
ももいろクローバーZ 7thアルバム『イドラ』を考察する
◻︎提供スポンサー
ハイッテイル株式会社
Mofuwa
こんにちは。哲学チャンネルです。
哲学チャンネルの聖地であり、スポンサーのハイッテイル株式会社社長との出会いの場である楓天。この店の店主は、まごうことなき「ももクロ」クラスタです。
今日は一日これですね。素敵な曲を作ってくれた剛さんと。
— 楓天 (@satokusoo) January 11, 2024
めでたい!久しぶりに明るいニュース❤️https://t.co/fFVqw6RB67 pic.twitter.com/VzcUsCPYgS
ちなみに、私は「ももクロ」を特別好きなわけではありません。初期の頃の歌しか知らないぐらいのペーペーです。
・・・なのですが、先日楓天の店主からこんなメッセージをいただきました。

ほう・・・
”イドラ”ですか・・・
ということで回答に変えて、ももいろクローバーZ 7thアルバム『イドラ』のジャケ写について考察してみたいと思います。
まずはじめにイドラについて整理しておきましょう。
イドラとは、16世紀のイギリスの哲学者フランシス・ベーコンが提唱した人間の偏見を表す概念です。(ちなみに彼はこの偏見を帰納的方法論で証明している)
イドラはラテン語で「idola」と書きます。この綴りに何か見覚えはないでしょうか。そうです。「idola」は「アイドル」の語源なのです。そして「idola」の意味は「偶像」です。まさにアイドルを表すような概念なのですね。さらにアイドルを表す概念で偏見を表現していることに、皮肉を感じざるを得ません。
ベーコンは、大きく4つのイドラを挙げました。
①種族のイドラ
→先天的感覚における錯覚
②洞窟のイドラ
→後天的感覚における錯覚
③市場のイドラ
→言語の共影響による錯覚
④劇場のイドラ
→思想家の間違った主張によって現れる錯覚
このように、人間は頻繁に間違えるのです。だから、その「間違える」という事実を考慮して探究に取り組まなければならない。人間が陥る思い込みを全て取り除かないと真理には辿り着けないから、真理へ向かうためには何よりも「観察」や「経験」における客観的データが必要である。ベーコンは、このように考えたのですね。
この主張は、ロックやライプニッツに引き継がれ、イギリス経験論に繋がっていくことになります。
昔に動画で解説したものがあります。ご興味のある方は参照ください。
さて。イドラの簡単な整理が終わったところで、該当のジャケ写を見ていきましょう。

まず一つ・・・
絶対になんらかの錯覚が用意されている!
これは間違いないでしょう。
ですが、いくら目を凝らして見ても錯覚らしき箇所は見つけられませんでした。(メンバーが実は別人?とか思ったけど、最近の彼女たちの風貌を知らないので確認不可)
ここについては集合知が必要です。もし何かお気づきの方がいらっしゃいましたらぜひ教えてください。
余談ですが、ベーコンが著し、イドラについても言及されている『ノヴム・オルガヌム』の表紙がこちら。

ジャケ写のロゴには明らかに『ノヴム・オルガヌム』の気配がありますね。

次に目につくのは「青い蝶々」ですね。

おそらく、これは荘子の『胡蝶の夢』がモチーフになっている表現でしょう。『胡蝶の夢』は、蝶になった夢を見た男が「夢が現実か、現実が夢か」曖昧になってしまうというエピソードで、この寓話から「現実におけるさまざまな概念の儚さ・曖昧性・不確かさ」を読み取ることができます。まさにイドラ的な観念ですね。
アイドルという存在の「儚さ・曖昧性・不確かさ」を演出した表現なのかもしれません。
同時に気になるのは蓮華の色ですね。

紅蓮華はヒンドゥー教における女神ラクシュミーと夫ヴィシュヌ神の花とされています。また、青蓮華は仏教において菩薩の目に例えられます。これはたまたまなのでしょうか。
そういえば背景の神殿チックなものからも、ギリシャ神話的な気配を感じることができるし

桜も神道と切っても切り離せない存在だし

十字架があるといえばあるし・・・(これは流石にこじつけ)
(もっと言えば、真ん中の像は聖母像に見えるんだよなぁ)

そうなるとジャケ写右側にある謎の花は、マホメットが作ったとされているゼラニウムなのではないかと・・・(これも大分こじつけ。色がちょっと違う。普通に彼岸花か。)

ジャケ写右側の大木が菩提樹なら完璧なんだけどなぁと思いましたが、その判別はつかず・・・

以上を総合して考えると「さまざまな宗教的なモチーフを盛り込んでいる」と言っても間違いではない気がします。では、それはなぜ行われたのか。
普通に考えたら、宗教と偶像の関係を表したかったから。となるでしょう。
そういう意味で、このジャケ写では「イドラ」よりもむしろ「偶像」がテーマとして掲げられているのではないかと考えます。
私はももいろクローバーzの歴史や特徴をあまり存じ上げていませんが、デビュー当時のなんとなくの印象から「アイドルらしからぬ、タブーを持たない集団」というイメージを持っていました。(確かデビュー当時は「週末ヒロイン」という打ち出し方でしたよね。それも新しい。)
それはある種、アイドルという「偶像」に対するアンチテーゼであり、新しい「偶像」の創造でもあるのではないでしょうか。(知らんけど)
今調べたら、彼女たちのデビューは2008年とのこと。今年で16年目になるのですね。すごい。
「イドラ」は「アイドル」の語源です。
新しいアルバムにイドラという概念を持ってきたのには「原点回帰」という意図があるのではないでしょうか。アイドルという偶像概念を原点回帰させ、また新しい”アイドル像”の創造がはじまる。そんな意気込みが、今作のジャケ写から見て取れるような気がします。(知らんけど)