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さまよふ魂〜絵画完結編

気がつくとルーブル博物館の床に投げ出されていた。「何だよあのシワひげ爺さん乱暴に連れてきやがって」。頭がふらつき腰にも力が入らず大の字で寝たまま天井をボーッと見ていた。暫くすると、誰かの視線を強く感じて、ギクシャクと上体を起こしてその主に焦点を合わせた。「貴女でしたか。相手の心は見透かしているのに、自分の心は決して読ませない意地の悪い貴女に、また向き合うのが正直しんどいと思っていました」

レオナルド・ダ・ビンチは1452年4月15日にイタリアのフィレンツェ郊外で生まれる。この頃のイタリアは日本の戦国時代のようで、教皇領や小国に分裂し国家は統一されておらず政治社会の近代化は遅れていた。しかし一方で文化の先進国として、ルネッサンスが百花繚乱の時を迎えようとしていた。
レオナルドが生まれた翌年、東ローマ帝国の首都コンスタンチノープル(現在のイスタンブール)がイスラム軍マホメッドII世により陥落し、1,000年の間栄え続けたキリスト教世界の安定は一気に崩れ去った。その時多くのギリシャ古典学者がイタリアに亡命し特にフィレンツェの貿易で財を成した富豪メディチ家などがパトロンとなりギリシャ・ローマ古代文化の復興、ルネッサンスを支えた。

「万能の天才」レオナルドは自ら制作した楽器を演奏し、天文学、地質学、建築学、解剖学など幅広い分野に優れた功績を残した。当時フランス軍に攻め込まれる中、軍事技術者としてヘリコプターやグライダー飛行機、パラシュートの原型や、水中スーツ、火炎放射器など当時として画期的な発明を考案しミラノ公国に売り込んだ。また、歯車やボールベアリング、ポンプなど、未来に花開く夢のエンジニアリングデザインを次々と創作していった。しかし彼が生涯変わらず没頭し続けたモノは、絵画であった。ただ、その生涯に描かれた完成作品は僅か14か15点ほどしかないと言われている。何故か? “レオナルドは注文通りに描かない、かつ納期は守らない画家"として評判となり注文が極端に少なかったからである。職業画家としては失格であるが、頑固で完璧主義を貫くアーティストとして最高の才能の持ち主であった。

彼の天才ぶりは、たとえば19世紀に確立された黄金比(5:8の近似)を色々な絵の構図にすでに組み込んでいたり、遠近法や、スフマート法という輪郭が無く色の境目が分からないように柔らかく煙のようにぼかした緻密な塗り重ねを「モナリザ」で完璧に完成させていた。縦77cm横53cmの小さな木の板に描かれた一枚の油絵に対峙すると静かで重厚なエネルギーを感じる。それにしても何と波乱に満ちた絵であろう。1911年にルーブルから盗難されて2年間イタリア人のアパートに保管され、危うく闇のマーケットに売却される寸前に発見され戻される。1956年には酸を浴びたり、投石されたりした結果、防弾ガラスに納められる。だがそれ以降も赤色スプレーや素焼きのコップを投げられたり、神秘的な美しさへの嫉妬か、それとも情緒を掻き乱すその薄笑いのせいなのか受難は続く。

「貴女は本当は誰なんですか?」「もともとは、フィレンツェの裕福な商人の婦人、“Monna Lisa” 、“貴婦人リザ”であったはずでしょ」「でもその肖像画は完成せずに注文主に渡ることなくレオナルドが持ち歩き死ぬまで描き直し続けた」「そうでしょ?しだいに変わってゆくその姿は、慕い続けた母親なんですか?それとも秘密の男性の愛人なのか?はたまたレオナルド彼自身なんですか?」「一体全体あなたは誰なんですか?!」モナリザは、まるであざけるが如く憐れむが如く僕を見下ろしている。気がつくとゆっくりと薄い霧が視界の外側から広がってきて呼吸がしだいに苦しくなってきた。次第にかすんでゆく意識の中で、あのシワひげ爺さんが僕の首根っこを掴んで何か言っているのが聞こえた。しわがれ聲の主は確かにこう言った。「わしが描きたかったのはわしが愛した全ての人物の顔じゃ、このレオナルドが出会った素晴らしき人々の記憶のモンタージュ作品なんじゃよ」

気がつくと病室のベッドにいた。窓からはブラインド越しに強烈な西陽が差し込んでいた。誰かが窓際の椅子に腰掛けている。逆光で顔は見えないが誰かはすぐ分かった。今年小学二年生になった孫娘である。「おじいちゃん、ぐっすり寝ていたね。看護婦さんがお昼ご飯で起こそうとしてもちっとも起きず、モネが何だとか、ドガがどうした、とかうわごと言ってお医者さんも心配してたらしいよ。大丈夫?」「ううーんっ、ちょっと絵を見に出かけていたんじゃよ、シワひげ爺さんと」「何言ってんの、お爺ちゃん。それより私の絵を見てよ。夏休みの課題が全校の特選になって学校の踊り場に飾られててさ、それが今日帰ってきたのよ」
“宇宙旅行”という題名のその絵はキラキラと原色で光る星と、宇宙空間からから降りてきている梯子が地面に届き、その周りを緑色やオレンジ色の宇宙人達が囲んでいる。まるでナスカの地上絵にインカ帝国のインディオが色付けしたような見事な絵だ。
「凄いね、上手だね。お前はきっと有名な画家になる。じいちゃんは、国立新美術館かどっかに展示されたお前の絵を見るまで、もう少し長生きすることに決めた。神様、もうちょっと待っておくれ。いいよねっ!それと、レオナルド、世界で一番素晴らしい絵はどれか?あの世に着いたらゆっくり議論しよう、じゃあまたそれまで、チャオ❗️」

<さまよふ魂〜絵画編 完>




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