ロンブー田村淳からDMが来た話
「それは人それぞれ」
大学院についてツイッターで呟いたらロンブー田村淳からDMが来た話をする。最初に述べておくと、僕は会話の内容を事細かに晒し上げるつもりはないし、彼を非難するつもりもない。
ただ、やりとりを通して思うことがあったのでまとめてみる。
また、ここでは敬称を略して単に田村淳と書く。
田村淳の大学院入学
確かYahoo!ニュースだったと思う。
「ロンブー田村淳が大学院に入学」
といった名前の記事が出ていた。
いうまでもないが、田村淳は「ロンドンブーツ1号2号」として活躍しているあの田村淳である。
「芸能人の田村淳が大学院に入学?なぜ?」
というのが最初に思った疑問だった。
ただ、反面ワクワクした感情になったのも事実だった。
僕自身、修士、博士と5年間大学院で研究していた。
日本では大学院に進学するのがどういうなのか、というのを知らない人や誤解している人が多い。
そのため、彼のような著名人が大学院進学を目指すというのはとても嬉しいニュースでもあった。
僕がなぜ嬉しいと思ったか?
「あなたはなぜ大学に行くの?」
と言われたとき、あなたはなんと答えるだろうか。
「就職に有利だから」
という人は多いだろう。そういった人たちを責めるつもりはない。
なぜなら今の日本の大学のシステムはどこの大学に「入学」したかが重要な社会になっているからだ。
「あの人は東大に受かったらしい。すごい」
よく聞く話だ。
実際にホリエモンこと堀江貴文氏は東大ブランドを手に入れるために東大に入学した後に退学、起業している。
彼は大学を卒業していない。でも、人は彼を高学歴だと尊敬する。
東大に合格したからだ。
でも、おかしな話だ。なぜなら合格するというのはスタートラインにすぎないからだ。
大学というのは勉強するところだ。
東大に受かることは凄いことだが、受かることよりも大学で何を学んだか、どうやって卒業したかの方がずっと重要だと思う。
「あの人は東大だから凄い」
これもよく聞く。でもそういうことを言う人はだいたい上で述べたように東大に「受かった」ことだけを指しており、大学で何をしたかはあまり興味がないことが多い。
合格したかどうかなんて18歳の時の5科目の偏差値にすぎないのに。
だから、僕は「就職のために」でも「ブランドのために」でもなく単純に学びたいことがあって大学を目指す人を尊敬している。
田村淳はすでに芸能人として名声を手に入れているし、年齢も若くはない。
そんな彼が学びたいことがあって大学を目指すというのであれば、それはとても嬉しいニュースだ。
そう思って記事を読んだ。
僕がなぜがっかりしたか
田村淳はもともとAbemaTVの企画で青山学院を受けていたみたいだが、残念ながらすべて不合格だったようだ。
だが学ぶことを諦めきれずに慶應大学の大学院を受けることにした、という内容だった。
ここで少し引っかかった。
「大学と大学院の違いは何か?」
という質問に答えられる人がどれくらいいるだろうか。
こう答える人が多いだろう
「大学を卒業した後に行くのが大学院」
間違っていはいないが、大学で専攻したのとまったく別の分野、別の大学の大学院に行くことも可能であるため、大学院は単純に大学の延長ではない。
さらに言えば、田村淳の場合のように大学を卒業していなくても大学院の試験を受けることは可能だ。
では違いは何か?
大学は「学ぶ」ところで大学院は「研究する」ところだという点だ。
なので、勉強したい人は学ぶだめに大学へ行く。
大学を卒業してその分野の最先端の研究をしたい人が大学院に行くという流れだ。
その記事の中で田村淳は
「大学院で勉強したい」
ということを言っていた。
僕は違和感を感じずにはいられなかった。
大学院は研究したい人が行くところだ。
勉強したいだけなら大学に行けばいい。
いや、大学に行かなくたって、教科書を読んで独学で勉強することだってできる。ネットでわかりやすい動画だっていっぱい載っている。
大学院は大学に行けなかった人が裏技で行くための場所じゃない。
僕はツイッターに記事と共にそんな感じのことを呟いた。
DMがきた
「それは人それぞれでしょ」
「僕があなたの食事に対して何も言わないのと同じ」
そんなDMが来た。
正直びっくりしてた。なぜなら僕は彼に向けてリプライを飛ばした訳ではなく、単に記事をツイートしただけだったからだ。
「人の進路や決定にいちいち口を出すな」
というのは確かにその通りだ。
彼の言うことは正しい。
でも、僕は期待していた。
著名人の彼が大学とはどういうところか、大学院とはどういうところかを身をもって世間に広めてくれるんじゃないかと期待していた。
無論、それは部外者の僕が勝手に期待していただけなのだけど。
僕は上で言ったような持論を内容を長々と返した。
彼からは
「ご指摘ありがとうございます」
とだけ返ってきた。
大学院とはどういうところか
大学と大学院の違いについては上で述べたが、では大学と大学院はどちらが入学が難しいかご存知だろうか?
これは意外に知らない人も多いのだけど、大学院の入試の方がずっと簡単だ。その代わり、修士号を取るには修士論文、博士号を取るには博士論文を執筆して認められなければならないため、卒業(正式には修了)するのは大学院の方が難しい。
そのため大学で1流の大学に受からなくても、大学院から東大に行くのは大学入試に比べれば簡単であるケースが多い。(ぼかして書いているのは、大学院入試は大学ごとではなく研究室ごとなので、同じ大学でも研究室によって入る難易度が異なるためだ)
なので最終学歴を東大にするために東大の大学院に行く人は多い。
これを学歴ロンダという。
もちろん、有名な大学には有名な研究室や魅力的な、最先端の研究をしてる研究室が多いのも事実であるため学歴ロンダを一概に否定するつもりはない。
でも、大学ではなく大学院を目指すのであれば「勉強したい」ではなく「研究したい」という気持ちを持っていて欲しいと僕は思う。
勉強したいというのはすでに誰が発見したものを学ぶことだ。
なので、先人たちが積み上げてきた知識の結晶である教科書を使う。
でも、研究はまだわかっていないことを探求することだ。
研究に教科書は存在しない。いろんな人たちが日々未知を探求、究明するために命を注ぎ、日々その結果を論文として発表しているのだ。
研究には未知を解き明かしたという情熱が必要なのだ。
もちろん研究を進めるに当たって勉強も必要だが、勉強はあくまで研究を前進させるための手段でしかないのだ。
その事実はアカデミックな世界と無縁な人にはなかなか理解されないし、広まらない。
もし著名人が身をもって研究の素晴らしさを広めてくれたら、どんなに良かっただろう。
勉強と研究は適正が全然違う
ここまでの文章を読んで、僕が細かいことにこだわっているなと思った人もいるかもしれない。
一般的には勉強ができる人は研究もできそうな気がするだろう。
だが、実際にこの2つの適正はまったく異なる。
勉強が得意な人というのはすでに明らかになったことを身につけるのが得意な人だ。だが、そういった人に研究の適正があるとは限らない。
大学在学中は凄い良い成績だったのに、大学院でいざ研究を初めてみると
「なんか思ってたのと違う」
と感じて挫折する人は多い。
逆に、勉強は嫌いだが新しいことを探求するのは好きという人もいる。
そういった人は大学在学中はひどい成績で留年したりしていても、いざ大学院で研究を始めるとものすごい勢いで成果を出したりする。
このように自分が勉強と研究、どちらに適正があるのかを考えることは重要だ。
無論、この2つの違いがわからないことには適正など考えようもない。
間違った選択をしてしまうと自分自身が苦しむことになる。
社会からしても損失だ。
だからこそ、僕は世の中の多くの人にこの事実を知って欲しいし、短絡的に大学や大学院に進学する前に自分の適正を考えてみて欲しいと思うのだ。
その後
最初にも言ったが、僕は田村淳を非難する意図はまったくない。
僕が勝手に期待して、勝手にがっかりしただけだ。
彼の例えを借りるならば、人の食事を勝手に美味しそうだと思って味見して
「なんか思ってた味と違う」
と一人で勝手にがっかりしただけだ。
全部僕の中で完結していることだ。
「結局僕はいつも僕のことばかり」という左利きのエレンという漫画のセリフを思い出す。
僕は研究をやっていた時間が長かったためこういった話題に神経質になっているのかもしれない。
芸能界という場所にいて、大学や大学院といったアカデミックな世界を目指して情熱を注ぐということ自体は素晴らしいことだと思う。
いや、芸能界とか大学とか関係なく、何かに情熱を注ぐということ自体は素晴らしいことだ。
それは、本当にそう思う。
今後彼がどうなるのか。
つまらない私情は置いておいて、勝手に応援しようと思った。
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