A級バックラー、俺

もう10年も前のことだから時効ということで、懺悔という名の文句を言わせてください。

大学1年のとき、生活費や趣味に使うお金が欲しくてスーパーのレジ打ちのバイトを始めた。人生二度目のバイトだ。一度目もスーパーのレジ打ちで、半年くらいやったものの受験勉強を理由に辞めた。一度やったことのある仕事なら、環境にさえ慣れればすぐ戦力になれるだろうという目論見もあり、特に考えることなくなんとなく応募した。

その目論見は見事に当たり、同時に入った数人のバイト仲間よりも仕事はできるほうだった。そもそも、ちゃんとした研修もなくいきなりレジに立たせるのだ。未経験でまともに働けるわけはなかった。経験者である僕はそれでも働けたが、同時にそれは違和感の種だった。高校時代のバイト先では、希望店舗で働き始める前に二日間ほど、研修センターで一通り仕事を教わることができた。レジの打ち方、言葉遣い、お金の扱い方、その他諸々。契約書もそこで書いたような記憶がある。あれがあったから安心して働くことができたし、それが当たり前だと思っていた。しかし、そうでもないということをこの時に知った。手厚い研修をする会社ばかりではない。今ならわかる。当時は青かった。

もうひとつ、これはおかしいだろうと感じていたことがある。シフトだ。高校時代のバイト先では、1ヶ月分のシフトが組まれており、希望休なども事前に言えば取れる環境だった。そしてシフト表は従業員全員に印刷したものを配られ、いつでも自分のシフトが確認できた。これが当たり前だと思っていた。それが、大学時代の職場では3日先までしかシフトが出ていなかった。3日だぞ、3日。2週間どころか1週間分すらない。たった3日だ。契約のときに口頭で「じゃあ君は月水金土の週4日、17時〜22時ね」みたいなことは言われていたと思うが、それすらもちゃんと守られているか怪しかった。勤務前後に先のシフトを確認するのが仕事のひとつになっていたし、実際確認してみると全然違う曜日、時間帯にシフトを組まれていることも多々あった。100歩譲ってもまだ足りないが、500万歩くらい譲ってここまではギリギリセーフとしよう。これ以上にキツかったのが、毎日シフト変更依頼のメールが届くことだ。シフトを組んでいる社員の人から、毎日、本当に毎日メールが来る。内容は必ず「この日出られますか」「この日23時まで伸びられますか」「この日16時から出られますか」といった内容だった。アホなのか?バカなのか?その日その日でいきあたりばったりでシフトを組んでやがる。これが精神的にキツかった。ただでさえ先のスケジュールが立てづらく窮屈な思いをしているのに、毎日「もっと働け」メールだ。嫌に決まっている。着信音が成るだけで心臓が早鐘を打つようになったし、未読メールがあることを知らせるライトが点灯しているのを見るだけでうんざりするようになった。バイトを始めて1ヶ月も経つころには、ノイローゼ気味になっていた。

ちょうどその頃は、多分僕が一番2ちゃんねるにハマっていた頃だった。毎日のようにJane Styleを開き、いろんな板、いろんなスレを見ていた。そのなかにあった書き込みに、バックレのコピペがあった。

S級バックラー
伝説の存在。給料と称して、売場の物やレジの金を強奪して消える
最強のバックラー。場合によってはブタ箱逝きであることから、
バックラーからも畏怖の対象として見られている。

A級バックラー
活力みなぎる若者の主流。トイレの便器から外れた位置にウンコをする、
売場を荒らす、勤務中に姿を消すなど、職場への迷惑行為をしてバックレる
漢の中の漢。世間からは概ね理解を得られぬが、その反骨精神溢れる姿は
一部からは熱狂的な支持を得ている。

B級バックラー
仕事を覚えて、職場の主力に近い立場を取得した後、消える。そのバックレ
効果は絶大であり、職場に致命的なダメージを与えることもある。忍耐力の
あるバックラー、という資質が必要となり、労働時間が長くなる為、C級
バックラーと比較すると少数である。

C級バックラー
入って数日、もしくは1,2週間で消える。職場への被害は極僅かだが、
バックラー本人の貴重な時間を無駄にすることなく、ストレスも最小限で
抑えられるため将来性バツグン。

ブロンズバックラー
即日消える豪の者達。わずか一日で職場を見極めなければならないため、
かなりの判断力は要求される。

ゴールドバックラー
数時間、あるいは数分で勤務中に消える。もはや幻。彼らは本当に存在
したのか?職場に、自信の存在を疑わせるほどの光速バックレ技術は
黄金聖闘士に匹敵。

引用元:https://hayabusa.5ch.net/test/read.cgi/news4vip/1347380483/

これ、やったろ。

既に荒みきった精神で、まともな判断はできなかった。普通に「やめます」でいいところ、わざわざバックれたのだ。懺悔します。いや、しない。今でもあの店は嫌いだ。

なかなかの恨みを持っていたので、できるだけ迷惑のかかる辞め方をしようと思った。そこで僕は、A級バックラーの項目にある「勤務中に姿を消す」を決行することにした。休憩時にバックれてやる。(そういえば休憩も30分を15分×2に分割してたけど、事務所まで2分くらいかかるからまともに休めはしなかったな……。そんなところも根深い恨みにつながっている気がする)

ある日の勤務中、いつものように休憩を回すために他の人、確か準社員の人がレジを代わってくれる。ククク、もう戻らないとも知らずに、バカなやつめ。ごめんなさい。あなたに罪はないですよね。幸い、休憩所には誰もいなかった。さっさとエプロンを脱いでロッカーに突っ込み、できるだけ迷惑をかけるためにロッカーの鍵をロッカーの隙間から中に放り込んでやる。よし、帰ろう。従業員の出入り口は裏の商品搬入口だから、レジ前を通る必要はない。あとは品出しの人たちとバックヤードで鉢合わせにならないことを祈るだけだが、どうせ他部門の人は俺のことなんて知りやしない。仮に見られたところで、体調不良で帰るとでも言い訳すればそれでいい。完璧だ。と、いろいろな可能性を考えて対応策も練ったものの、結局誰に会うこともなくスムーズに脱出することに成功した。僕のバックれはなんの問題もなく無事に終わったのである。

休憩に入って15分が過ぎたあたりから、携帯が鳴り始める。そりゃあそうだ。戻ってこないんだから。電話にメールにひっきりなしだ。その全てを無視し、友人にバックれたことを報告する。
「おつかれ」
そう言ってくれたことが、なによりも嬉しかった気がする。

ちなみに、給与が入らないことも覚悟していたがそこはしっかりと払ってくれた。当たり前だぞ。

バイトを辞めた、もといバックれた僕はしかし、新しいバイトを探していた。生活費と趣味のお金が欲しいというのは変わらない。ただこのスーパーがおかしかっただけだ。

タウンワークをめくり、めぼしいところに応募する。焼き肉屋か、まかないで焼き肉食えるんだろうな、キッチンは自信ないからホールかな。応募しよう。落ちた。バイトって落ちるんだ。今思えば、多分あの店のホールは女性だけだ。男が受けたって受かる見込みはない。でもまかないというのはありだな。食費が浮くぞ。そこで僕は飲食店に目をつけ始めた。スーパーのレジ打ちは経験があるというだけで別に好きな仕事でもなかったし、まあ前の職場がおかしかっただけだから他の店なら平気だろう。世間知らずの僕はそんなことを考えながら、激務と言われがちな飲食業界でバイトを探し始めた。そうして人生三度目のバイトを始めたのは、某飲食店だ。有名企業なので詳細なお店の名前は一応伏せよう。今となってはブラックで有名だ。

このお店は会社もでかく、しっかりと研修もしてくれた。なんなら面接も23区内のどでかいビルで集団面接を行った。所詮バイトの面接なのにここまで仰々しくやるなんて、という気持ちもあるにはあったが、「これが東京で働くということか」みたいな変な納得感もあった。そのときに一緒に受けた人、今なにしてるんだろう。元高校球児で、夢は自分のお店を持つことで、その勉強のために飲食店でバイトしたいんですなんて言ってたけど。ときどき思い出す。名前も覚えてないけど。

閑話休題。カッチリとした面接、しっかりとした研修を経て、いざ仕事開始と思いきや、まだである。応募した店舗とは別の店舗で、店舗研修というものが始まるそうだ。ここでもやっぱり「そこまでやるか?」という気持ちが顔を出してきたが、まあ最初だけだから我慢しよう。勤務初日、自転車で応募した店舗を過ぎ去り、ちょっと遠い店まで走った。年に数日あるかないかの、東京で雪が降った日のことだった。

この店舗研修が最悪だった。社員と思しき人はスパルタで、初日の僕がちょっとミスするだけで「なにしてんだよ」と舌打ち混じりに文句を言うし、それでいてまともに教えるようなことはしてくれない。「本部研修でやっただろ」と、それだけだ。そりゃやったさ。やったけど、本部でやる架空の客相手の研修と、実際にお店に出るのとでは勝手が違うだろう。ちょっとしたアドバイスくらいくれてもいいじゃないか。

仕事も多かった。あれもこれも、とにかく全部「お前がやれ」とくる。今思えばあれは、いわゆるワンオペになる可能性も考えてなんでもできるように「教育したつもり」だったんだろう。当時の僕はそれがわからず、そしてそれがわかっている今でも「皿洗いしながら床の掃除と客の対応と調理を同時になんてできるわけねえだろバカ」と思っている。

初日は午前中のたった3時間。それだけでヘトヘトになるほど疲れた。飲食店ってこんなに激務なんだなと思い知ると同時に、クソみたいな社員だなと思っていた。ちなみに、まかないは4時間以上勤務しないと出ないらしい。腹ペコなのに空腹のまま雪のチラつく道を自転車で走って帰ることになった。大変だ。大変だけど、明日が終われば次からは店舗で働ける。こんなクソ上司ともおさらばだ。それに仕事に慣れさえすればもうちょっと楽になる。どんな仕事も最初が一番大変なんだ。そう思えば、少しは頑張れた。のだが。

翌日はさらにひどかった。前日同様のスパルタ具合や激務もさることながら、もっとひどいことは別にあった。僕と交代で入る先輩バイトが1時間も遅刻してきやがった。寝坊だそうだ。しかもその人が来るのを、僕がわざわざ待って仕事をしなければならなかった。2日目のひよっこになかなかの仕打ちである。どうせ大した戦力にならないんだから帰らせればいいのに。100歩譲ってもまだ足りないが、500万歩くらい譲ってここまではギリギリセーフとしよう。ひどかったのは、やっぱりシフトだった。こちらでは打刻の仕方がTHE・ブラック(という言葉もまだなかった)だった。タイムカードなどというものはなく、勤務の開始時刻と終了時刻を紙に手書きをするという、超アナログ方式を取っていた。500万歩譲ってもまだ足りないが、1億歩くらい譲ってここまではギリギリセーフとしよう。問題はこの日のシフトの書き方だった。9時〜12時のシフトで、先輩の穴埋めに1時間延長。9時〜13時の勤務だった。だから僕はそのまま、終了時刻を13時と書き込んだ。そこにクソ上司もといクソ野郎から文句が入った。「そこ、12時な」

は〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜???????????
1時間余計に働いたんですけど????????????
クソ先輩バイトから謝罪もないんですけど???????????
アホなんですか????????????????

「まかないは出してやるから」じゃねーんだよ!!!!!1ばーかばーか!!!!!!クソオブクソ!!!!!!!

翌々日、店舗出勤の日、僕はやはりバックれた。勤務中に消えるとか考えることもなく、最初から行かなかった。A級バックラーだった僕が、C級バックラーにジョブチェンジした形だ。

友人にバックれたことを報告する。
「またかよ、まあおつかれ」
さしもの友人も少し呆れたようだった。

こうして、僕の人生二度目、三度目のバイトはいずれも短期間でのバックれという形で幕を下ろした。さすがに「このままバックれ癖がついたらやべえな」とは思っていたものの、もうブラック企業(という言葉はなかったが)で働くのはバイトでも願い下げだった。

とはいえ、やっぱりどうしてもバイトはしたかった。というより、お金は必要だった。「今度こそマシなバイト先だといいな」と思いながら、タウンワークをめくったり、求人の貼り紙を探して近所のお店を歩き回ったりした。そういえば、最近僕はよく本を読むな。本屋のバイトってどうなんだろう。楽しそうだけど、きついのかな。またバックれたくなったらどうしよう。ちょっと不安に思いながら、近辺で一番大きな本屋へ足を運んでみた。こうやって求人を足で探すのって、最近の子はしないのかな。でも時々貼り紙の求人って見かけるし、まだやってる子はいるのかな。話を戻そう。求人の貼り紙はあった。あったにはあったが、書籍売り場じゃなかった。5階建ての自社ビルだけあり売り場は広く、その最上階には書籍以外のもの、要するに文房具類の売り場があったのだ。少し思案する。本に触れたくて本屋で働きたいのか?本を売りたくて本屋で働きたいのか?いや、違う。本が近くにあればそれでいい。それならここでいい。売り場も静かで仕事は前回の飲食店に比べれば楽そうだ。ここに応募しよう。

そうして決まった人生四度目のバイトは、結局大学を卒業してもなおフリーターとしてそこに居着き、5年以上働くことになる。穏やかなスタッフが多く、客層も悪くないし、シフトもちゃんと1ヶ月分出ている。文房具も最初は全然興味なんてなかったが、触ってみると面白いもんだ。今でも時々買い物に寄っている。僕の1年後くらいに入ってきた後輩バイトくん、まだいるんだよな……。彼は就職とか大丈夫なのかな……。いずれにせよ、それだけ居心地の良いお店なんだと思う。

バックれ癖なんていうものはなかった。結局、人の幸福度なんてものは環境に依る部分が大きいということだ。幸福度なんていうとちょっと主語がでかいだろうか。とにかく環境は大事だ。環境が悪ければ、人は逃げていく。僕がそうであったように。もし僕がお店を持ったり会社を作るようなことが、万に一つくらいの確率であるとしたら、事業内容以上にそういった環境づくりを大切にしたいなー、なんて思ってる。まあ、起業する予定もないんだけど。そういう妄想、するよね。

以上、懺悔ならぬ文句でした。

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