教育的配慮を考える

7月も終わりを迎え本格的な夏が到来している今、吹奏楽界では夏の一大イベント「吹奏楽コンクール」が開催されていますね。
私も某地域で審査をしてきました。演奏の良し悪しはあれど、コンクールに参加する演奏者、主催者、その他関係各位へ心からの敬意と賞賛を送りたいと思います。


さて、コンクールと言えば「賞」が付きものですよね。今多くの団体はその賞をひとつでも上のものが取れるように、皆さん日々汗をかきながら練習を積み重ねていることと思います。

私は浜松に来た当初驚いたことがあります。
それは、コンクールにおいて全ての団体に賞が贈られる…と言うことでした。

閉会式で全ての団体がステージのひな壇の上に並んで出演順に表彰が行われるというシチュエーション、そして銀賞や銅賞と言われると会場がシーンとなるような静寂感…これにはとても驚きました。でも、他の県などに審査に行くと殆どのところがその方式をとられていました。私が育った環境の方が一般的ではなかったということが認識できたんです。

実は、私が育った埼玉県では、地区大会においては参加団体の半分くらいしか賞が貰えませんでした(今でもそうなのかな?)。
全ての団体の代表者は下手のステージ裏に集まって待ち、賞が発表されたらステージ上に出て行く…というスタイル。賞は銅賞から発表(発表順は出演順)され、銀賞・金賞へをと移行していきます。そして最後に代表団体が発表されるという流れです。ですから銅賞でも歓声が起き、賞に入れなかった団体(私がそう)はステージ上に再度上がることなく、唇を噛みしめながら悔しさを抱えて帰る…そんな感じでした。(賞状は貰えます)
そして点数で賞をバッサリ切る方式(だと思う)なので、代表枠数に対しての金賞受賞団体数がイコールではないんです。代表枠が7なのに、金賞が5団体ということが普通にあるんです。(ダメ金の反対で「行く銀」なんて言われてるとか…)

でも、これってコンクールやコンテストでは普通にあることだと思うんです。
例えば「1位なしの2位」とか「対象者なし」など…。

審査のオファーがある際、多くの主催者様から言われることは「教育的配慮」ということなんですが、話を伺うと「教育的配慮=全ての団体に賞を与える」「教育的配慮=限られた点数内で」という構図なんですよね。もちろんその考えは解りますが、それって本当に教育的配慮なのかな…と。

コンクールと言うことは競い合いの場なので、必ず優劣が付く訳です。

なので、個人的には…

金銀銅の各賞は1団体ずつにしたらいいのではないかと思うんです。
若しくは完全順位制

そうすれば、各賞の重みも増すと思いますし、多くの団体は悔しさをバネに更にスキルアップをしようという意欲も生まれるのではないかと思うんです。(その昔は順位制だったとも聞きます)
奇しくも今、パリではオリンピックが開催されていますが、スポーツに目を向ければ、個人競技であれ団体競技であれ優勝するのは1人(1団体)というのが一般的な考え方ですよね。

「喜ばせること」だけにクローズアップした教育的配慮は、正直教育的ではないのではないか…と思うんです。

子供たちに対して喜びはもちろん、悔しさも教えることが教育ではないのかな…と思う今日この頃です。汗

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