フジテレビ、中居正広問題について思うこと
中居正広自体は長い鎖の中で、たまたま千切れた輪のひとつにすぎない。
彼もまた十代でジャニー社長への性的奉仕を要求されたことは想像に難くない。
ジャニーズタレントの誰もがその暴力性を受け継いだわけではないのだから、擁護も容赦も必要ないのだが、その経験がなければ彼の中の暴力性は開花しなかったかもしれない。
非対称な権力構造のなかでの弱者への搾取が常態化した芸能界、テレビ業界のおぞましさ、沈黙をもってそれを支援し続けたメディアや言論人の卑怯。
そうしたものこそが非難されるべきなのであるが、フェミニストやジェンダー界隈の論客の発言を、少なくとも私は見ていない。
普段、イラストやアニメキャラクターの権利さえ守ろうとするほどの正義感にあふれた人々であるというのに。
武装した警察官たちをロウ・エンフォーサーと言うように、正義の執行もまた暴力であり、力なき市民の貴重な楽しみでもある。
だからSNSは正義であふれているわけだが、構造的な悪は法的な悪、個別的な悪と違って、明瞭な境界線を持たない。
無数のコミュニティが重層的に連鎖する我々の世界において、私やあなたの手はどれだけきれいだろうか。
あるいは、搾取する側にまわったとき、私やあなたはどれだけ純潔でいられるだろうか。
そうした反省なしに、暴力も搾取も途絶えることはなく、悪なき社会など実現するはずもない。