【20年】
きょうで中越地震から20年。
当時新潟県のラジオ局に
勤めていたぼくは発生時
休日で新潟市内の
ショッピングセンターにいて
体験したことのない
大きな揺れに驚いて
しばらく動けませんでした。
慌てて自転車で局に行って
とにかく情報収集をと
県庁に行くも
大きな被害のあった中越地域
特に旧山古志村と全く連絡が取れず
県の担当者の方も
状況が把握できていないと
話していて21世紀でも
そんなことが起こりえるのかと
驚いた記憶があります。
地震に伴う土砂崩れで
電線や携帯電話の基地局が
機能できなかったことが原因でした。
取材のため地元出身で道に詳しい上司と
車で新潟市から中越に向かいましたが
道路も崩落していて警察の方から
「ここから先は自己責任」と言われ
恐る恐る進んだこと
小千谷市内の大きな被害の様子
取材中に震度6弱の地震に遭い
炊き出し中だった地元の
お母さんたちの悲鳴
腰を抜かして何もできなかった自分
いまでも鮮明に覚えています。
自然を前に人は無力で
だからこそ命を守る日頃の備えは
大事だと身をもって知りました。
能登での震災も
いまだ復興への道筋が立たず
たいへんな日々を送られている
方も多くおられる中ですが
追悼の思いを持って
自分にできることを
改めて考えたいと思います。
〇中越地震から20年(NNN)
https://www.youtube.com/watch?v=23o7khgx7PM
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?