
「マネル(manel)」(男性ばかりカンファレンス)への言説について
おそ松兄弟も個々に異なるように、スーツ男性が並んでいても多様というのは、当然でありそれが当たり前として一人一人が自分のあり方を阻害なく発揮できる社会は理想です。その理想は忘れてはいけない。
でも現在は、理想にむけて歩みたいのに声を奪われている人がおり、席を与えないシステムがある。
そんな現状をふまえ前進するために当たり前をどう作り変えるか、に尽力しているのに、そんなこと耳目があれば知覚しているだろうに、初めてダイバーシティと聞いたおじさま(既得権益側)が残業後の居酒屋やタバコ部屋(既得権益的溜まり場)で得意げに話すようなことを言われても、、萎える。
そもそも山口周さんは、社会変革のきざはしを示すことで人気がおありだろうに、こんな凡庸なこと書いて大丈夫なんだろうか。逆に、開明的なことに従事してる人がジェンダーがからむと旧態依然になる、ジェンダーバグりという流行りを体現してみせているのかな?