音楽のジャンルの違いは方言の違いに似ている
時々「クラシックの人にジャズはできない」とか「ジャズの人にクラシックはできない」みたいなことが言われるような気がします。その一方でウィントン.マルサリスやアレン.ヴィズッティのようにどっちも軽々とやっちゃう人もいます。なんででしょう?
それは、ジャンルやスタイルの違いというのは言語における方言の違いに似ているからではないかと思います。昭和の時代にはマニアックなジャズファンの間ではブラインドフォールドというのがありました。黙ってレコード聞かせて誰が吹いてるかを当てる、というものです。今は教育によってかなり平準化されつつありますが、20世紀中期くらいの録音だと「これは黒人、これは白人、これはヨーロッパ」みたいな聴き分けが結構できたんです。また、クラシックトランペットの巨匠モーリス.アンドレが出したジャズのレコードは、リズムセクションはジャズだけど御大のプレイはジャズっぽく聞こえないんです。同じようなフレーズを吹いているのに、です。指揮者やディレクターがオケやバンドを指導するときに歌うときの節回しを考えてみましょう。もう全然違いますよね。ルイ.アームストロングとディジー.ガレスピーのスキャットの違いはそのままジャズのスタイルの違いに直結します。音楽には方言があるんです。人によってはMusical Dialectという言葉を使う人もいます。言葉と同じです。関西言葉を知らない俳優さんの関西弁のナレーションを聞いた時の違和感みたいなものがアーティキュレーションの違いとして音楽上に出ちゃうんです。これは特に管楽器奏者には重要な問題です。クラシックやジャズで世界的に活躍しているミュージシャンの大半はリズムセクションや弦楽器です。管楽器はほとんどいません。リズムセクションや弦楽器は「楽器のタッチ」だけですが、管楽器には「発声」が伴います。つまり、その音楽のスタイルに合ったアーティキュレーションができていないとダメ、ということなのではないかと思うわけです。言葉のコミュニケーションだったらカタカナイングリッシュでもなんとかなりますが、音楽ではそうはいかないのだと思います。この音楽にある言語的な側面が忘れられてるのは問題ではないか?と考えて、去年くらいから音声学の本を読み始めました。ここはもう少し掘り下げて学びたいところです。