数字になるものとならないもの
こんばんは!毎日投稿153日目になりました。今日も頑張っていきましょう!
立ち止まって考えてみよう
人は、数字になるものと数字にならないものを比べるとき、数字になるものを過大評価する傾向があります。
具体的にお話しします。
仕事でいつものように忙しいあなたが1日だけ休日が取れたので、子供、パートナー、親友などの大切な人(ここでは小さい子供とします)とある日に旅行に行く約束をしていたとします。これは忙しいあなたにとってまたとないチャンスです。子供は数日前からとてもその日を楽しみにしていました。
しかし、その約束の日の前日、会社の上司から「急で悪いが大切な取引先との商談が入ってしまったから明日会社に来てくれないか」という旨の連絡が入ります。上司によると、その会議に行かなければ会社にとっては数百万円の損失が出るということでした。
さて、皆さんならどうするでしょうか。子供に謝って会社に行くでしょうか?それとも子供との約束を果たすために上司の依頼を断るでしょうか?おそらく、実際にこんなことが起こったら、多くの人が仕事を優先してしまうのではないでしょうか。
なぜなら、会社の依頼を断った瞬間、数百万円という数字の損失が浮かび上がってきてしまうからです。対して子供の方はかわいそうではあるけれどはっきりとした損失は起こりません。
確かに、子供と遊びに行くのは休みがあればまた行けるし、数百万円の会社の損失に比べたら全然大したことはないように思えてしまいます。
しかし、このように考えてみてはいかがでしょうか。その小さい子供が数十年後、成長して大きくなって親元を離れ、親子で旅行なんて到底実現しない、というときになってから、数百万円払えば数十年前に戻って小さい頃の子供と遊びに行ける、ということがあったら、その大金を払ってでもその旅行に行くのではないでしょうか。
まとめ
思い出や経験、交友関係、知識などはお金では定量的に測りがたいもので、それゆえにその価値を過小評価されがちです。
その一方で、「老後のためにお金は貯蓄しなければいけない」という固定観念のためにお金を貯めるばかりで数字に出来ないものをないがしろにした結果、老後に思い出にも経験にもならないお金だけが残ってしまうという人は少なくありません。
散財することとは決して違いますが、是非、今にしか出来ない経験にお金を使い、数字にならない大切なものを手に入れていきましょう!