見出し画像

【自称 運のいい人は本当は運は良くない】

「なんで、岩間さんばかり、いろいろな人に出会ったり、大御所から好かれたりするんですかね?
学歴も無いし、大したことないし、見てくれも悪いのに。
俺の方が全体的に優れているし、運がいいはずなんだけど。」
※最近の実話(笑)


と真顔で言われました。 その後いろいろと話をしました。
「自分(私)は運がいい」という人を話していると、

その大半が「自分が幸運」という結果だけに注目して
自分に起こる全ての物事を「幸運」だけで解決してしまっている事が多い気がします。

つまり自己中心的考えの人が多いのです。
全ては「自分の運」のおかげでうまく言ってると本気で思ってる。
そうなると目の前のご縁に感謝出来ない。
他人は自分のおまけと考えている事が多くなる。
そんな気がしました。

実際の幸運は、
その「何かのキッカケ」をつくってくれた人がいてくれたからこそ起きた出来事で。決して
「自分の運が強運だったから起きた出来事」
ではないことをわかってない場合が多いのではという気がします。

かといって、
そんな自分も誰かに聞かれたら

「運がよかったから」答えることは多いです。
なぜかというとそのご縁を説明するのが面倒だから。

でも実際は、
「あー、この出来事に行き着いたこの人との出会いは、
あの人がこのタイミングで紹介してくれたから発生したものだから、次に会う前にこういう事があったと報告しないとなぁ。

「この人がこういうふうに自分を評価してくれたのは、
あの時のあの体験があったからだったなぁ。次にあの人にあったら感謝しないとなぁ。」

まずはその結果に行き着いた、
御縁に感謝をする事を大事にしています。

決して、自分の運が導いてくれたのではなく。
人の御縁が「良いことの結果」に導いてくれているんだと。
自分はいつも考えています。だから運のおかげとは思わず。
遡ってそこまでに関連してくれた全員へ感謝の念を抱くようにしています。

だから幸運なんて、そもそも良い御縁と他人の努力の結果であって。プロセスを分析したら、自分の幸運なんて存在しない。

あるのは出会いと御縁をつないでくれた「人」だけだと思っています。
だから「自分は幸運だから」と本気で思っているだけの人には他人への感謝が無い気がしてならないのです。

だから人の縁が次に続かないんじゃないかなぁって思ったりします。
目の前の一見幸運だと思えることは自分の運で得られたものではなく、
誰かの御縁で得られたものだと真剣に感謝することが結果として、本当の運を得られることではないのかな?と思います。

つまり目の前に良い出来事があったときは。
その出来事のきっかけをつくってくれた人に素直に感謝する。

旅行に行った先の幸運は、旅行を行くキッカケを作ってくれた人に感謝する。井戸から水が出ての生活が幸せならば、井戸を掘った人に感謝する。

昔の人は銅像をたてたり、記念碑を作ったり、過去の偉業にも感謝していた。

でも今の人は「コストがかかる」と銅像や記念碑にもケチを付ける。
最近の日本はそんな国になってきています。

こんな日本では社会は良くならないんじゃないかなぁ。と思うこともあります。


運に感謝する前に、自分の目の前の人に感謝する。
目の前の人を繋いでくれた人に感謝する。
それが最高の運を得る「源」である気がします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?