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今、思うこと。【カンボジア滞在9週目】

カンボジアに来て9週間が経った。
英語でのコミュニケーションがノーマルになっているのに対して、まだまだ言語能力が追い付いてないのがとっても悔しい。。。
ただ、話しかけに行くことがそこまで怖くなく、むしろどんどん楽しめるようになっているのは良い傾向。続けよう。


危険だけどよく成り立っているなぁ、とものすごく感じることがある。
例えば、バイクを運転している時。

通常、対向車線を通行する形で右左折をする場合、基本は対向車が通行するのを待ってから走り出す、というのが常識だと思っていた。
※こちらは右車線で走行するので、左折が対向車線を通行する形での走行となる。日本の場合は逆。

しかし、それが完全には守られていないのがカンボジア。
もちろん、優先されるべきはまっすぐ走っている自動車なので、通常時は左折しようとしている自動車も待っているのだが…

通行量が少ないな・こちら(左折しようとしている自動車)の方が多いな

というような状況になったとき、対向車が来ていてもお構いなしに走行を開始する。集団で、対向車をがっつり止めて通行していくので、まっすぐ走行する自動車も、交差点等に差し掛かる前に減速して、止まらなければならなくなる。

青信号なのに。交差点の向こうは別に渋滞しているわけではないのに。
謎に左折車の集団に道をふさがれて進めない。そんな状況がよくある。
そのまま赤信号に代わってしまった時はとってもやるせない気持ちになることもある。なんだかなぁ、と。笑

これ、左折車だけでなく、信号のない交差点や駐車場から車道に出る自動車なども同じような状況になる。まっすぐ走行している自動車が来てようがお構いなく(とってもスピードが出ている自動車が迫っている場合は除くが…)、横切って、反対側の車道に入っていく。

これは、自分ではない他のドライバーさんが、自分のことを見て減速したり停まってくれたりするだろうという予測(≒信用)のもとで成り立っている行動なのだろうと考えている。

性善説を信じているのか、はたまたその(=交通ルールや危険性など)の知識がないだけなのか、はたまた全く別の理由なのか…
いろいろと原因はありそうだけど、それが親から子、過去から現在へと受け継がれ、交通に関するスタンダードになっている社会なので、この状況が変化するということは、数十年単位でかかるような、文化を変えるようなことなんだと思う。

危険だけど、本当によく成り立っているなぁ。
ここで養われたリスク回避能力や周囲を観察する能力などが実生活の他の場面で活かされるようになったら、とってもすごいことになるんじゃないかとも思う。むしろ、それが見てみたい。

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