放課後城探部 百八十二の城

天護先生が馬屋に行きたいようなので佐和山口多聞櫓の裏面に当たる二の丸駐車場の方向に向かう。

二の丸駐車場の前面にはお城の受付に当たる表門が見えていてそこに多くの観光客が集まっていた。

表門橋の前には人力車が陣取っており観光客を一人でも多く拾おうと努力して声掛けをしている。

そして橋の袂にはヒコ太郎のタイムスケジュールが掲示されていた。

訪ちゃんがそれを見て

「次は天守前で13時30分か・・・」

と呟いてスマホの時計を確認していた。

私もスマホの時計を確認すると現在の時間は11時頃だった。

ヒコ太郎は11時から活動しているのだが今がまさにその時間だし、どうせ会うなら天守前のほうが良いに決まっている。

私達にとってはヒコ太郎と天守で会うのが最も都合が良いのだ。

そんな事を考えていると先生が私達に

「こっちよ!」

と手を振って呼んでいた。先生の隣であゆみ先輩が馬屋を見上げていた。

そう言えば私達は馬のいない馬屋を見学するところだったのだ。

私達が今から見学する馬屋は現在は駐車場が併設されていてお城公園の入り口に最も近い場所になっていて車が所狭しと置かれていた。

ほとんどの人は車をその駐車場に置くとそのまま表門受付に向かうので馬屋に向かう観光客はまばらだった。

先生達はそんな静かそうな馬屋の入口の前でヒコ太郎に夢中な私達を待ってくれていた。

表門の前に置かれた馬屋の建物はかなり大きな建物でこれがどこかの武士のお屋敷だと言われても私は何ら疑いもしないだろう。

この厩舎でどれくらいの馬が養えるのかわからないが、相当の頭数の馬を養うことが出来たはずだ。

「無茶苦茶大きな建物ですね。」

私は素直に感心すると先生は

「そうよ、この規模の馬屋は彦根城でしか見れないはずよ。こんな滅多に見れない代物を見逃して直接天守に向かうなんて勿体ないわね。」

先生は車から表門に直行する観光客を横目に見てフリスケを口に放り込んでから

「ま、規模が大きいと言っても結局は厩舎だから、天守と比べてインパクトに欠けるのは仕方がないけどね。」

と冗談交じりにそう言った。

「それにしても馬屋ってお殿様や藩士が乗る馬を養っていたってことですよね。どこのお城にもありそうな施設ですが?」

私がそう質問すると

「明治の廃城令で全国の城の施設がかなりの規模で破壊されたわ。神風連の乱や萩の乱、秋月の乱、佐賀の乱などお城に依って反乱する士族が活用することを明治政府は恐れたのよ。重要でない施設は切り売りして櫓などに使われた材木は分解されて売りに出されたりもしたわ。当然厩舎などの施設は不要なものとみなされるから最も早い段階で廃材として目をつけられるから、思ったほど残っていないのよ。」

あゆみ先輩がそう教えてくれる。

神風連の乱だの萩の乱だの私は全然知らないけれど明治維新後にも武士は沢山反乱を起こしたりしていたのだ。

新しい政府に対する反発などもあったのだろう。

お城を攻略することになると一筋縄では行かない。

明治政府は士族にお城を占領されることがないように多くのお城を撤去したのだ。

馬屋だってその対象から免れられるはずはない。

そう考えると彦根城の馬屋はとんでもなく貴重なものに見えてくるのだ不思議だ。

いや実際貴重なものなんだろうけれども・・・

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