世界観episode 21 -初めての住み込み一人暮らし浪人生活 (HSS型HSP浪人生編①)
さて、高校生活後半で思いついた美大受験は
見事に全滅し、父親の会社が熊本に転勤に
なるというタイミングでした。
僕も熊本に来るように言われましたが
絶対に都会の大阪を離れたく
ありませんでした。
当時プレステのFF7にハマっていた僕は
ゲームクリエイターの専門学校
に行くことも考えましたが
何となく将来は大卒の方が有利だろうという
直観があり、浪人して美大を目指すことを
お願いしてみました。
ただし条件付きでした。
「大阪に残るなら自分の力で
なんとかしてみなさい。」
父親が放った言葉に対して
見つけたのは、
大阪の観覧車が見える大阪湾沿い
にある住み込みの新聞配達を
しながら、浪人が出来る「苦学生」の
制度でした。
住み込みで朝晩の毎日配達、
ご飯がついて生活費7万円ほどが
渡される仕組みでした。
美大受験の予備校の費用は
出してもらいました。
僕は大阪に残るために
それをやる決断をしました。
今思えば、熊本まで親についていき
余裕をもって美大受験に臨んだ方が
有利な気がしますが
無鉄砲な勢いで決めたその考えが、
後の人生でかなり良い選択だった
ことに気がつきます。
必要最低限の家具を買ってもらい
住み込み先のボロボロの文化住宅に
引っ越しました。
初めての一人暮らし、ベランダの扉
が傾いていて、開けたら勝手に閉まり
トイレはベランダにあるボロボロの和式
とにかく地震がきたら一発で
崩壊しそうな古い住宅でしたが
僕は初めての一人暮らしに「好奇心」が
「不安」を上回っていたのが分かりました。
そして新聞配達は毎日同じコースを回って
同じお宅にポストに投稿して
いくものでした。
朝は毎日3時半起き、僕の一日が
スタートします。
遅刻しないように電話は絶対かかってきます。
そして6時頃までに配達を終え、
の家族経営のS新聞社の店舗だったのか
毎日の食卓を囲む団欒があります。
僕はこの時間の世間話が嫌で嫌で
たまりませんでした。
年代の合わない人たちと中身のない
トーク。どこのパチンコ店が羽振りが
良いとか、パートの何とかさんが
どうとか、心底どうでもいい話を
愛想笑いで聞き流す時間が苦痛で
たまりませんでした。
そして風呂なしなので、店舗で
シャワーを浴び7時ごろ帰ってくると
予備校の時間まで少しゆっくりします。
そして9時ごろから大阪の梅田近くにある
美大専門の予備校で、デッサンや色彩構成
を学び、夕刊の16:00頃に間に合うように
帰宅し、18:00までには配り終わり
再び夕食の苦痛な団欒を終えると
19:00には帰宅。そして次の日にそなえて
20:00には寝床に入る生活を送っていました。
しかも新聞配達は365日休みがありません。
雄一、日曜の夕刊だけ休みだったので
日曜の夜だけは少しゆっくりできたと
いう感じでした。
根がサボリ魔の僕が、よくそんな生活を
続けられたなと、今だから思いますが
その生活をしたからこそ得られたものが
とてつもない宝物だったと後の人生で
気が付くことになります。
世界観episode 22 -めっちゃ楽しかった美大予備校
へ続きます
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