自己責任時代の到来
コンテンツが多様化しておる。
僕みたいな凡人が思い付く事は、大抵のことが既に用意されて、何ならビジネス化されて、この世のどこかでご利用は計画的にされておる。
ここで分かりやすい方程式と法則を一つ。
コンテンツが増えてるよね?昔より。
例えば、昔だったら配信サービスは、メディアと呼ばれるコンテンツも「テレビ」と「ラジオ」ぐらいしかなかったよね?
日本の総人口が1億2000万人だとすると超適当な分け方をして5:5で、テレビを見る人が6000万人。ラジオを聴く人が6000万人いたとするよね。
でも、コンテンツが増えてるよね?
YouTube、ネットフリックス、SNS..etc
海外も狙ってマーケットは増えてるとはいえ、一つ一つのコンテンツが取り込める分母は絶対散らかって減ってるよね?
って言う事は、杓子定規にはいかないけれど、とりあえず一つ一つのコンテンツで生み出せる生産力の天井も下がってるよね?
そりゃ仕方ない。
と言う事は、社員に振り分けてあげられるお給料の天井だって必然的に下がるよね。
でも、残念ながら、物価は昔と変わってないよね?
一つ一つの会社やコンテンツの分母が減って、総売上を上げるのは難しい。
かと言って、物の価値は下がらない(ベットボトルのコーラの値段はずっと148円。むしろ上がっとる。)
もらえるお金は限界があるのに、出費が減らせなきゃお金足りなくなるよね。
そりゃそうだ。
ここまでオッケーですか?
当たり前ですよね。うんうん。
で、それが当たり前なら、会社から貰えるお金だけを期待して生きてちゃ厳しいよね。
会社以外からも何か生み出せる自分になった方が良いよね。
何する?何が出来る?
それを必死に考えてる?考えてない?
何で考えない?
会社が副業NGだから?面倒臭いから?何となく?
それでいいの?
会社のせいにしてない?社会のせいにしてない?
株だって、競取りだって、在宅ワークだって、個人のワークショップだって、個人で生産する方法は幾らでもある。
もう誰かのせいに出来る時代は終わってる。
ちゃんと自分の責任になる時代がきてる。
やっていいのに、やればできるのに、やらないって事は、自分が選んでる
って時代に僕らは巻き込まれてる。
それをもっとシビアに受け止めて生きていかないと、ちょっとこれから厳しそうだよね。
って言うお話。
ちゃんちゃん。
(文章のテンポ上 タメ口口調の文面になってしまいました。
馴れ馴れしくしたかった訳ではございません。申し訳ございません。)