は、そんな感じだと聞いています。
 4つの神殿を突破して、集めた力があればクリアできるかもしれない。
 だけど、それがなくても、自分の力があればクリアできるかもしれない。
 もしくは、神殿を1つ突破して、自信がついたらクリアできるかもしれない。

 個人的には、そういう選択肢に。
 不思議と自由度を感じてしまいます。
 本来は、選択肢も何もないのが自由で。
 
 ですから、ある意味では、指示通り動き回るのは。
 一切の選択肢がないのですから。
 それが、究極の自由なのかもしれません。

 だけど、私は。
 『デジモンワールド』のようなゲーム。
 そこに、自由度を感じてしまいます。
 
 目的は繁栄度を上げるだけ。
 基本的に順番もなく、仲間にしたい順に声をかけてもいい。
 その面倒臭さに耐えられるのなら。

 あのゲームのシステムは。
 かなり完成された、自由度を感じてしまう。
 そんなゲームだったな、と思い出しました。(個人的に)

 最後に、いいわけをさせてください。
 『原神』は自由度を売りにはしていないはずです。
 そもそも、一本道の方がわかりやすく。
 誰もが楽しめるのですから。
 これが王道です。

 実は、この話は。
 もっと前に書き残す予定でしたが。
 忘れていて、『原神』をプレイして思い出したので。
 今になりました。

 『原神』は面白いです。

 
  

3、ゲームの『マップ』について。



 これも『原神』は関係ないのですが。
 『原神』をプレイして思い出しました。

 ゲームの『マップ』の広さ。
 それから、満足感、ワクワク感です。

 先ほど触れた、『デジモンワールド』で。
 不思議に思うことがありました。
 なぜか、初代のマップの方が満足感が高い、ということです。

 その後の『リ・デジタイズ』や『next 0rder』の方が。
 単純なマップの広さは広いはずです。
 ですが、なぜか満足感が薄く。
 ずっと、不思議に思っていました。

 そして、最近気づきました。
 広さも大事だけど、濃さも大切だったと。
 
 例えば、初代のマップが。
 30×30の正方形だったとして。
 後の2作が、その正方形を6~9持っていたとします。

 明らかに、後の2作の方が広いです。
 ただ、問題はそのマップの使い方です。
 6つの正方形を。
 1は森、2は砂漠、3は海、4が雪山、5が工場、6が神殿。
 という感じに使っていたら。
 その印象は、薄く感じる気がします。

 一方で、初代は一つの正方形に全てを詰め込みます。
 30×30の90面だとしたら、90枚の写真があって。
 移動するたびに、それが切り替わっていく。
 プレイヤーは、凄く面倒臭いかもしれませんが。
 それが、印象を濃くしている気がします。

 今のようにシームレス、繋ぎ目をなくせなかった時代。
 砂漠から突然雪原という、へんちくりんな繋ぎ目が残っている。
 そんなマップの方が、個人的には面白く、印象も濃く残る気がします。
 
 ちょっと不確かですが。
 初代のマップに、森は三つくらいあります。
 迷わずの森、トロピカジャングル、ミスティツリーズ。
 そのどれもが、違う顔を持っています。
 迷わずが一般的な森だとしたら。
 トロピカルは南国の密林、ミスティは深い霧の樹海。
 
 それをただのマップの1番、森エリア。
 そこへ、詰め込む必要がなく。
 バラバラに、とんでもない繋ぎ方で繋がっていて。
 森から山を登って、サバンナに出たら、一瞬湿地があって、今度は樹海。
 サバンナの先に工場があって、荒野の入り口に貴族の館があって。
 もう、そんな感じです。

 ジェットコースターみたいで。
 次に移動した先で、どんな景色が待っているのか。
 全く想像できなくて、わからない感じ。
 それは、今の繋ぎ目がないマップでは難しいというか。
 できないわけではないのですが、なんともですね……。

 砂漠のど真ん中に。
 雪原があって、自動販売機がある。
 だけど、それが遠くから見えてしまったら……。

 とかいいながら。
 『原神』では、それに近いワクワク感がありました。
 遠くから、あれ、あそこに見える、変なの何? と見つける度、楽しいです。
 
 ただ、それが全てのゲームでできるか、といえば、難しそうですね。
 広くなったマップに、細かく何かを作っていくなんて……。
 限られたゲームにしかできない気がします。

 それに、違いを見いだせないと。
 森は森でしょ、じゃなくて。
 森にもいろいろあるね、山もいろいろだね。
 そんな違いが表れていた方が……面白い気がします。

 ああ、初代『デジモンワールド』。
 ホント、凄いよ。
 何で迷わずの森なのに迷宮みたいなのさ。

 もちろん、『リ・デジタイズ』や『next 0rder』。
 それらの世界観も好きですが。
 想像も予想もできない、あの世界は初代で。
 そんなマップを歩きたい、と思う私がいて。


4、ゲームと私達



 一番、最初に触れた。
 『原神』がゲームと私達の距離感や在り方。
 それを変えてしまいそうだと感じました。

 今まで、ゲームは。
 私達がお金を払って、遊ぶもの。
 そう思ってきました。

 事実、私には。
 10年以上前からある、無料ゲームでは物足りず。
 そこにある違いは、お金が分けていた。
 そう考えてきました。

 ところが。
 この『原神』には、確かな満足感があります。
 
 対人ゲームのように。
 友達と交流して得る満足感や。
 勝利を共感する、という満足感ではなくて。

 一人で物語を楽しんで。
 未開の地を歩き、何かを見つける。
 全て、自分一人でも得られる満足感。

 私にとってゲームの究極の満足感。
 それが、これだと思います。

 もちろん。
 ゲーム会社の利益となる要素もあります。
 冒険する仲間を集めるには課金が必要だったり。
 いい武器を手に入れるには課金が必要だったり。
 天空紀行というバトルパスにも課金が必要で。

 ただ、少ない仲間でも構わない、と思えば。
 今のところ、無課金でも遊べます。
 しかし、物語を進めても、仲間が増えないのであれば。
 そこに課金したくなる欲求は高まるでしょう。

 1でも話したように。
 PRGの古き呪縛というヤツです。
 新しい仲間が増える、それも楽しみの一つ。
 実際、無料で仲間が増えた時は嬉しかったです。

 そういう部分に課金要素を入れながら。
 基本的な部分は無料で遊べる。
 そういう在り方は、対人ゲームにはありました。
 ですが、このジャンルにまで来るとは……。
 
 私には想像もできず、本当に驚きでした。
 縮まったゲームとの距離感に。
 そして、今後は。
 この在り方が、一般的になるのかもしれない。
 そう、幽かに思っていたり。


5、プレイ時間と満足感



 ゲーム買う前にそびえ立つ、だいたい8000円という壁。
 時給800円の仕事を12時間くらいして。
 やっと、買える。

 そこから、ゲームクリアまでのプレイ時間。
 気持ちよく、50時間プレイして、クリアできたら。
 購入まで含めた60時間も報われますが。
 
 25時間、理不尽なやり直しで。
 不機嫌になりながら、クリアしたら。
 あの40時間は何だったのか、と思ったり。

 一枚、2000円のチケットで。
 3時間の映画を観ることより。
 ゲームはリスキーです。

 そして、そんなリスクを犯してくれるほど。
 これからの人には、余裕はないのでしょう。
 効率重視、問答無用で要らない物は斬り捨てる。

 そう考えたら、入り口の8000円。
 その先のプレイ時間と得られる満足感。
 それを見直す必要があるような気もします。

 少なくとも、私は見直しました。
 一回のプレイにかかる時間と。
 それで、自分がどれほど満足するのか。

 それを考えた時に、選んだのが。
 『モンスターハンターワールド』でした。

 プケプケなどなら。
 どんなに運が悪くても、10~20分以内に収まって。
 狩をしたぞ、という満足感もありました。

 これが、30~40分では。 
 とても、ひと狩りいこうぜ、とはなりません。
 決戦へ備えよ、です。

 8000円のゲームにせよ。
 基本無料のゲームにせよ。
 プレイする時間と得られる満足感。
 
 それらの関係性は、大切な気がします。
 そして、その関係性までも。
 今のところ、しっかりしているのが『原神』の凄さで。
 継続しやすいプレイ時間と満足感まであって。
 RPGで継続して遊べそうなタイトルというのは……私は初めてです。

 まるで、初代のようなマップの『デジモンワールド』。
 それが、今のシステムで。
 毎日変わるデイリー任務やフィールド上のランダムイベント。
 それらがあれば、私は継続して遊ぶであろう育成RPGですが。
 
 それは……ちょっとね。

 あっ、もちろん、継続して遊べる事が全てではありません。
 一度きりのゲームだって最高です。


最後に

 
 いろいろ、書きましたが。
 『原神』をプレイしながら。
 けっこう、これが大きな分岐点かもしれない、と幽かに思っています。
 
 そして、いろいろ思うことを思い出し。
 それを書き残しておきたいと思いました。

 いつか、初代『デジモンワールド』のように。
 想像つかない、デジタルとアナログが混じった自由過ぎる世界。
 そこを、『next 0rder』のシステムで遊べたら。

 もう、初代と『リ・デジタイズ』と『next 0rder』。
 それらのマップをごちゃ混ぜに滅茶苦茶に。
 繋ぎ目を残しながら繋いで。
 そこに生活しているデジモンがいれば、完璧かもしれません。

 歩いていたらランダムイベントが発生したり。
 毎日変わる、デイリークエストがあったり。

 そんな継続して、遊びに行きたくなる、デジモンの世界。
 端末はかなり進化したのに、どんどん遠くなっていくのだから。
 不思議な距離感にある、世界だと勝手に思っています。

 アグモン、ガブモン。
 元気ですか?
 

 

 それでは、また次の機会にお会いしましょう。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?