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『Eggs 選ばれたい私たち』感想/「エッグドナー(卵子提供)」・LGBTへの差別偏見、マイクロアグレッション・女性の貧困・エイジズムなど、テーマ盛沢山
「エッグドナー(卵子提供者)」をテーマとした映画『Eggs 選ばれたい私たち』を観てきました。まだもやもやとしている中での、とりあえずの僕の雑感メモです。※ネタバレばかりです、すいません。
複合的というか、多くのトピックや視点が盛り込まれていると思ったし、登場人物の誰もが良い面もあるけど嫌な面もあるし、正解も幸せな道も見えないし(一応はいい感じのラストにはなっているけど)、という受け取りの難しい映画だと思いました。
だから感想や論点を絞るのも難しいし、見る人や見るタイミングで刺さる部分が違うのだろうなと思います。複数人で見て、話しあうのにはいいかも。
「エッグドナー(卵子提供者)」が注目され、核にはなっているけど、そこのみに焦点を当てた作品ではなくて、エッグドナー登録を契機として浮かび上がってくる女性たちの悩みや揺らぎ、生きづらさ、生きづらくしてくる圧力をごった煮のように盛り込んだ、複合的・複眼的な映画だと思いました。
監督さんのトークをお聞きしたら、当初30分程度の作品だったものに追加撮影を何度かしていって今の形になったとお話しされていて、だからいくつもの課題感が折り重なって盛り込まれた複合的な映画になったのでしょうか。
生きづらさをとても誠実に描いているから、渦中で苦しんでいる方には観るのがつらかったり、バックラッシュをおこしてしまう懸念もあるかもしれないと思います。
レズビアンの従妹が主人公の家に転がり込んできたときに、「そういうの偏見ないから」とか「差別されてるって意識しすぎ」とか(正確なセリフではないですが、そんな感じのこと)を言われるのが、まさにリアルにセクシュアルマイノリティ(だけではなく他のマイノリティの方も)が受けているマイクロアグレッション(日常の中のなにげない差別や偏見の言動)そのもので、観ていてつらくなりました。
「私は〇〇なんだ」とカミングアウトをされたときに、「そういうの気にしないから、偏見とかないから」と言ってしまう人は多いかと思うのですが、きっと言われた方は「”そういうの”って何だよ、”偏見ない”って、偏見がある前提かよ、、」って感じている、でも相手は好意で言っているはずだし、荒だてたくないので言い返せない、、という状況がたくさんあることは忘れてはいけない。
映画はそこらへんも描いていて、従妹は当初は我慢してもやがて暴発して、でも結局は主人公などと分かり合えたかというと疑問で、リアルでした。主人公も準主役の従妹も悪い人ではないけど、いい人ともとても言えない、という人間らしさをしっかり描いているなあと思います。
エッグドナー(卵子提供)についても、お金目当ての志望者の声が冒頭から出てくるし、富裕層が高額のお金を出して、仕事や生活が安定しきらない経済弱者の主人公たちから卵子を買う、そのためにドナーを選ぶ、ドナー側は選ばれるように頑張るという、なかなかグロテスクな構造も描かれていました。
ドナーに選ばれるために、笑顔の写真をとったり、健康的な食事をしたりして選ばれるように主人公と従妹が明るく頑張るシーンがあり、その明るさの背景を考えるとゾッとする、すごいシーンだな、、と思います。
ドナーになって得られる金額と、生涯でかかる生理のナプキン代を比較するシーンとか、ドナーに選ばれた従妹が金回りが良くなり、元彼女にお金を渡そうとしたり、主人公に2つ(クリスマスと誕生日)プレゼントを買ってくるというところとか、経済というか金銭に換算され支配される人の生命という世知辛さが浮き彫りになって、何とも言えません。
会社のシーンで女性用の制服があったり、スーツ姿の男性たちから主人公ら女性たちが「お茶!」とか言われたり、というのはあまりに前時代的紋切り型だろう、と一瞬思ったのですが、まだまだそういう冗談みたいな会社も多いですよね。
卵子提供を自分の親(母親)に話すか、ということがポイントとなっていましたが、そこの重要性はいま段階の僕にはあまり迫ってきませんでした。でも意図はわかります。
そんな感じの、メモ乱文の映画感想でした。
観てみるといいよ、この映画をもとに複数人で話すといいよ、とは思いますが、先述のようにつらい思いを助長したり、バックラッシュをおこしたりする可能性も感じるので、安易に人にお勧めはしにくいなあ、、、と思います。それだけリアルで迫る映画だということですけど。
女性のキャリア・生き方を追っていくと、こんな苦しい映画ができてしまうのが今の日本社会なのだなあ、、ということでしょうか。
ラストシーンの、あり得たかもしれない自分の可能性の幻視を見ながらも今の自分を受け入れる感じは、美しいです。
テアトル新宿で上映中、他でも順次公開されるようです。
※こちらはあくまで僕の感想なので、観る人によりだいぶ違うと思います。FRaUさんの監督さんインタビュー記事は下記です。
※補記
映画でのレズビアンへのマイクロアグレッション、当事者がそれを嫌悪しながら我慢したり反発したりがリアルだし(役者さんがんばってる)、結局その点は何も解決しないまま終わる感じなので、差別偏見容認、マイノリティは我慢しろという映画ではない、と僕は思いました。
さらにラストのいい感じの海のシーンで実はいきなりエイジズム(とルッキズム)が出てきて、主人公たちが結局は旧態依然の社会通念というか圧力というか呪いから逃れられていないことはよくわかるので、バッドエンドとも観れると思う。怖い怖い・・。