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#37. インド旅行記:コルカタ(Kolkata) 中編

前編はこちら。
*中編はヤギ断首の様子を生々しく書くので、苦手な人は後編へ。
(途中までは大丈夫!描写へ入る前に"ここから"と書いておくよ)

迎えた翌朝。うーん、がっつり雨が降っている。まぁ時期的にも仕方がない。『GANT〇:G』と『狂四郎203〇』を読んでいると15分程で小雨になったのでチェックアウトし出発。

先ずは午前中のみ行われているという「ヤギの断首儀式」を見る為カーリー寺院(Kali Temple)へ。カーリーとは、破壊と再生を司るシヴァ神の妻の一人。殺戮と破壊の象徴でバトルフリーク。闘いに勝利した喜びで飛び跳ねていたら大地が壊れそうになった。それを危惧した旦那のシヴァが足元に横たわり、代わりに踏まれることで衝撃を抑えたという、中々ディープなムーブをかましているヒンドゥー教の女神である。

そんなカーリーへの犠牲礼拝としてヤギの断首を行っているのがこのカーリー寺院。非常に有名な寺院だがヤギの断首をどのように行うのか中々想像がつかない。ということで、止まっていたタクシーに声をかけカーリー寺院へ向かってもらう。ちなみにコルカタのタクシーはこんな感じ。これとは別にリキシャも走ってるよ。

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さて、前編でも書いたし偶々かもしれないが、コルカタの運転手は全っっっ然英語が通じない。とりあえず「Kali Temple」「いくら?」と言い、「これでOkay?」とiPhoneの電卓画面で"200(約300円)"と打ち見せる。確認が取れたので車内へ入ると運転手が話しかけてくる。

「◎×◇■☆彡~?」

「いや、分からん。英語で話して」

「♨♨♨♨♨♨~?ハッハー」

「いや、分からん。英語で話して」

と、運転手がベンガル語で話し自分が英語で話すという、お互い話が分かっていないのに話し続けるという謎の状況(といってもインドではよく遭遇する)が始まる。所々分かる単語が出てくるので、それを拾い会話を続ける。どうやら彼はCalcutta(Kolkataの以前の呼称)の方が好きらしい。ここまで分かれば上等である。

少しマーケットめいた所に入り、そこで降りて後は歩きとのこと。道中ではカーリーがモチーフの像等が売られている。

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さて、十字路に差し掛かりそこを左に曲がると目当てのカーリー寺院。ここからは土足禁止なので靴を脱ぐ。すると、お供え用の花輪なりココナッツなり買ってくれと。Okを出すとお盆に乗ったセットを渡された。

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ここでガイドみたいなのが来て「案内をしてあげる」と。「とにかく携帯と財布を盗られないように気を付けてくれ!」と。その前にお前誰だよというのはあるのだが、とはいえ話は聞いてみたいし興味がある。

寺院内は写真撮影NG。物凄い人だかりと熱気だった。思ったほど嫌な生臭さは感じない。と、ここで気になったことをまずガイドに聞いてみた。


「寺院内(てか何なら寺院へ向かう道から)は裸足って聞いたけど、何であなたはサンダル履いてんの?」


彼は青いビーチサンダルを履いていたのだ。すると「いや、俺はこのお寺の正式なガイドだから」という回答。んー...ん?。いや、それアリなん?十字路に土足で入ったインド人はめちゃめちゃ怒鳴られてたけどね。まぁいいけど。


//// ここから断首の様子 ////

寺院に入り左へ。ここでは断首後のヤギをその場でチョップしていた。器官や頭部、臓器が生々しく転がっている。これらはこの生贄用のヤギを購入した家族へ渡され、彼ら(家族)は有難く調理し頂くということらしい。夥しいハエが飛び交う中、作業員は淡々と手際よく捌いていた。1分くらい見てたかな。もっと長く感じたけど。ガイドに促され、今度は入口を入って右側の実際に断首を行う作業場へ。広さは10畳程だったろうか。周りにはヤギの首に繋いだ紐を持っている人が数人。ここでまた色々と聞いてみた。

「このヤギは幾らなのか」

「小型のもので10,000ルピー(約15,000円)、大型のタイプで倍くらい」

「この儀式は何時から何時まで行うのか」

「午前8時から昼の13時まで。それ以外はやらない」

「1日何体くらい断首を行うのか」

「今日は101体」

「なぜ犬や豚や鳥ではなくヤギなのか」

「ずっと昔からヤギで行われているから」

とのこと。中々興味深い。

さて、いよいよ始まる。作業場横の段差に座っている人がスネアドラムのような楽器を鳴らし始めた。それに合わせヤギの首にかかった紐を持った人がその紐を引っ張ると、ヤギはけたたましく鳴き出した。まるで、その後の自分の処遇を知っているかのよう。その運命へ抗うかのように何度も何度も鳴き、連れられることへの明らかな拒絶の挙動を示す。そのヤギを力強く引っ張り作業場の中へ連れて行く。断首作業はスムーズな流れ作業だった。先ずヤギの両前足を無理やり背中の方へ回し、背中で〇を作っているような態勢を作る。するとその痛みでヤギの首がニュッと伸びる。伸びた首を素早く掴み断首台へ固定。青龍刀のような刀の刃先を首元にそっと当てると、そのまま振りかぶり勢いよく振り落とす。「ぷちゅっ」という小さな単音を放ち首を落とされたヤギの身体は、横たわったまま20秒くらい手足をバタつかせやがて動かなくなる。そして、その首元から血が滴るヤギの身体を10歳くらいの男の子(寺院従事者?)がチョップ場へ引き摺り運んでいた。

凄惨だが悲惨ではないと思った。それは、流れ作業的だったとはいえ、どこかその儀式へ込められた威厳に近い尊厳を感じたから。純粋で一方的な生殺与奪に元来的な敬虔は生じ得ないとは思いつつも、昇華された思想の潔さを感じた。中々上手く言葉にできない。そんなに大げさなものでもないかもしれないし、逆に遥か向こうのことなのかもしれない。"何が"、かは分からないが。

その光景をもう1度見て寺院を出た。靴を預けていた場所で足を洗いまた市場へ戻ってきた。この時点で時刻はちょうど昼頃。

ふぅ。
今回のコルカタ記は2編で纏める予定だったが、このカーリー寺院での出来事で結構な文字数となった(ここまでで約2,500字)ので、ページを改め、お昼を食べる所から後編のスタートとしよう。

End.



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