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27歳。誕生日に寄せて。

こんにちは。
カンボジア、プノンペン在住の伊藤です。

8月27日に誕生日を迎え、無事27歳になることができました。
両親や兄弟、日頃お世話になっている方々をはじめ、関わる多くのみなさまのおかげでこうして今年も1つ年を重ねることができています。
本当にありがとうございます。

言葉にしても、絵にしても、毎日更新される思考や感情が、過去のそれらをチープにしていくので、特段意味ないなと思っていました。
それでも、自分のためにその時の思考や感情を残そうと思って始めた週1と月1の定期Noteを見返すと、あの時こんなことあったとか、だから今のこれと繋がっているんだとかいろいろ新しい発見があります。

日々の内省、また、誰もが見られる媒体への定期更新が習慣化されることで、別の角度からも新しい自分を見つけ、より深く自分を見つめられるようになってきています。文章構成や内容も特に何も考えず、頭の中に浮かんだものをその場でただひたすら打ち込むという作業は、もはや気持ちの良いものにもなっています。
まだまだ何も成せていないからこそ、こういったことを地道に継続していきたいですね。


27歳になった。
ということで、改めて、自分の現在地と、今、追い求めていることに関してここに残しておきたいと思う。


現在地

今、僕はカンボジアの首都、プノンペンにいる。
ここ2年ほどでつくば市(茨城県)→足立区(東京都)→倉敷市(岡山県)→田原(愛知県)→プノンペン(カンボジア)と住む環境が変わり、その度に出会う人も連絡を取り合う人も変わっていった。

今は、ベースで関わる人はクメール人。次いで多いのは日本人。
インターナショナルスクール等に営業に出向くので、国籍もわからないが、クメール人でも日本人でもない人にも関わること場面が多い。

日本にいたころよりはるかに多くの人種の方々と関わっていることには疑いようもなく、それゆえに価値観や考え方に新鮮さを感じ、何かしらの刺激を日々受け取っている。
価値観も日々アップデートされて、まだまだだと思うところがたくさんある反面、自分の中で認められる、自信を持てているところも増えた。

約5年前、21歳の頃、初めて日本以外の大地を踏みしめた。
それがカンボジア。
初めての海外、初めての異国の地。初めて自分が外国人と呼ばれる立場になり、初めて言語的マイノリティの立場になった。
すべてのことが新鮮で、それでいて刺激に溢れていた。
シェムリアップの農村部にある1つのご家庭にお邪魔して、様々なお話を聞かせてもらったり、木の枝でかご作りを手伝わせていただいたり、子どもたちと遊んだり、いろんなことをした。
当時は、「貧困とは何?」「日本は本当に豊かなの?」というような問いをもって、都市・農村にいる人たちに簡単にインタビューもさせてもらった。
精神的な豊かさ、物質的な豊かさ、経済的な豊かさ、、、様々な貧困/豊かさがあり、それらに関しての知を深めることで、僕自身が今後何をやっていくのかを考えることができていたように思う。

2度目に来たのが昨年8月初旬~中旬、25歳の頃。
WFSの活動の中でスクールの参加者に提供するTRメニューの作成を担当していて、その内容が現場の方々に価値を与えられているかどうかを自分の目で確認したかった。そのため、普通に会社員をやっていたが、とってもお世話になった上司のご理解とやさしさで許可をいただき、2週間強カンボジアに滞在した。
フリースクールや孤児院、公立の学校など、様々な人たちとふれあい、その中で様々な感情を得て、思考を深め、その先の行動を決める要因とすることもできた。最も興味をもって課題感を感じたのが教育面における課題。
まなぶ内容やその環境、仕組みなど様々な部分で課題を感じた。

そして、今。
WFSの事業推進はもとより、新たな事業をやりたくてカンボジアに来た。
前回渡航時に感じた教育面における課題に関して、自分が先頭を走って解決に向けた取り組みを進めたい。そして、たくさんの人に価値を届けたい。
そんな思いをもって、今、こちらで活動を進めている。
ただ、まだまだ1$の価値を生み出すことさえできていない状況。
淡々とやるべきことをやって、遅くても確実に、確かなスピード感をもって進めていけたらと思う。
WFSとの両面で活動を進め、まなびのアップデートを全方位的に進め、こちらで関わるより多くの人たちに貢献できればと考えている。

今、追い求めていること。

僕は今、環境クリエイターになりたい、という想いを持っている。

もともとはサッカーをプレーすることが好きで、そのサッカーで培った技術を誰かに伝えていくことも好きな少年だった。過去のある出来事でプレーが嫌になった(≒できなくなった)とき、僕の中に残っていた片方の行為(=教えること)を近所の子どもたちに実践する機会があって、そちらの方が自分にあっているのではないかと感じるきっかけになり、自分の中で教える側(≒指導者)になりたいという種ができた。

だからこそ、教員免許を取得するために必要な課程を修了した。
そこで得たまなびは、今の自分に生きている部分もたくさんある。しかし、学校教員として生きていくことの生きづらさを、社会的な・個人的な両側面で感じ、学校教員になる道は考えないようにした。かわりに、国際協力やクラブなど、学校以外の場で僕が考えるようなまなびの在り方を展開できるような場がないかを調査するために、学校内外問わず行動を起こした。
その行動の過程で様々な場所に行き様々な人、様々な感情や思考に出会い、結果、自分で何かを生み出す人(≒経営者)になりたいという種ができた。

また、同じく大学生時代にクラブユースという育成年代の全国大会の記録員と運営のサポートを担当させてもらう機会を得た。その際、大会に選手として参加する(=スポーツを”する”)のではなく、大会を作る・運営する側として参加する(=スポーツを”支える”)ことに楽しさとやりがい、なにより自分の中でそれに対する高い価値を感じるきっかけとなった。
その経験が、僕の中で、何かの活動を通じて誰かを支える、何かをつくる側(≒運営者)になりたいという種を生み出した。

自分が考えているようなまなびが展開できる場所をつくり(≒経営者)、その場所で実際に関わる人たちに価値を届け続け(≒指導者)、その環境を途切れさせないようにし続ける(≒運営者)で在りたい。

僕は、人は育てられない、という認識を常に持っている。

伝わりやすくするならば、"人が変わるのは外部からの情報や過去の経験などを踏まえて、本人が変わりたいという意欲を持って具体的な行動に移すことができたとき"、という認識を持っている。つまり、指導者と言われる立場の人間が対象者に何かの働きかけをしたとしても、それは1つの情報を提供した、という行動の事実でしかなく、その情報を用いて変化するかどうかは本人次第である、ということ。

大げさに言ってしまえば、どのような良いとされる情報を与えられたとしても、その情報を用いて自分自身を良い方向に導いたのは本人なので、変化する(≒育つ)という結果は本人の力によって生み出されたものである。

だからこそ人は育てられない、という認識を常に中心に置いている。
それでも、人を育てる、人を育てられる人になる、という想いを抱いている。そんな矛盾といえるような想いをもって生きている。

そんな想いを可能にするために考えているのが、環境を創ること。
教育的な取り組み、つまり教授行動をする主体者(≒先生)からの情報を、享受する主体者(≒学習者)に与え続けるような環境での取り組み、では、これまでとは何一つ変わらない。

僕が創りたいのは、学習者が自身の好きな取り組みをしているだけで無意識にまなびを吸収していくことができる環境。
先生も学習者も(多くの場面では関係なく)対等に、まなび合い、育ち合う環境があったらどんなにいいだろうか。そんな風に考えている。

人を育てる環境、ではなく、人が育っていく環境。
mustからなる行動、ではなく、willからなる行動。
勉強という文脈、ではなく、まなびという文脈。

そんなことが達成できる場所を今、僕は生み出したいと思って活動しています。もう少しでその1歩ができそう。だけどその1歩が大きい。
なのでその1歩を因数分解して、0.1歩ずつ刻んで、ゆっくりだけど着実に進んでいっている途中です。

今後のこと

今後は、ここまでで書いた自身の事業やWFSのことにとにかくコミットしていくことが最優先事項となることは間違いない。

それに加えるかたちで、せっかくカンボジアという国にいるのだから、この国ならではの楽しみを、この国にいるからこそ行ける場所での体験などを、自分だけでなく様々な人と分かち合いながら取り組んでいければと考えている。

基本は一人行動が好きな自分なのだけど、人とのかかわりあいの中で生まれる感情や喜びもとても好き。そのようなものを自国だけでなく他国の、様々な背景を持つ人と一緒に体験できたらそれはとても嬉しいことだなと思う。

応援してくれている、支えてくれている、一緒に走ってくれているたくさんの人に恩を返していくという意味も含めて、自身の成長と誰かに渡せる価値の増大を求めて、27歳を駆け抜けていきたい。

27日生まれが27歳になった。
ラッキーナンバーの1つに27を入れていて、今年はそのラッキーナンバーの年齢の年。
きっといいことがたくさんあるし、いいことをたくさん自分で起こしていくので、勝手にいい年になっていくことは間違いない。

このnoteもずっと続けていくことができればと考えている。
ロジカルに書こうとか、誰かに何か響くように書こうとか、そんなこと思っていないと言ったらうそにはなる。だけど、基本的には自分のために書いていて、その時、その日、その週に思ったことやあったことをそのまま書いて、なにも確認せずに、そのまま発信している。
誤字脱字や文章構成の不備など数えればきりがないと思うけど、時間的制約を付けた中で自由に書き記すことが、今の自分にとって最もプラスになり得ると考えているので、不備はいったん気にしない。

最後は、26→27の1年間で特に印象的なショットを14枚載せて、締めよう。


倉敷でおもしろすぎる出会い
イノベーションスクールの運営者兼参加者を担当。無事修了。
モトヤのみなさんと激走!いろんな意味でがんばりました。笑
素敵な出会いを生む主催&登壇イベント実施。バーテンダーやりました。
倉敷では、多分おもしろい人とばっかり仲良くなりました。
子どもたちのあそび場を商店街で生み出す
大学時代の恩師と再開・別の運命的な出会いも
エコロジカルアプローチの植田さん・古賀さんの登壇イベントを運営
大学時代の教え子たちが中学を卒業
大切な友人ホスミンの試合観戦。いい写真(特に背景)
祖母の家に初めて知り合いを招待。
97年生まれだけが共通点の倉敷で出会った仲間。みんな頭おかしくて好き。笑
カンボジア渡航後、初の子どもたちとの場
こんな学び舎もあるのか、と衝撃を受けた一幕
異国の同世代経営者とも仲良くなれました。



まだまだ駆け出したばかり。どんな軌道を描くかわからない自分。
どんなことも受け入れながら、楽しみ、感謝し、誰かに還元していく。
そんなことができるような人物で在るように生き続けます。

みなさん、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

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