「転職→複業→転職」で気づいた自分のための仕事から誰かのための仕事への変化
地方の国立大学院の修士課程を修了し、24歳から社会人として働き始めた私。
現在32歳で、人生2度目の転職をします。
2年前に結婚し、その数か月後に妻は退職し、今はフリーランスの写真家として仕事をしています。
まだまだ駆け出しで妻の収入は安定していませんが、とても楽しそうに仕事をしているため、見ていてなんだか嬉しくなります。
昨年、中古物件を購入し、リノベーションして住み始めました。
しっかり目にリノベしたので、人並みに2000万円程の住宅ローンを抱えています。
そして、この夏に人生2度目の転職が決まりました。
収入の安定しない妻がいて、住宅ローンを抱えていて、このタイミングで転職って大丈夫なのかと周囲に心配されましたが、たぶん大丈夫です。
なぜそう思うのかについて、私のキャリアを振り返りながら思考を整理してみます。
1.地方の設計事務所で私は挫折した
鉄筋コンクリート造や鉄骨造の地方都市では比較的大きめの建築の設計をする会社に、私は新卒で入社しました。
学生時代から設計の仕事に就くのだと意気込み、将来的には独立して自分の事務所を構えるぞと野心に満ち溢れていました。
そんな野心は、目の前の仕事の山に打ち砕かれました。
常に人手不足で、年齢や経験以上の仕事を求められて、心も体も全く余裕がありませんでした。
・設計事務所だから長時間勤務は当たり前。
・残業がつかないのも当たり前。(裁量労働制の固定残業制でした。)
・休日出勤するのは仕事ができない自分のせい。
・代わりがいないから、自分しかいないという妙に強い責任感。
今思えば疲弊し過ぎて、思考停止状態だったのだと思います。
設計事務所という労働環境の過酷さは覚悟していたつもりでしたが、予測を上回っていました。
もちろん人の何倍も仕事の経験を積ませてもらったおかげで、成長した部分が大いにあるので感謝しいます。
最終的には4年間勤めて、当時の社長に「もう建築が嫌で、建築の仕事に就くかわかりません」とまで言って、私は逃げるように辞めました。
2.なぜネガティブな理由で転職してはいけないのか?
その例外もあります
この職務環境は長く続けられない、耐えられない、逃げたい、そんな思いで頭がいっぱいで、ネガティブな理由で1社目の退職を決意した私。
よく聞く話で、ネガティブな理由での転職はよくないと言われています。
それはなぜでしょうか?
第一に考えられるのは、辞めることが目的になってしまうことです。
人は目的を達成すると気が抜けがちで、辞めるという目的を達成した後に、次何をしたらよいか路頭に迷う可能性が高くなります。
路頭に迷って、無職を脱するための転職となると、やれることをやる形になり、キャリアアップとなる転職は望めないと思います。
辞めることを目的にするのではなく、次にやることやポジション、年収等を目的にして、方法の一つとして転職があるというマインドセットが望ましい転職となります。
またキャリアアップの選択肢として、今の状況に耐えるというものがあります。
ストレスがかかった状態は、一種の成長のチャンスである可能性が高く、自分の能力以上のものを求められている状態です。
ここを乗り切れたらスキルアップにつながり、その積み重ねでキャリアアップにつながっていくはずです。
しかしそのストレスが、自身のキャリアアップにとって本当に必要なものなのか冷静に判断しなければなりません。
そこを見誤れば、ストレスが強くて、嫌になったら辞めればいいという辞め癖がついてしまいます。
では耐える必要が無い、逃げることを許されている例外的な状況とはどういう状況でしょうか。
それは心身どちらかに不調をきたし、思考停止状態になったときです。
1社目の私は完全に思考停止状態でした。
・長時間、休日勤務は当たり前
→業務分担に問題がある
・残業がつかないのも当たり前
→裁量労働制でも規定時間以上は残業代を支払う義務がある
・自分しかいないという妙に強い責任感
→替えはいるし、辞めても会社はつぶれない
このように状況判断できないようでは、どんな理由でも辞めても良いと思います。
判断能力が鈍っていたのは、新卒で入った1社目ということ、元々過酷な労働環境であることを多少認識していたこと、上司も含めて会社全体が同じような状態で仕事をしていたこと等が考えられます。
おそらくこのような慢性的異常は、自分自身で気付けないと思います。
私は結婚前の今の妻に「この状態で一緒に暮らすことはイメージできない」という少し強めの言葉で、救いの手を差し伸べてもらいました。
このように近い人に報告、連絡、相談しながら、誰かに気付かせてもらうことが大切です。
3.住宅会社で心に余裕ができた私は、複業をした
今の妻の助言で退職した私は、間も無く住宅会社に転職しました。
設計事務所時代に一級建築士の資格を取得していたおかげで、とてもスムーズに転職することができましたが、ネガティブな理由での退職だったため、やりたいことと言うよりはできることでの転職になってしまいました。
住宅会社に転職してからは、残業時間が何十時間も減り、心身共に健康になり、心に余裕が生まれ、何かやりたくてうずうずし始め、写真を撮り始めました。
好きで趣味として取り組むうちに上手くなりたい気持ちが高まり、気付けばお礼をいただける程の腕前になり、そして元々少しは使い方を知っていた妻に教え込んだら、結婚数ヶ月で妻が写真家として独立してしまいました。
こうして私は、妻のお手伝い(家業の手伝い)として写真の仕事をサポートする現在の複業状態に至ったのです。
一級建築士なのに写真が撮れるというのがキャラクターになり、人に覚えてもらいやすくなり、建築関係以外の人にも沢山出会うきっかけになりました。
今までの建築関係のコミュニティでは得られない刺激を、写真の仕事を通して得ることができ、PR視点を意識するようになり、本業の住宅会社で手薄になっていた広報業務に取り組むことにしました。
複業の写真家活動も、本業の広報業務も、従来の設計の仕事では感じられないやり甲斐を感じました。
目の前のお客さんの希望を叶えるのが設計の喜びでしたが、多くの人の共感を得て、希望に導くように伝える広報業務での喜びが新鮮だったのかもしれません。
そんな広報業務での成果、企画、方法、思考に協力会社が共感してくれ、それが結果的に転職に結びついたのです。
4.建築士が本気で家づくりの広報戦略を考える
転職先はWebマーケティング会社で、そこで私は住宅関係のPRの仕事をする予定です。
薄々気付いていたものが、働きながら明確に実感するようになったのですが、住宅会社として正しい情報を発信しても、家づくりをしたい層の多くには届かないのが住宅業界の問題です。
それは強引な営業、無責任な営業の対象として、住まいを売るものとして扱われてしまったからではないでしょうか。
「住宅会社の営業の言うことは疑え」という共通認識が、ユーザーの頭の中に刷り込まれている気がします。
正しい家づくりを伝えるには、住宅会社の看板を自分から外すことが最良と思い、私は8年以上携わった建築設計という仕事を辞めることを決意しました。
次の職場での住宅関係のPRの仕事も、私にとっては広義での建築設計だと考えています。
沢山の家づくりをサポートできるように、転職後も頑張っていきます。
5.自分のためにから、人のために変わった価値観
自分のやりたい、やってみたいという気持ちで就いた建築設計の仕事で、私は沢山の挫折をしました。
その一つ一つの経験が、私の血となり肉となり、自分のためにから目の前の人のために、そしてより多くの人のために仕事をしたいという価値観に変わっていきました。
それは私が未熟な思考のまま就職したから気付くのが遅かっただけかもしれません。
ぼーっとしていたらあっという間に年を取り、なんのための仕事なんだろう?となっていたかもしれません。
でも挫折、複業チャレンジ、本業で他の業務にチャレンジする過程の中で、人のために技術や知識を提供し、感謝される喜びに気付くことができた私は良い機会に恵まれていたと思います。
ついついnoteを書き綴ると上手くいっているように話をまとめてしまいますが、私も人並みに挫折し、傷つき、なんとか復活して今に至ります。
そんな過程で得たのが、自分のための仕事ではなく人のための仕事こそ私のやりたい仕事であり、だから私は私の経験を包み隠さず共有し、誰かの励みになってくれたらなと思っています。
仕事で辛いことも多いと思いますが、辛いのはあなた一人だけではありません。
お互い頑張りましょう!
建築と写真で素敵な生活のサポートをしたい