放課後城探部 二百九の城
以前に考えた計画だと西の丸三重櫓を見学した後は一度大手門まで戻って外周を黒門まで周回するルートを取ろうという計画を立てていたが先生の方からここまで来たらと言う事で、出曲輪から山崎山道の石段を降って山崎曲輪と西の丸の山腹にある登り石垣を見て黒門に向かうルートに変更することにした。
私達ももと来た道を再び戻るよりはと言うことで誰も反対意見を述べるものはいなかった。
出曲輪に入ってから思っていたことだけど天守から見る琵琶湖の景色よりも出曲輪から見る琵琶湖の景色のほうが視界が広いこともあってかとてもきれいに感じる。
時間も14時に差し掛かろうということもあってか陽の光も少し傾いていてより太陽の光が私にそう感じさせるのかもしれない。
遠くに見える小さな島なんかもなんだか旅っぽい雰囲気をより演出してくれて本当に来てよかったと思わせてくれた。
空は青く雲も少ししかない良い天気で琵琶湖は淡水だからかも知れないけど海と違って少し淡い青色をしているような気がした。
「琵琶湖がよく見えて良いですねぇ。」
頬に当たる風を気持ちよく感じながら私が呟くとあゆみ先輩が
「西の丸三重櫓は西の丸の重要な防御の櫓と同時に琵琶湖を監視する役割を果たしていたの。だから彦根城の中でも最も琵琶湖の景色を見渡せる場所に作られているのよ。」
そう教えてくれた。
琵琶湖に怪しい船が走っていればすぐに見つけられるようにしていたから琵琶湖を一望出来るように気持ちの良い場所に作られたのか・・・
どおりで見晴らしが良いはずだ。
「彦根城の堀は当然琵琶湖から引かれているんだけど、昔は北側の市街地は琵琶湖の内湖になっていて金亀公園付近は全て水の中だったのよ。現在の彦根城は陸地に囲まれているけど当時は背後が湖だったからより防御が強固だったわ。それに船が現在の楽々園付近まで入れるようになっていてそこで横付けできるようになっていたのよ。」
もともと内湖がお城に接していて船がお城に直接入れるようになっていたのはなんとなく安土城にも通じるような気がする。
琵琶湖の周辺に築かれたお城は重要な交通手段である琵琶湖とは切っても切れない関係で結ばれていたということなのだろう。
「それで内湖はどうなったん?」
訪ちゃんが聞くと先輩もそれについてはよくわかっていないみたいで
「先生、どうなったんでしょうか?」
と天護先生に問いかける。
先生は先輩から質問されたことで少し気分が高まったような雰囲気がした。
「あゆみも知らないなんて珍しいわね。大体は想像はついているでしょうけど干拓によって埋め立てられたわ。松原内湖というのだけれど琵琶湖岸の陸地を挟んで彦根城の背後を大きな堀みたいに守っていたのよ。今も湖があったらスタジアムや学校とか全部なくなっていたわね。」
「埋め立てたんか・・・安土城の時も少し思ってんけど、内湖なくしたんは勿体ないような気がするな。」
訪ちゃんは少し残念そうな顔をした。
訪ちゃんは水泳が得意だし海や湖とかも好きなのかも知れないな。
なんて思っていると
「残ってたら観光資源になってたかもしれんのに・・・」
とかなんだか現実的な話をしてきたのでこれはこれでなんだか訪ちゃんらしいなと思ってしまった。
「琵琶湖だけでも十分な観光資源でしょうよ。」
先生はそう言って笑うと
「それに当時は成長こそが優先される事項だったのよ。干拓が行われたのは戦中の昭和19年、お城ももはや過去の遺物と化していて、それこそ観光資源よりも物資こそ最優先されるべき時代だったわ。干拓工事が完全に終わったのは3年後の昭和22年、もう戦争が終わっていて戦後の食料需給に貢献することが出来たのは不幸中の幸いだったかも知れないわね。」
と少し遠い目をしてそう言った。
「そうかぁ、干拓にもそう言う事情があってんなあ。」
訪ちゃんも先生と同じように遠い目をしてそう言った。
「現在の私達だからあったほうが良かったのになんて無責任に言えるんだよね・・・」
私はしみじみとそう思うと先輩も
「そうよね。今の目線と昔の目線じゃ大きく変わってくるわ。時代も違うのだもの。無責任にあれは昔の人の間違いだったなんて平気な顔して言えないわ。だからこそ公平な目線で歴史は学ばないといけないのよ。」
私の言葉に同調して頷いてくれた。
私達4人は琵琶湖を眺めながら少しだけしんみりとしながら山崎山道をゆっくりと降っていった。