哲学対話、哲学カフェ

名前に哲が入るからなのか、
考えてもしょうがないことを考える癖があり、
興味を持つひとつひとつの事柄を突き詰めて考えてるといつも答えの出ない本質的な問いに辿り着きます。ある時、それは「哲学」と呼ばれることを知りました。多くの場合、そんなん考えたってしょうがないじゃんで終わらせられることです。

「気になる事は歴史から」がモットーなので有名な哲学書、と言ってもできるだけわかりやすい本を探して少しずつ哲学の歴史を学んでみました。
すると昔々の偉い哲学者の方々も、言葉は難しかったりしますが、そこそこ似た問題を古代ギリシャの頃から考えている事がわかりました。
時代によっても正しいとされることは変わり続けていくのもあり、誰1人として未だ答えを導けていない事を知ります。

思考実験という哲学的な営みがあり(思考実験についてはまた今度)、その中にはこんなテーマがあります。

○多くの命を救うために1人の命は犠牲にしてもいいのか?(トロッコ問題)(臓器くじ)
○船の全ての部品を交換した時、それは元と同じ船なのか?(テセウスの船)
○周りの人が超高性能なロボットではないと言えるのか?(哲学的ゾンビ)

他にもたくさんありますが、こういった哲学的な疑問を「問い」とも呼びますが、問いは世を生きる人にとって普遍的でありながら、答えや考えは人によって様々です。

生きる、死ぬとは何?
正義と悪。命の重さ。愛。罪と罰。賢さとは。資本主義?民主主義?比べること。信仰心。満足とは。優越感って?etc…

普段の生活ではこんな事を話すことはあまりないし、SNSでは発信こそ出来ても、他人の意見を聞き、話し合うことはなかなかありません。こういう事を話したい人も多くいるはずなのに、心おきなく話せる場はなかなかない。

そこで僕の営むクランプコーヒーストアにて、「哲学対話」の場を開くことになりました。
世界では老若男女、気軽に集えるカフェで哲学対話が開かれる事も多いと知りました。カフェでやる場合は哲学カフェとも呼ばれます。

問いを1人でもんもんと考えてても腑に落ちる答えは見つからないし、見つけたとしてもそれが他人と同じ答えになるとは限りません。
全く自分にはなかった角度から考えを聞くと足元がぐらぐらしたり、あらたな視点を持つ事ができるかもしれないし、理解できない他人の行為の意味を知ることもあるかもしれない。

この対話における目的の一つとして掲げているのが「解釈を越える」ことにあります。
生活の中での、お金、健康、教育、仕事、人生における優先順位などの価値観や、
国家や人種、法律や文化、宗教観、倫理観、思想など大きな問題まで、
解釈次第でどのようにも考える事ができ、そしてその解釈が異なる時、往々にして対立が起こるように思います。
対話はその解釈を越える一つの手段だと思っています。

みんなの意見が聞きたいこと、
引っかかっていること、
常識とされてるけどこれでいいんだっけ?と思うこと、
他人の当たり前、
などなど、
日々の疑問やモヤモヤをみんなで出し合って話せたら面白い場が作れると思います。

興味がある方は是非この後のnoteも御一読頂けたら幸いです。



『耳に入ってくるものは全て意見であって事実ではない。目にするものは全てあるひとつの視点であって唯一の真実ではない。』マルクスアウレリウス


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