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昨日より素敵な今日にする為の《捉える力》
noteを始めた目的
10年前と今の私は知っている人からすれば同一人物かと疑いたくなる程考え方や生き方が変わりました。私自身昔の私より今の私が好きです。
もし今の人生に辛い、苦しい、どうしたらいいか分からないと悩む人や、身近にそんな人がいて力になってあげたいと思っている人へ届いてほしいと願いを込めてnoteを始めてみました。
TikTokでも投稿を始めてみましたが、短時間に内容を凝縮する事が主流の中少し長めになるとすぐスクロールされたり、短縮する為に伝えたい本心全てを語りきれない媒体なので、発信内容は同じでもnoteではより濃い内容でお伝えできるかと思い併用して活用していきます。
《てって》はどんな人?
幼少期〜小学生
2〜3歳頃両親が離婚し小学2年生まで母子家庭で育ちました。
母は苦労も多かったと思いますが、いたって幸せに暮らしていたと思います。
4歳くらいですかね?人生初のトラウマを経験しました。当時幼い私は知識がないので何をされているか分からなかったけど不快な気持ちだけはあったのでしょう。小学生の性に目覚めた時期の親戚にいたずらされて今でも正直男性はあまり好きではありません。幼少期でもトラウマって怖いですね。
小学3年生で母が再婚し、義父の家での新生活が始まりました。
しかし幸せはすぐに崩れさりました。
私の母は跡取りを作る為に必要だが連子の私は不必要な存在だったようです。
義祖母や父方の親戚からは酷く嫌われ、両親が仕事で不在の時はご飯の支度はもちろんしてもらえないので白米だけを食べようとしても「泥棒猫!人様の家の物を勝手に食べるな!」と怒鳴られ、
家にいるだけなのに親戚からは「あんたどこの子?よその子は自分の家に帰ったら?」なんて冷ややかな目で見られ、
数年して妹と弟が出来たが、父方の親族からキツく当たられないようにしっかり教育しなきゃとの想いがあったようだが唯一の味方の母も私にとても厳しく生きているのがとても辛かったです。
しかし死ぬ勇気もないし、厳しくも母の事は大好きだったので頑張って毎日を生きていました。
中学〜高校時代
相変わらず生きる希望はないが死にたいわけでもなくそれなりに過ごしていました。
中学時代は部活少女でソフトボールに勤しんでいました。
中学生時代の一番印象深い出来事は、全校生徒の前での演説です。
元々人見知りだと思っていますが、人に嫌われないようにしなきゃと幼い頃から処世術として外面の良さを身につけたと思います。ですが、全校生徒の前で話をするなんて次元の違う緊張感に、話す声は震え、壇上の後ろにいた人たちには丸見えでしたが地震かと疑う程に足も震えていました(笑)
あの時の緊張は人生で一番です。
高校時代は部活は途中で辞め、アルバイトをしながらよくいる女子高生でした。
高校の思い出は【いじめ】です。
まぁ家での扱いで耐性はついていたのでこの程度のいじめで学校辞めようとか思う事もなく多少の図太さはあったと思います。
まずは部活でのいじめ。それなりにソフトボールも出来る方だと自負していた事もあり半端なギャルしながらの部活少女の先輩には邪魔だったようでこの時代に!?とは思いつつ体育館裏に呼び出されて「真面目に部活してんじゃねーよ!」など理不尽な事を言われたり、朝練中数人の先輩がいないと思ったら制服を隠されたり…。これが面倒くさくなってしまい部活を辞めました。
クラスでは同じ電車でよく一緒に帰っていた子の好きな人が、私が一人で帰っている時にたまたま同じ車両になり話をしていたら次の日からクラス全員から無視をされ、いじめってこんな些細な事から始まるんだなぁと他人事のように感心していました。表向きは無視してたけど仲良かったクラスメイトに無視の理由を教えてもらい【自分は悪くない】と確信出来たので無視されなくなるまでとにかく明るく皆んなに話かけ続け、応えてくれるようになった際に誤解である事を伝える事ができました。
今の私であれば正直あんな労力使うなら卒業するまで一人ぼっちでもいいかなとも思いますが、学生時代の集団生活で一人で生きていく強さはあの頃はありませんでした。
社会人1
高校卒業した後は陸上自衛官として社会人生活をスタートさせました。
体を動かす事は好きでしたし体力面での心配は特にありませんでした。
現在は入隊出来る年齢が33歳まで引き延ばされたようですが、当時は27歳まで入隊する事ができ、同期でも同じ高卒の人よりも年上が多かったです。年上だからという理由で小さい雑用を押し付けてくる同期もいましたが、何も言えない子ばかり損していると思い年上の同期に反抗した事もありましたが、それが反感を買い班長に告げ口をされ殴られた事もあります。
痛いのは嫌なので避けたり、殴る手を止めようとしたらそれもなまいきだと言われ黙って殴られるよう命令されました。
社会って恐ろしいなと感じましたが、はじめての社会人生活【こんな事で辞めていいのか?】【辞めた後どうすればいいのか不安】という思いがあり退職は考えられませんでした。
他の高卒の仲良くしていた同期も部隊配属なってからはそれぞれストレスがあったのかと思いますが、ある日突然同期からのいじめが始まりました。
毎日顔を合わせるわけではないですが無視されたり、当時ブログが流行っていて皆んなしていたのですがブログでありもしない悪口を書かれていたりと…。同期の中でも特に仲が良かった子がメールでこっそり教えてくれたのですが、やはりみんな理不尽なストレスが多く誰かをいじめようとなり、《あみだくじ》で選ばれたのが私だったそうです。
そんな理由で?納得できるわけもありませんが、日々に疲れ反抗する気力もなくただただ過ごしていました。
ある日部隊での飲み会が行われ未成年でも飲酒を強要される世界だったので、慣れないお酒を飲み、慣れない空気に疲れ、少し席を離れ風を浴びに行こうと部屋を出で休んでいたら優しい雰囲気でおじさん先輩が話掛けてきてくれました。距離が近いなとは思いましたが案の定軽いボディタッチから…その後はお察しの通りおじさんとはいえ女性では力で敵うわけもなく、幼少期のトラウマから恐怖で固まってしまいされるがままの状態でした。
【怖い】【先輩に会いたくない】という気持ちがあり寮から出れずにいると女性の先輩二人がかりで私の両腕を掴み引きずりながら職場まで連れていかれました。仕事も出来ず就業時間になるまで部屋の隅で小さくなっていました。一人優しく接してくれる女性の先輩はいましたが、その時には既に誰も信用する事なんてできませんでした。
・理不尽なパワハラ
・ストレス発散のためのいじめ
・セクハラ
・セクハラされた側なのに自分を守れないのが悪いと責められる
しかし簡単に外に逃げ出す事も出来ない環境。突如自分が自分でなくなるような感覚になり、【人は全て化け物】に見えるようになりました。
ここでパニック障害と対人恐怖症の発症です。
母が迎えに来てくれても恐怖で包丁を向けたりと、自分も必死でしたが母もかなり傷ついたと思います。それから精神科に通いつつ、母がこのままではダメだと弁護士を探し人生初の裁判を体験しました。私は未成年だった為実名は載りませんが、裁判が行われると新聞記事にも載るんですね。
克服経緯まで書くと長くなるのでこちらは別の記事で。
社会人2
社会人1での体験が少し落ち着いた頃社会復帰の為フルタイムのアルバイトを始めました。
自衛隊を辞めても尚嫌がらせは続きました。
裁判や労基が入り迷惑を掛けられたと感じていたのかもしれませんが辞めても続く嫌がらせに心休まらない日々でした。
当時飛び降りて死のうとしましたが死にきれず。
でもその飛び降りた日になると自衛隊で関わりのあった誰かだとは思いますが、
「今日はお前の命日だよ。まだ生きてるの?死に損ない」
などといったメールが何通か届き、アドレスを変えても何年たってもメールが届いたので親以外の連絡先を全て消しました。
なので今はもう学生時代の友人は一人もいないし、会うこともないですが特に寂しいといった感情はないですね。
少し話が逸れましたが、辞めても続く嫌がらせはアルバイト先でも起こりました。
居酒屋で働いていたのですが、知らぬ間に見つかったようで団体できて、店のお皿やグラスを故意に割られたりと、自分以外にも迷惑が掛かり店舗の移動をさせてもらいました。県外に逃げれば数年たち、人の断捨離をした事で迷惑メールもなくなり少し落ち着きを取り戻しました。
居酒屋を辞め、実家に戻りまた家の近くでアルバイトを始めましたが、まだ心の傷は治らず自衛隊の人を見るだけでも突如パニックになることがありました。その中で当時同じ部隊で嫌がらせもしていた人が来店し仕事が出来ない状態になりました。私の過去を知らない他のスタッフからすれば急に仕事ほっぽりだす迷惑なバイトと思われていたかもしれません。(実際仲良くなった後言われました。前は迷惑なやつだと思ってたよ!と笑い話で)
その時の店長には全て話はしていました。そしていじめてた人にバレたらまたお店に迷惑かけられるかもしれないのでもう辞めます。と言ったら、すぐにホールに出ていき、その方を出禁にしました。驚きました。まだ何もしていないただのお客様なのに。
そして戻ってきた店長の言葉は一生忘れません。
「お客様は勿論大事だけど、てってさんのファンのお客様が今既に沢山いるんだよ。それが一人のお客様のせいで辞めたら沢山のお客様が悲しむ。だからてってさんから笑顔を奪うお客様は客じゃないからいりません。迷惑かけたなと思うならまた一人てってさんのファンを増やしてください。」
と言われ号泣でしたね。ただでさえパニック発症して迷惑かけたり、それこそ働いてまだ数ヶ月のアルバイトをこんなにも守ってくれるのかと。
それからは一生懸命仕事に向き合い、少し気持ちも前向きになりました。
社会人3
いつまでもアルバイトじゃダメだと思い、前向きな理由でアルバイトを辞めました。
そして今も働いている職場へ転職し早10年ちょっと。
この10年で冒頭に書いたように自分が変わりました。
今の職場で最初はトラックに乗り配達をしていましたが腰を痛め営業へ部署移動になりました。
人見知りの私が営業なんてムリ!と思いましたがやってみてダメなら辞めようとチャレンジする事にしました。
それがこれだけ続いているのだからすごいものでしょ?
しかしながらまだ人見知りは現在です(笑)
長く働くと職場への不満や、上司への不満も勿論ありますが、人や環境のせいにしても何も良くならない事に気付きました。
そして簡単ではありませんでしたが自分を変える努力をしました。
そこから感じた事は以下の通りです。
▶︎自分が変われば周りの人が変わる
▶︎周りの人が変われば環境が変わる
▶︎環境が変わると人生が変わる
最後に
今人生楽しいんでる!という人でも《捉え方》や《考え方》を変えると今より更に良い人生にきっとなります。
今辛く、苦しみ、悩んでる方。
私は決して強い人間ではありません。沢山の出会いがあり今変われました。
あの時辛いことから逃げてたら今私が好きな人たちと出会う事なんてなっかたんだろうなと思うと過去の辛い経験も、この人と出会わせてくれるきっかけだったんだなありがとうと思えるくらい立ち直れました。
立ち上がるお手伝いとまで言うとおこがましいかもしれませんが少しのきっかけになればと思います。
こんな私です。
長い記事になりましたがここまで見て頂いた方ありがとうございます。
この体験談を含め、プロフに書いている内容を発信していくのでまずは長めの自己紹介になりました。
これからの記事に期待してくれる方はスキ❤️を押して頂けると喜びのあまり執筆スピードが上がるかもしれません(笑)
是非フォローもよろしくお願いします。