私にとってメタルギアはゲームではなかった



 はーい、テツガク肯定です。

 私が初めて遊んだメタルギアシリーズは。
 『メタルギアソリッド2 サンズ・オブ・リバティ』でした。

 このタイトルをプレイする前の私は。
 64でゼルダの伝説、マリオ、PS1で牧場物語。
 これらのゲームしか遊んでいませんでした。

 そんな私にとって。
 このMGS2は本格的ゲームで。
 かなり高難易度に感じたタイトルでした。


 ゲームの中で実銃を撃つ。
 だなんて経験に痺れてしまって。
 爆薬マシマシのハリウッド映画の如く、やたら滅多にぶっ放していました。

 ……正直に告白します。

 こわかったんです。

 見つかったら、警戒態勢になる緊張感が。
 初めての感覚だったので。
 見つかる前に見つかってしまえ、と。

 見つからないよーに。

 だなんて、今では思えます。
 他のゲームでも見つからないよーに。
 ……あ、見つかったか。
 まあ、大丈夫、だなんて思えますが。

 あの時は、見つかってはいけない、という具合でした。

 それくらい忠実に役目を演じていました。


 ただ、すみません。
 すぐに、雷電さんを見てこう思いました。

 お前、スネークじゃないだろう!
 凄くかっこいい、爽やかなイケメンだけど。
 むしろ、イケメンだから違う。
 絶対スネークじゃない!

 この時の私は、PS1のMGSを遊んでいませんでしたが。
 当時の同級生に友達から聞いた情報と偉く違ったんです。
 もしかしたら、イメージチェンジという可能性だってあったのですが。
 そう自分に言い聞かせも、すぐに違うと思いました。

 なんか違う、と思いながら。
 雷電という謎のキャラクターを操作し。
 ボスを倒し、問題を解決していく中で。
 そういう違和感はどうでもよくなりました。

 結末に近づく頃には、私の中で雷電が大きな存在に変わり。
 クリアした時は、雷電さんを操作できてよかった。
 このゲームをクリアできてよかった、と。


 その後、かなりしてから(2011年から2013年頃)。
 博識な友達がメタルギアシリーズに触れたという話を聞きました。
 彼はPS1のMGSをクリアしてから、PS2のMGS2をクリアしたようで。

 1の話の再現に見せかけた仕掛けがいいよね、とか言っていました。(かなり鋭い)

 確かに、1をプレイしてから2をやると。

 え、また同じ事?
 ……あまりに同じ過ぎない?
 …………そういう事かよ……。

 となるのでしょう。
 一応、簡単に説明しますと。
 2で起きた全ての事は1の再現で。
 壮大なVR訓練、映画『スティング』のペテン。

 つまり、似ていて当然。
 そっくり1をなぞる事に意味を与えたのが2。

 そう今の私は解釈しています。


 それで、あの時(2011年から2013年)、博識な友達は気づいていたと思いますが。
 私はこのゲームの結末を見たままの映像でしか理解していませんでした。
 それは、別に悪い事ではなく、このゲームをクリアした私には違うITがあった。
 そういう事です。

 あの時の違うITを信じている私には。
 このゲームのラストで、雷電さんが自分のドッグタグ?
 それを「知らない名前だ」と言って投げ棄てるのが不思議に思えました。
 正直に言えば、雷電さんが嘘つきに思えました。

 いや、知らなくはないでしょ、と。

 それでも何周かすれば、幽かにそういう事ではない。
 そう気づきました。
 これから、新しい世界へ進むんだな、と。
 ……それでも、結局は『雷電』なんですが。



 それで、私が理解していなかったというのは――。
 私はこれをゲームの結末だと思っていたんです。
 ラストの映像を、ゲームの結末だと。

 今(2024年)から5年ほど前の私もITを信じていたからです。
 ですが、今では『ブラックホーク・ダウン』って映画の。
 エヴァーズマン軍曹の台詞が過ります。

 この前 ブラックバーンに聞かれた
 ”何が変わった? なぜ撤退する?”
 ”何も変わらない”と答えたがそうじゃない
 すべてが変わった

 何も答えられなかったが――
 今は”違う”と言える

 先ほども言いましたが。
 このゲームは1をなぞる事に意味がありました。
 1の成功体験? とにかく、1での出来事に近い事。
 それを成し遂げさせる事で、強い遺伝子を残せる。

 そして、それはゲームに限らない。
 この世界こそMGS2のようなVR訓練。
 人は過去の誰かの前例をなぞり、今、決められていく。

 少なくとも、今の私にとってはそう。
 かつての私はこう信じていました。
 自分達は物語とは違うゲンジツという謎の概念に生きている……らしい。

 限りがあって、思い通りにならず。
 しなければならない事がある。
 他にもいろいろ……。

 そういうゲンジツに生きていると。
 なぜなら、そう誰かに教え説かれたからです。
 博識な友達は私に言いました。

 フィクションとゲンジツは違う。
 フィクションなら何をやっても許される。
 表現の自由だ。

 もし、あの結末を理解して言ったとしたら。
 凄まじい悪意ですが、こうも言いますね。
 地獄への道は善意で舗装されていて。
 故郷への切符は悪意で印刷されている。

 つまり、博識な友達はITなど信じていなかった。
 それで、ITを信じる私を小馬鹿にするように。
 そう言っていた……。

 もしかして、立場が違ったら私がする事?
 いいえ、私なら伝えようとするでしょう。
 ITはただのピエロだと。

 博識な友達がどういう意図で。

 フィクションとゲンジツは違う。
 フィクションなら何をやっても許される。
 表現の自由だ。

 これらの言葉を常に連呼していたのか。
 いまだにわかりませんが。
 結局、友達が並べた言葉は一般論に過ぎない。

 どっかで見聞きした言葉を。
 ただ漠然と私の前で披露している。

 このゲームのラストでスネークさんも仰っていましたが。

 お前は雷電という記憶
 役割を背負わされて来た

 それが本当かどうかは問題じゃない

 この世に完全なるリアリティ
 なんて存在しない

 ゲンジツと呼ばれるものの多くは
 フィクションで成り立っている

 目で見たものも 脳がゲンジツと
 感じた『ゲンジツ』でしかない

 今では少し違うと思います。
 人は目で見たものすら信じない。
 ITはフィクションだから違うと。

 心が信じているもの。
 ITが浮かんで見えるけど。
 心がITを信じている事に気づけなければ。
 フィクションだと沈めてしまう。

 そんな具合に今では思えます。
 きっと、この国の全ての人がMGS2をプレイしたわけではありません。
 そして、その中でクリアまでして、ラストの動画を観て。
 それを心に止める人の数は――数の問題ではありません。

 スネークさんが仰るように記憶です。
 人は過去の誰かの記憶という役割を背負わされますが。
 同時に、未来の誰かの記憶が伝わるものです。

 64にPS1でのゲーム経験が薄い私が、大きな挑戦として選んだタイトル。
 無事、クリアし、何周もしてベリーハードか何かもクリアして。
 無限バンダナにステルス迷彩まで手に入れた。

 そして、遠い昔に遊んだ記憶を。
 今も忘れず、ラストも心のどこかにしまっておいた。
 ゲーム中の無線も。
 雷電さんとローズさん、二人でキングコングを観た。朝まで……。
 という具合の台詞。

 そういう今が昔、あの当時の私にも伝わっていた。
 そのタイトルをやっておくべきだと。
 そして、今の私にも、今は昔の未来にある誰かからの記憶が伝わっている。

 信じたいITを信じるべきだ。
 誰かがフィクションだと言っても。
 素直に信じたいのなら、新しいITを信じるべきだ。

 もう、その世界は君の世界じゃない。
 知らない世界だろう?
 それとも、まだ信じたい世界か?
 覚えておきたい世界か?
 本当に君に関係のある全てか?
 最初から知ってただろう?
 デスペラードよ。

 きっと、私の心は最初から知っていたんだと思います。
 このゲームを初めて遊んだ頃に観た映画。
 メン・イン・ブラックシリーズ。
 その2作目のラストにあるロッカーの場面を観てから。

 部活帰りの夜空を見上げて。
 ふと、こんな事を思いました。

 21世紀体験ツアーはいかがでしたか?

 そう起こされるのではないかと。
 どこか遠くの今から。
 かつてを知りたくて昔に潜った。
 確かに思える今は、そういう夢のようなもの。

 今でもそう思いますし。
 むしろ、あの時よりも確かに思えてきました。
 そこから何百年、何千年、何万年と経っているのは問題ですがね。
 吸血鬼の執念はあまりに永過ぎます。


 ただ、そんな事よりも。
 不思議と大切に思えるものを掴んでいる。
 掴むチャンスが何度もあった。
 そう、今、振り返ると思います。

 MGS2にメン・イン・ブラック。
 これらは、あの時に掴んだ。
 マトリックスシリーズはチャンスはあったけど。
 あの時は掴めず、最近掴んだ。

 偶然にしては出来過ぎた必然。

 過去の記憶と未来の記憶が。
 私に何かを伝えようとしている。

 おそらく、スネークさんが仰るこれでしょう。

 誰も自分が何者であるか
 なんて答えられないさ

 いいか言葉を信じるな
 言葉の持つ意味を信じるんだ

 自分の名前など 自分で決めればいい
 自分の進む道も…

 結局、答えられないものを決めて伝えろ、と。
 言葉の意味ではなく、言葉に込められていてほしい、誰かの想い。
 ITが伝染したような気がします。

 MGSについては、何回か雑談でも語りましたが。
 私にとって、このシリーズはただのゲームではなかったんです。
 正確には『メタルギアソリッド2 サンズ・オブ・リバティ』と。
 『メタルギア・ソリッド4・ガンズ・オブ・ザ・パトリオット』が。

 それで、PWにVは普通のゲームになってしまったのが。
 あまりに残念過ぎました。

 そりゃ、無理ですよね。
 クリア直前に今までサポートしてくれた大佐が。
 突然、変な事を言い出すゲームです。
 ゲーム機の電源を切るんだ、とか。

 さすがに、騙されませんでしたが。
 もしかして、バグったのか、と心配になりました。
 全裸の雷電さんを操作する事になりましたし。
 何かを間違えたのか、と。

 ただ、今にして思えば――。
 今、確かだと信じている全ても。
 実は、あの大佐と同じだと7割ほど思っています。今では。

 正しく言えばこうですね。

 今は確かに思える全てを信じたくはない。

 その全てがペニーワイズに思える。
 嫌なものを見せたいだけのピエロに思える。

 そうなると、ITを信じる理由がない。

 この先、私がどうなるのか。
 自分でも全く予想できません。
 望み通り、信じたい新しいITを確かにできるのか。
 今までと変わらず、信じたくもないIT。
 もう、今では信じてもいないITの中で朽ちていくのか。

 ただ、一つ言えるのは。
 どちらにせよ、MGS2にMGS4は。
 私の中では信じたいホンモノである。

 これまでも、この先でも。

 ただのゲームではない。
 確かに、あまりに動画が多いゲームですが。
 それでも、確かに思える全てよりも信じたいもの。

 ゲームはゲーム性やシステムが全てや!
 みたいな事を聞いてきましたが。
 そんなもの、数年で時代遅れになる。
 十年先、残るのは今日焼いたサンマの骨。 

 私にはMGS2とMGS4、それからOPSの骨が。
 今も残っているようです。
 それが、『SUPER LOVE』。


 いくら、誰かがゲームだから電源を切れ。
 そう訴えても、ホンモノはゲームじゃないから電源は切れない。

 結末まで導くのが過去の記憶の役割。
 始まりを伝えるのが未来の記憶の役割。

 やっと、このゲームの結末に触れた気もします。
 映像としての結末ではなくて。
 ゲームとしての結末です。

 自分の記憶と今見える全てを見て。
 どちらに決めるか。
 今は見えない昔の記憶か、今、目の前に広がる全てか。

 私はワールドタグの方を棄てます。

 ココは私にはなんの関係もない今だ。
 ただのピエロだ。

 こうやって自分の一部になるのが。
 私にとっての『メタルギアソリッド2 サンズ・オブ・リバティ』の結末。

 自分が何者か、決める事が結末――かなり時間は経ちましたが。
 悪くない答えです。

 汝、自身を知れ、全てのアンダーソン君。



 それでは、また次の機会にお会いしましょう。











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