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Riffs and Runs(感情フェイク)

長々しい文章はあまり得意ではない。
勿論、小説は好きだし、ロングインタビューみたいな記事も大好物だ。
しかし、じゃ全く興味もない、なんの面識もない人の言葉を一他人が聞き入れられる範疇とは どんなもんだろか?って考えた時に、やはり長々と(言い方はよくないがダラダラと)書き込まれた文章は、やはり読みたいとは思えない。

そもそも文章の長さに想いの深さが比例するとも思えない。
心の叫びだったり、訴えなんてものは、案外短い一言だったりするものだし。
どんな長編小説よりも、一枚の写真が物語る世界観が心を打つなんて事はザラにある。

じゃ、その心を打つってモノの本質はなんだろか?って考えるけれど、僕も正直分からない。

分からないけれど、自然体は大事かなと。
僕は音楽にも少し携わってきたけれど、
【「フェイク」(本来のメロディーの一部をリズムや音程を変えて自由に唄う手法)は漏れてしまった感情が音になったものだ。】と、とある作家に教わった。
決められたメロディラインよりも、その歌手の想いこそがフェイクによって漏れ聞こえてくるものだと。
その瞬間その瞬間に彼や彼女が発したいと思った音こそが個性であり、自然体なのだと。

おーっなんか納得。

文章は一度書き起こされてから大抵は校正に校正を重ねて配信される。
皆さんの文章も多かれ少なかれ加筆&修正がかけられてアップロードされている事だろう。
しかし、修正に修正を重ねた末に、何だか自分が言いたかった事ってこんな事だったっけなー何て事はないだろうか。
見てもらう事を意識しすぎて小綺麗に纏めにかかった末に、自分の想いの塊のはずだった言葉たちが抜け殻と化し、フワッフワッのスカッスカッに変わり果てて、こんなのアップしなくてええわーっとなってしまったり。

つまり、何が言いたいかと言うと、

もっとフェイクで良いのだ。

その時の自分の感情のまま、伝わるかどうか前提ではなく、漏れてしまった音の様で良いのだ。

好きだ!!

良いではないか。清々しい。

見て!空、綺麗!

最高ではないか。彼女に言われたら愛おしすぎる。

そうだ!心の音が言葉になる(鳴る)のだ。
それが少しエコーがかって。余韻長くなったものが文章になるだけなのだ。
今日もいい事言ったー。

と言うてる自分が長々と書いてしまいお恥ずかしいったらありゃしない訳なので、ここらで筆を置こうと思うが、
これからも好き勝手書いていくぞー。
覚悟しとけー!

は?笑

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