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温泉と猫

20時、温泉の閉店時間は22時で、今から向かえば20時半には着くだろうから、最低限のリラックスはできる。俺は少し急ぎ目に車を走らせた。

スピードはどんどん上がっていくが、
車高の低いコンパクトカーはあまり風の影響を受けず、
車内は部屋といる時と変わらないくらい、落ち着いた時間が流れる.

音楽を流しながら、左右に木々が生い茂る田舎道をひたすらまっすぐ走る。車内は酷くご機嫌な歌声で充満する。

しばらく車を走らせると、左にラブホテルが見えた。
壁に苔や蔓がびっしりついており、看板の明かりがないと本当に営業しているのか怪しい。こんな場所で行為をしている奴がいるなんて信じられないなどと思い、

若干のよそ見をした時、道路の真ん中に物体が現れた
急いでハンドルを切り、障害物を間一髪のところで避けてまた元の車線に戻る。
今右車線に車がいたことを想像して、額に汗が滲み出る。さっきまで片手で握っていたハンドルはいつのまにか両手で強く握っていた。

バックミラーで確認したそれは、おそらく猫だった。街頭に照らされた動物が、横たわっている。

俺は車を止めることなく、アクセルを踏み直した。
しばらく走り、猫のことを思い出した。
あの猫は死んでいたのだろうか、
もし生きていたとしたら、助けるべきだっただろうか、
俺の人生において、閉店間際の温泉に行くことと猫の命をはかりにかけた時に、
温泉に行き自分の快楽を満たすことを優先したのか。

そう思うと自分は酷い人間のように思えた。

ただ、これが猫ではなく、狸や狐ならどうだろう。酷い雑菌を持っているかもしれないし迂闊に触るべきではない。もし、どこかの動物病院に連れて行ったとして、その後森に逃すというのも変な話だろう。そもそも猫も狸も狐も同じ動物であり、野生なら尚更区別する必要はないだろう。

俺は俺の中で始まった問題に終止符を打ち、
再び歌を歌い始めた。

温泉に入れば大抵のことは忘れる。
さっきの出来事も、速度超過という軽犯罪も
全て何もなかったかのように、サウナでバカみたいに口を開いた

風呂から上がり、牛乳を一気に流し込んだ。乾き切った喉を潤し、体の隅々に水分が行き渡っていくような感覚がある。
閉店ギリギリでも来てよかったなと、思いながら、同時にさっきの出来事も頭の中で再生された。

俺はふやけた手でハンドルを握り、車を走らせる。
もし、あの動物が飼い猫で、さらに生きていたならば助けてやろう。そう思い、車内には音楽だけが流れた。

遠くに廃れたラブホテルが見え、速度を落とした。
後ろに車が来ていないことを確認しながら、右車線を注視する。
そこにはさっきと同じように街頭に照らされた物体があった。
俺の予想は半分当たり、半分外れていた

物体は猫で首輪をつけていたが、下半身は潰れ内臓が剥き出しになっていた。

猫は明らかに死んでいたのだ。

やはり死んでいたな、あの時俺が助けることなどできなかった。
通り過ぎたのが正解だった。

俺は猫が死んでいたことに、安心した自分の不自然さに気が付かないふりをして

田舎で周りに家は無く、あるのはラブホテルだけのこの場所で、首輪をつけた猫が横たわっている理由について、
一瞬考えようとしたが面倒になってやめた。

窓を開けると、夜風が中途半端に濡れた髪を撫でるようで気持ちがよかった。

俺はまた歌を歌いながらアクセルを踏んだ。

(フィクションとして読んでください)

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