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さまよふ魂〜絵画編その八

セーヌ川沿いの古い宮殿のオレンジ温室であったオランジュリーはモネの『睡蓮』の連作を収めるために美術館に改造された。お目当ての睡蓮を見る前にどうしても見ておきたい一枚の絵がある。「モンマルトルのサンピエール教会」はパリで生まれ育ったユトリロ 31歳の作品である。サンピエール教会はモンマルトルの丘のサクレクール寺院の隣にひっそりと佇む。12世紀に建てられたロマネスク様式のこの古い教会をユトリロ は生涯にわたって描き続けた。

ユトリロの母ヴァラドンは恋多き女で、私生児ユトリロは祖母に育てられるが、飲酒癖の祖母にも影響され10代で重度のアルコール中毒に陥り精神病院への入退院を繰り返す。そんな彼の治療にと母親は絵を描かせた。のちに画家となるヴァラドンはユトリロ を身ごもっている頃にルノアールのモデルをしていた。ユトリロの父親は実はルノアールであるという噂が流れたが、結局は実の父が現れ否定される。母に褒められたいユトリロ は必死に絵を描きやがて絵も売れ始める。しかしアルコール依存症からはいっこうに抜け出せずにいた。
35歳の時にモンマルトルの居酒屋でモデリアーニと出会い交流を深めたが、わずか一年でモデリアーニは他界してしまう。ユトリロ は再び孤独の中で酒代を稼ぐためひたすら絵を描き続ける。52歳の時、母親の勧めで美術愛好家の66歳の未亡人と初めての結婚をするが、財産目当ての結婚は決して幸せな生活では無かったようである。55歳で最愛の母を無くしてからもユトリロ はモンマルトルをその独特の白色で丁寧に描き続けた。1955年享年72歳で生涯を閉じた彼の葬儀はこのサンピエール教会で静かに執り行われた。

そしていよいよ1階の“光の画家”モネ「睡蓮」の間へ。日傘をさす女性で有名な愛妻カミーユの死後、2番目の奥さんアリスと子供達と一緒にシヴェルニー村で一軒の家を借りる。その庭にセーヌ川支流の水を引き込み睡蓮の咲く池を作って生涯をかけたテーマに挑み始めたモネ46歳。初めは日本調の太鼓橋や色とりどりの睡蓮の花が描かれたが、様々な天候や季節に移ろう光の変化を追い求めるうちに、次第に水面に映る空や柳の影など形や色がはっきりとは定まらない対象が主役になっていった。

白内障を患いながらも、光の変化とリズムを追い求め、86歳でその命を燃やし尽すまでに実に250枚もの睡蓮の絵を残した。世界各地に散った睡蓮の絵も素晴らしいが、このオランジュリーの柔らかな自然光が天窓から降り注ぐ楕円形の壁に展示された8枚の連作は特別である。東から太陽が昇り柳を染め、やがて水面に睡蓮の緑が反射し、そして西に黒い水面を残して夕日が沈む。いつのまにか自分はモネの庭の池のほとりに一日中たたずんでいたような錯覚におちている。

近くで見れば単なる点の集合体は、何気ない自然の中に神々しいまでの美しさを見出したモネの感性により、鑑賞する者の心を映しだす。彼はこの“睡蓮の間”の完成を見ずして世を去ったが、生前に「この空間は、安らかな瞑想を行う為の隠れ家となろう」と予言しそれは現実となった。ほんとうにいつまでもここに居たい。

と、「いつまでボーッとしとるんじゃ〜」と安らかな瞑想をぶち壊すあの声。「シワひげ爺さん、せっかく心が全て満たされて、ここでもうあの世に行ける気持ちになってきたのに」「何じゃと〜、全て絵は見尽くしたじゃとぉ〜」「そうさ、モネの『日の出 印象』で始まったこの絵画の旅はモネの『睡蓮』で終わる。完璧な人生の終わり方だ。」「愚か者め、すぐ隣の美術館に世界最高の絵画があるというのに、こんな訳のわからん水槽の中で死にたいのか!」「はて、すぐ隣の美術館というと、そうかっ、ルーブル博物館があったね。でも中庭にヘンテコなガラスのピラミッドができちゃって興醒めだな。」「そんなことはどうでもよい、行くのか行かんのか!」「わかりました、行きますよ。でもどの絵が見たいか浮かんでこない」「うるさいわい、どりゃ〜」とシワひげ爺さんは左手で首根っこをつかむと右手で空間をひと掻きすると、、、

<続く>

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