コロナ x マンガ x 歴史 祈る事は公共事業
歴史を勉強してからちょうど始まった週刊少年ジャンプの
「逃げ上手な若君」ですが、超絶面白いですね!
ストーリー自体も面白いのですが、鎌倉時代の背景とか、ああそれ知ってる!となるところがたまりません。
例えば、週刊少年ジャンプ32号にある以下の文です。
「祈る事は公共事業」
これは興味深いですよね。
私が大好きなポッドキャストのコテンラジオでも言ってたいたのですが、
古代・中世の日本において、国家が神仏に投資することは、防衛費であり社会福祉である。
それを初めて聞いたときは、
「は?」
と理解できませんでした。けど説明を聞いて納得。
現代では、例えばコロナみたいな病気が流行れば、国家は薬やワクチンの開発に莫大な予算を投じるのが当たり前ですよね。
それは、国家や国民が、科学的根拠からその薬やワクチンが病気に効くと
思っているから、信じているから。
では、科学が発達していない時代には、国家・国民は何を信じ、何をもって病気の対策とするか。
古代・中世の日本では神仏が信じられていた。
だから、その時代では祈りであったり、仏像を作ることに国家の莫大な予算を投じ、それによって病気や、天災など、様々な対策としていた。
いやいや、祈ったりして病気がなくなるわけじゃないでしょ、と思った方、それはあなたが科学が発達した今を生きていて、神仏を祈ることによって病気が直ると信じていないからそう感じています。
いくら科学的な根拠があっても、薬やワクチンが病気を抑えられるかどうかは、やってみないとわからないところがあります。実際、最近のコロナでは、新型には効かないとか、予防接種率が高い国でもまた感染者が増えてきたとか言われてたり。
結局は、人が何を信じるかによって左右される人間社会
どんなに文明や社会が発達した社会でも、前に記載した通貨の歴史のように、結局は人が何を信じるかによって、モノやヒト、サービスの価値が変わります。
国家は、人々が信じるものの中で、一番有効だと思われるものに投資する、それだけなんだと私は思っています。
ちなみに、ジャンプ32号の逃げ上手な若君の最後のページでは、足利尊氏が仏の絵を書いていますよね。
足利尊氏は本当に仏の絵を書いていて、その絵が現代まで残っています。マンガの絵は、実際に残ってる絵とそっくりに描かれています。
史実では、足利尊氏と北条時行の決着は分かっちゃってるんだけど、マンガではそれがどう描かれるか、、、楽しみ!
※ここでは、コロナについてはそんなに深く話さないし(というか私もネットニュースぐらいの知識しかないので)、あと神仏を信じる信じないの可否は論じず、なぜ祈る事が公共事業なのか、という観点で見ていただければと思います。
最後まで読んでいただいきありがとうございます。 定期的にアップしていきたいので、今後もよろしくお願いします。