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メディチ家礼拝堂

Cappelle medicee

メディチ家礼拝堂は、位置としてはサン・ロレンツォ聖堂の主祭壇の後ろ側にあたりますが、博物館として独立した入口をもっているため、教会堂内からではなく、いったん外へ出て、チケットを買って入り直す必要があります。

画像3Cappelle medicee, Basilica di San Lorenzo, Firenze

メディチ家の菩提寺であるサン・ロレンツォ聖堂の堂内には、あちこちにメディチ家の墓が設けられていますが、大切な礼拝堂は「新聖具室(Sagrestia Nuova)」と「君主の礼拝堂(Cappella dei Principi)」の2ヵ所です。

「新聖具室」は、礼拝堂にて転用すべくミケランジェロが設計し直した詩的な芸術空間で、教会の右翼廊にあります。もう一つの「君主の礼拝堂」は、メディチ家のトスカーナ大公たちが眠る贅を尽くした大空間で、教会の後陣部分に建設されました。

画像4Sagrestia Nuova, Basilica di San Lorenzo, Firenze

「新聖具室」は、ミケランジェロが自らの手による彫刻群を配した芸術空間として設計したもので、制作依頼はローマ教皇レオ10世と、その教皇の座を継承するジュリオ・デ・メディチ枢機卿(後のクレメンス7世)でした。

ロレンツォ豪華王と、パッツィ家の陰謀で刺殺された弟のジュリアーノは、祭壇と向かい合う南側に設置された『聖母子』像の下に埋葬されています。なお、簡単な墓誌だけで、2人を記念するような肖像彫刻などは実現しませんでした。

画像5Tomba di Lorenzo il Magnifico e Giuliano de' Medici

東西の壁面に向かい合って設置された2つの墓廟は、東側がヌムール公ジュリアーノ(レオ10世の弟)、西側がウルビーノ公口レンツォ(レオ10世の甥)の墓です。

画像6Tomba di Giuliano de' Medici duca di Nemours, Michelangelo Buonarroti, 1524-1534, Marmo, 650×470 cm

画像7Tomba di Lorenzo de' Medici duca di Urbino, Michelangelo Buonarroti, 1524-1534, Marmo, 650×470 cm

ただし、ミケランジェロは実際の2人に似せて肖像を彫ろうとはしませんでした。当時の人々がそのことを指摘すると、「十世紀も後になれば、そんなことを誰も問題にしなくなるだろう」と言ったそうです。

ウルビーノ公ロレンツォには『思索』、ネムール公ジュリアーノには『行動』という対をなす主題が与えられています。そして、それぞれの像の下には、さらに1日を示す4体の擬人像が対をなして配置されています。ロレンツォの肖像の下には『夕暮』の男性像と『曙 』の女性像、ジュリアーノの下には『夜』の女性像と『昼』の男性像です。

この空間では、ミケランジェロの造形原理であるコントラポスト(対位法)が明快に貫かれ、ダイナミックなリズムと緊張が構造的に調和しています。

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メディチ家の墓廟は、時代とともに拡大されてゆきました。ブルネッレスキによる5世紀の旧聖具室、ミケランジェロによる16世紀の新聖具室、さらに17世紀には第3代トスカーナ大公となったフェルディナンド1世の時代に「君主の礼拝堂」が着工されました。

コジモ1世の庶子であるドン・ジョヴァンニ・デ・メディチの設計に従って、1604年に建築家ベルナルド・ブオンタレンティが建設を開始しますが、ほぼ現在のような形になるまでには1世紀以上の歳月を要しました。

画像9Cappella dei Principi, Basilica di San Lorenzo, Firenze

世界中から集められた色とりどりの美しい大理石や半貴石によって、壁面は重厚かつ華麗に仕上げられています。そして、周囲にはコジモ1世以後のメディチ家出身のトスカーナ大公たちの墓廟が並んでいます。

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メディチ家礼拝堂/Cappelle medicee

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