放課後城探部 百八十四の城
馬屋の内部は当然馬を飼育する為の建物というのもあって簡素だったがやはり規模が大きいということもあって簡素な中でも重厚な梁と柱を持った強固な作りになっており、飼育区画1つ1つには馬の排泄物を簡単に処理できるように中央にトイレが設置されていて掃除をする時は真ん中の穴に排泄物を捨てることで穴の内部に設置された壺のようなものに溜めて処理すると言う方法が取られていた。
周囲の梁には左右に4つの金属の輪っかがつけられていてその輪っかに恐らく木や綱を引っ掛けて馬が逃げないようにする工夫がなされていたのではないかと想像できる作りだ。
更に馬装具は周囲の梁に掛けられるようになっている工夫がなされていたりと現在の厩舎顔負けの作りになっていて、今からでも馬を用意すればそのまま機能させられるのではないかと思える。
外観が武家屋敷顔負けの重厚な漆喰壁に板張りの作りということもあって内部も板葺きの高い天井に区画一つ一つが想像よりも広く取られていて馬が窮屈じゃなさそうだ。
昔の馬屋が残っているということで昔の飼育施設だし、藁葺の簡素な作りのものを想像していたが想像以上にしっかりとした作りの建物を見せられて馬屋とはいえ侮れないと思わされた。
「この中で全部で21頭の馬を飼育することが出来たそうよ。」
天護先生が教えてくれると訪ちゃんが
「馬の大きさを考えたらとんでもない広さなんやな。作りも凄いしっかりしとるし。」
と奥まで見渡してそう言った。
「あんたもすぐにここで生活できるわね。」
確かに、訪ちゃんの小さな体だったら区画の中央で寝転がっても全然広く思える。
「うちは馬やないで!」
訪ちゃんはムッとしながらそう言った。
あゆみ先輩は先生と訪ちゃんの掛け合いを見てクスクスと笑って
「近くの大名庭園の玄宮園や琵琶湖近くの松原下屋敷に馬場があって普段はそこで調教されていたみたいね。馬術は武門の習いとして武士の間では剣術、弓術、鉄砲術、馬術と重要視されていたわ。井伊家は徳川家康の時代から井伊の赤鬼と恐れられていて、戦があれば先陣を切って戦う精鋭部隊だったから馬術にも特に力を入れていたのよ。」
「井伊の赤鬼・・・」
先輩の言葉につぶやくと赤鬼が金棒を持ってどっしりと構えているところを想像する。
「彦根の駅に井伊直政の銅像が建っていたでしょ。あの井伊直政が来ている鎧が赤い鎧なの。全身が赤で赤鬼よ。」
駅前の井伊直政像を思い出して鎧に色付けをしてみる。
真っ赤な鎧を着た直政が戦場に槍を持って勇敢に戦う姿が赤鬼という異名になったのだ。
「通常武将の3倍のスピードで戦場を駆け抜けたらしいで。」
訪ちゃんは冗談でそういったが3倍って?通常の武将がどのくらいのスピードで動いてたかわかんないよ。
「3倍って言ったら木曽馬の最高時速は40kmくらいだから重い甲冑を着た武士を乗せて120km近くのスピードで戦場を走ってたことになるわね・・・そんなスピードで先陣を切られたらどんな武将も逃げ出すわ・・・それだと井伊の赤鬼と言われても納得よね・・・」
先輩はそう言って訪ちゃんの言葉を真に受けて腕を組んでブツブツと言っているのを見て先生が
「やめなさい!この子は本当に歴史馬鹿でアニメとか全然詳しくないんだから、常に仮面をつけた謎の青年とか知らないから!」
「え~、あの人無茶苦茶有名人やで・・・」
二人の掛け合いに先輩はキョトンとしていて先生の言った通り訪ちゃんの言うアニメのキャラを知らないみたいだった。
ま、私もそのキャラは知らないんだけどね・・・
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