見出し画像

まじで絶対ブログ始める(写真は気合入れるため)

何度、挑んだことか。
文章の練習のために何度ブログを書こうと思ったか。
結局文章なんてうまくならなくても何となく生きてこれてしまったので、挑んではすぐ逃げてOK!な人生だった。
編集の仕事やコピーを考える仕事もするのになぜOKだったかというとその気になればぼちぼち出来ていたからだった。後はとにかく人に助けられていた。

運の良い人生だった。

これからはできれば、そうだな・・。
月数回はブログ書くぞ!!(すくない)

例えばぼくが観た映画、聴いた音楽や飲み屋の話とか。

例えば広告の話やポリティカルなこと。

ただ、清廉潔白な人生を過ごしていないクソみたいな人間ではあるので炎上とかしないように密やかに書いていこうと思っている。
だからtwitterは見る専門になっている。いつか名言めいたもの(名言を言おうとするやつはしょうもないbyタモリさん)を綴ったぼくのツイートがバズってしまい、「昔こんなことをてっちゃんは言ってたよ!あいつはクズだ!死ね!断罪しろ!」と言われないように。

それでも30をすぎてぼくは成長したと思っている。
自分が日本の男であって身長が大きくて態度がでかいだけでどれだけ得をしていたか、どれだけ人に圧力を与えてしまっていたかをこの7,8年でしっかりと認識するようになった。
この世の中にはあらゆるマイノリティが存在していて、その人達が今をどう生きているのか、どう生きてきたのかも映画や本を通して多少なり理解できつつあると思ってる。そして、それがまだ道半ばなのもわかっている。

宮下英樹先生の傑作中の傑作といっても過言ではない漫画「センゴク」が先日、堂々と完結した。ぼくはセンゴクの大ファンで10回は読み直してるほどのマニアだ。
なぜ急にセンゴクの話を持ち出したかというと最終巻あとがきの、とあるテキストが現代のSNSユーザーに対する強烈なメッセージとなってるからだ。

とかく「わからない」という人が信用に足る事。僕の経験上、優秀な研究者は「真相のところはわからない」と言う。優秀な編集は「どの新人漫画家が伸びるかわからない」と言う。
〜〜〜
そういう方々は周囲が理解し得る概念は既に理解している。その先にある「わからない事」を常に探求している故にわからないのである。
センゴク権兵衛(27)あとがき

例えばSNS上で断罪すべき対象を見つけて過去の発言を引っ張り出し、祭り上げる。その祭りの波は一向に収まらず自分たちの絶対的な正義や正しさでリンチされていく。
ラッパーのダースレイダーはそれらの行為を「デビルマン現象」と呼んでいる。(デビルマンを知らない方は調べてね)もちろん社会体制や政治に関わるフェイク、おそらく悪と言われるものには追求していかないとダメだ。
だけど祭り上げる方々のその「圧倒的な正しさ」はどこから来るものか本当に不思議だ。ぼくは自分で確からしい正しさを色んなコンテンツで学んでるつもりだが、前途多難だ。わからないことだらけだ。

宮下先生のいう「「わからない」という人が信用に足る」という発言は、僕なんかより100億倍勉強している人たちのことを言っているのでぼくの「わからない」はただただ馬鹿みたいな甘えであることは重々承知なんだけど、、。
さっさと正しさを理解したがる「インスタント正しさ人間」はちょっとだけでも宮下先生の爪の垢を煎じて飲んで下さればこれ幸いです。

話それたー。ブログだるいー。ムズイー。
腰痛いー。あ、ヘルニアとか腹痛とか痔のことも書けそう。
そのあたりは仕事やカルチャーのよりもプロフェッショナルなので。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?