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母の死

【母が他界しました】
9月24日。母が他界しました。
享年80歳でした。
コロナ禍で海外事業が停止して、大打撃を受け色々と大変だったこと。SNSでの人の言葉や発言が攻撃的で、
人間的に素晴らしいと思っていた方がフェイクニュースに囚われ、根拠なく他人を攻撃したり。
言葉も軽く見えたり、色々なものが虚像に見えたりで生々しく。
敢えて、最近はfacebookにアクセスせず。
更新しておりませんでした。
ただ、自分へのリマインドも兼ねて投稿致します。
9月24日14:01分母が逝去しました。
釧路市の労災病院でした。
先月末から目眩がひどいと言う事で、
病院で検査したところ。直ぐに入院。
ラープス病と言う世界で70名ほどの症例の血液の病気の可能性が高いと宣告されました。治療途中、抵抗力が下がっていたので。そこから感染症を併発して、
敗血症ショックで他界しました。
自分が東京から駆けつけて。
病床に到着して数分後に亡くなりました。
ギリギリまで待ってくれていたようです。
血圧や心拍数が握った手の平からなくなっていく
感覚を知りました。
信じられない気持ちと、
何かを残したい気持ちがあり、
不謹慎とは思ったけれど。
握った手の写真を撮っていました。
そんな中で、感謝なのは。
コロナ禍で、
ほとんどの方が最期の瞬間に立ち会えない中。
病院の配慮で、病室に兄弟全員を
いれていただき看取ることが出来たことです。
特に医師と看護師さんのはからいで、
血圧がはかれないほどの状態だったらしいのですが。
自分の飛行機の便にあわせて、
母も、医師の方も看護師の方も。
最期まで頑張ってくれていたとのこと。
感謝しかないです。
母は戦後満州から引き上げ、
4人の子供を産み。
育て上げてくれました。
母から聞いた話は、今思い出しても
信じられない程の苦労の連続で、
色々な経験をしている自分から見ても、
その経験は波乱万丈としかいえないものでした。
その頃の思いからなのか。
明るく、人に優しく、人の悪口を今まで一度も聞いた事がありません。釧路は天災が多い街ですが。
地震や災害があっても、
家族の安否を確認したら、
すぐに近所の人の状況を確認に飛び出すような人でした。
母の知人友人みんなが
「まり子さんには感謝してるんだ」と言ってくれる。
一度、耳の聞こえない人にあって、
助けられなかったことがあった時の悔しさに。
しばらく手話の本を持ち歩き。
勉強して、たまたまあった聴覚障害の人の案内が出来た時に。
役に立てたと喜んでいたこともありました。
いつも挑戦。いつも行動優先。
人に上下をつくらず。全ての人に愛を与えてくれていました。
出来なかったのは整理整頓くらい(笑)
そんな母でした。
最後も苦しむ事なく。
残された家族にも、少しの苦しみを与える事のない。
見事な死際でした。
自分の母の事をいうのは変かも知れませんが
朗らかに人生を生き抜いた顔をしていました。
母はここ数ヶ月。
今の私は人生で最高な幸せだよ。
と言い続けていました。。。
自分の死期をなんとなく察していたのかもしれません。
ありがとう。。。そしてお疲れ様でした。
通夜が本日。
葬儀などはこれからですが。
母の追悼をしようと思います。
生前。
オペラ歌手のうちの奥さんの生の歌を常々聞きたがっていました。
その中でも好きな歌と話していた
「お母さん」という歌と。
子供のために作詞作曲した「ママになった日」という歌を。
母に告別式でプレゼントしてもらおうと思います。
最高の感謝をこめて送り出したいです。
ただでさえ不透明な海外の処理などで最近忙しく。
色々ご迷惑をお掛けしていますが。
更に迷惑をお掛け致します。
申し訳ありませんがよろしくお願いします。

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