ポイズンロックパニッシュ Chapter.1

 夢を見た。
ひなげしが咲き誇る、国道16号沿いのモスバーガー。
あの娘と口いっぱい頬張っていた。トマトスライスの果汁の赤色が口の周りを染めていた。
あの娘の名前は…


「起きて、コウジくん。」
 体を揺り動かされて目が覚める。壁には安っぽいエンジ色のタペストリ。俺はゆっくりと体を起こす。奥の洗面台でユミが下着姿で髪を梳かしている。身長は165センチでやや痩せ型、小ぶりの胸を添えているブラジャーは体に合っていないのだろう。不自然に谷間を強調するバストを作っていた。
 そうだ…夏季休暇の初日、山梨の方面へドライブデートをし、夜が遅くなり帰るのが億劫になった僕達は適当に見つけたラブホテルに入ったんだ。

 ユミの横に割って入り、俺は冷水を思い切り顔に当てつける。
すぐ脇のタオルで顔を拭いていると
「ねぇ、コウジくん。昨日も話したんだけど、今月厳しくてお金が…」
ユミは数か月前に無職になって、なかなか再就職にありつけないようだ。
どうやら希望する仕事にありつけないのだという。

「家賃のことは気にしなくていいよ。あとで金下ろすから。
それより、いい仕事が見つかるといいね。」
 タオルで顔を乱暴に拭きながら、俺は当たり障りなく言った。
ユミは仕事の選り好みが激しいようだ。
IT系、正社員で残業無し、手取りは25万以上、快適な環境、家から30分以内で通えるところ。

 なるほど。俺から言わせてもらえれば、そんな選り好みをしなくてもとりあえずコンビニでもいいから働けばいいのに、と思う。そうすれば少なくともお金は稼げる。コンビニが嫌なら、倉庫内作業はどうだろうか?女性ならば体の負担は少ないのではないか?或いはキャバクラとまでは言わないが、ガールズバーとかでも良いんじゃないか?
 そして、働いてみて合わなそうなら辞めればいいじゃないか。

 しかし、そんなことを言おうものならば、ユミは鬼の如くキレてしまう。
勝手に怒って、勝手に泣いて。俺が何を言っても無駄だ。
 うんざりするから俺は何も言わない。所謂平和的解決だ。
若い頃はどうにかして説得していたような気がする。しかし、俺の説得は
ことごとく過去の相手を怒らせてしまった。
今の俺は説得などはしない。無駄だ。

 チェックアウトの時間になって、俺達はフロントにキーを戻した。
駐車場へ向かい俺は車の運転席、ユミは助手席へ。
エンジンを付け、そのままホテルを後にする。

 しばらく車を走らせていた。
カーナビはテレビに合わせた。その番組は地方にロケに行ってバスで目的地へ向かい、道中に途中下車し現地のグルメを紹介する。最近、似たような番組が増えた気がして、そのせいか俺はテレビを見なくなった。
「コウジくん、ちょっとお腹出たんじゃない?」
ユミはテレビの内容そっちのけだ。
「そりゃ俺も40歳だぜ?多少は仕方ないさ。」
「40代へようこそ!いいなー、私も40歳に戻りたいよー」
「ユミもそんな変わらないじゃん」
「40と42は違うんですー!」

 はたから見たらどうと言う事はない。ありきたりな男女の会話ではないだろうか。だが俺は昔のようにときめきが云々するような、恋愛感は無い。
昨夜だってそうだ。
ベッドの上で乱れ…ようにも体が疲れ果ててそんな気すら起きない。

 いつからこんな風になったのだろうか?
彼女がいるのは良いが、それ以上の感情はない。
無論、ユミは好きであるがだからと言って、独占欲もないし
性欲もそこまで湧かない。

 しばらく車を走らせていると、コンビニが見えた。
田舎のコンビニは駐車場が広くトラックも2台ほど止まっている。一般車両の駐車スペースは10台ほどと言ったところか。
 俺は奥の駐車スペースがちょうど1台空いているのを発見し、すぐさま入り込んだ。俺とユミは車を出てコンビニへ入る。

 クーラーが効いていて気持ちいい。8月の猛暑ではありがたいことだ。
入口には農家直産の野菜が並んでいた。俺は炭酸飲料2本とタバコを買い、ATMコーナーでいくらか金を下ろした。
 画面の数字がここ最近減っている。原因はユミだ。だからといってまだ貯えもあるから、今の所は問題ない。いや、問題ない事もない。
 会社員として働いて怒鳴られて、毎月月末に手取り20万ほど貰っている。
『給料とは、我慢料である』と以前ネットの記事でインテリ経営者が言っていた。まさにその通りだ。会社とは俺のような平社員を毎月20万円でフル稼働させ、最大級で無制限のサービスをする奴隷システムそのものだ。上手く出来たサブスクリプションだ。
 だからこそ、せめて俺の給料は俺の為に使いたいのだ。もちろん彼女がお金に困っているのは助けてあげたい。だが、金を渡すたびに心に陰りが生じる。


 俺達は車へ戻る。

 エンジンをかけ、クーラーをガンガンかける。数分車を離れただけなのに
もう社内は熱くなっている。早く涼しくなってほしい。
そうだ、忘れないうちに渡しておこう。
ユミに炭酸飲料と先ほどATMから下ろした5万円を手渡した。
「ありがとう、コウジくん。ちゃんと返すからね…」
 俺は、運転席の窓を少し開け、電子タバコをセットして自分の口に運んだ。ふーっと薄白い煙が窓から外に逃げていく。それは俺の本音を煙に含めて。
「別にいいよ……ちゃんと仕事に就いてくれれば。」
どこかで俺は考えていた。たぶん、俺の金は帰ってこないのだろうと。

 突然、カーナビテレビの画面がニュースに切り替わった。
重々しい面持ちの男性アナウンサーが原稿を読み上げる。

「番組の途中ですが、臨時ニュースをお伝えします。
 東京都小平市のアパートで女性が刃物で刺された遺体が発見されました。
警察によると女性の身元は小平市在住の無職、守屋(もりや)ユキナさん、40歳と発表されました。」

ドクン。
 俺の心臓が重く響いた。
守屋ユキナ?その名前に俺はくぎ付けになった。ニュースは尚も続く。

「現在、同棲していた男性、無職の水森(みずもり)コウジさん、40歳が行方不明になっており、重要参考人として捜索を行っていくとのことです。」

「え!?」
「は!?」

 俺とユミは同時に声を上げた。カーナビテレビ画面に映ったのは、俺の写真だ。それも運転免許証の俺の顔。
「ちょっと…なにこれ…!?どういうこと!?」
ユミは半狂乱寸前の金切り声を上げた。すかさず俺は言葉を返す。
「俺にもわからないよ!つーか無職じゃねぇし…俺はちゃんと働いているし、何より俺は西荻窪に住んでいて、小平に住んでいないのはユミだって知っているだろう!?」
「じゃあ、何なの!?なんでコウジ君が指名手配されているの!?それに誰よ、殺された女は!!」

ドクン。
 まただ。また心臓が響いた。一瞬視界がぼやける。
守屋ユキナ…?
ユキナ…ユキナ…まさか…

プルルルル!


 突然、ユミのスマホが狭い車内で盛大に鳴り響いた。
「何?こんな時に…!?」
 膨れ面のユミはぶつくさ言いながら、画面をスワイプしパスワードを解くとメッセージアプリに新規メッセージが一件届いているようだ。それを開いて見るとユミは困惑の表情を向けた。
「どうした?ユミ。」
「え…?どうして…?なんで…?」
 ユミの表情は強張り、素早くハンドバッグを自分の身に寄せると同時に助手席から外に飛び出した。俺はつられるように運転席を出ると、ユミはどこかに電話しているようだ。

「もしもし!?警察ですか!?今、ニュースでやっていた指名手配犯の水森コウジがいます!!」
 何!?ユミは警察に電話!?すぐさま俺はユミの手からスマホをひったくって通話終了ボタンをタップした。その刹那、ユミはものすごい力で自身のスマホを俺から奪ってこう言う。

「いや!!コウジくん、どうして知ってるの!?」
「何のことだ!それより何考えているんだ!俺は誰も殺していない!ユミ、本当だ!殺された女なんて知らない!!」

 いつの間にか、俺達をコンビニの客が取り囲んでいた。
 それは、恋人の痴話喧嘩ではなく、指名手配犯が一般市民を怒鳴りつけているように見えただろう。だがそれだけでは終わらなかった。客達は俺に乱暴に飛びかかり、俺はうつ伏せで拘束した。その上にやたらと体格のデカい相撲取りみたいな男が俺の背中にあぐらで座って、俺のケツの当たりに無理やり俺の両腕を持ってきては上からそいつの体重で押さえつけた。俺の骨が悲鳴をあげた。
「な、何だよ!!俺は何もやってねぇって!!」
 ユミは数歩後に下がり、俺を見下している。
「ユ…ユミ…どうして…!?」
 ユミはスマホの画面を見ている。ユミだけじゃない、他の連中もだ。なんだ?動画でも撮っているのか?くそ!見せもんじゃねぇ…。その中で客の中の何人かは
「あー、よかった…これで昇進かぁ」
「安心したぁ。今月お金やばかったんだよねー」
 方々で呟いている。

 俺はアスファルトに突っ伏したまま、首を上げて奴らを見た。奴らは俺を見ていない。スマホの画面を見ていることに気がついた。そうこうしている時にパトカーのサイレンがどんどん近づいてくるのがわかった。駐車場に入ったパトカーは駐車枠に思い切り斜めにはみ出しつつ、急停車した。すぐさま、二人の警官と一人の私服警官が走ってやって来て大男が抑えている俺の両手に、私服警官は手錠を掛けた。

「水森コウジ!観念しろ!」
 俺の抵抗虚しく、放り捨てられるようにパトカーに乗せられ後部座席は閉められた。俺は
「俺は何にもやってねぇ!!本当だ!!無実なんだ!!信じてくれよ!お巡りさん!!」必死に訴えた。制服警官は運転席と助手席へ座り、私服警官は俺の横に座った。私服警官は俺にこう言った。
「外の連中を見てみろ」
 その言葉に答えるように、俺は外の連中を眺めた。すると奴らはスマホの画面を食い入るように見ている。俺の事なんかとっくのとうに忘れてしまったみたいに。当然ユミも…。どうなっているんだ?

「ユミ…。」
 俺は悲しさと悔しさで呟きながら下唇を噛んでた。どうしちゃったんだよ、ユミ。お前の彼氏が連行されて行くのに…どうしてスマホに釘付けなんだ…?
横に座っている私服警官は俺にこう言う。
「妙だと思わんか?この状況。」
「妙って…?」
「あんただって分かっているだろう?指名手配犯が目の前で連行されていくなんて、人生でそうある事じゃない。なのに、連中はこの出来事は無関心のようにああやってスマホに喰らい憑いている。SNSでバズるかもしれんのに。」
「はぁ…」
続けて、私服警官は小声で俺の耳元で囁く。

「安心しろ。あんたを救ってみせる。」

それは拍子抜けで、意外な言葉だった。
「えっ…」
俺は驚いていた。

「出せ」
 そう命令を出された運転席の警官は車のエンジンを掛け、コンビニを後にした。

ーChapter.2 へ続くー














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