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2021.07.23 沖縄完全制覇弾丸ツアー「ゆいレール」
ゆいレール(沖縄都市モノレール)は日本最南端の鉄軌道(索道まで含めると、さらに南の宮古島にリフトがあります)。沖縄の玄関口・那覇空港から、那覇市中心部を貫き、世界遺産・首里城の近くを経由し、浦添市のてだこ浦西までを結んでいます。 戦前は県営鉄道や路面電車などが走っていた沖縄県ですが、バスとの競争に負けたり沖縄戦の犠牲になったりして、沖縄の本土復帰後も(沖縄海洋博で日本初の新交通システムが期間限定で営業したのを除いて)長らく「公共交通機関としての鉄道」はないまま。構想自体は本土復帰直後からあったものの、具体的に事業着手したのは1996年、ゆいレールとして開業したのは2003年になります。 開業前は「クルマ社会の沖縄で、どれだけ乗ってくれるか判らない」と否定的な声があったようですが、いざ開業してみると、渋滞知らずな上に眺望の良さも相まって、なかなかの盛況。2015年度からは経常利益が黒字に、2016年度以降は最終損益が黒字になりました。乗客数も、2両編成ではラッシュ時にぎゅう詰めになるほどで、今後3両編成対応の工事と車両増備が行われることになっています。 ただ、沖縄という地域特性ゆえ、観光客の多寡により業績が上下するつらみはあります。インバウンド需要を含め観光客が多いうちはいいのですが......昨年(2020年)来のコロナ禍でダメージを受け、各駅の乗客数は2019年度の半分近くかそれ以上(とくに那覇空港駅は7割減)に落ち込みました。とはいえ、今回乗車した限りでは、日中でも「実需(沿線住民の利用)」は手堅くあるように見受けられましたので、収入が減っても3両編成対応は進めなければならないのかもしれず、厳しい事業運営を迫られそうです。 観光客目線で感じた疑問がふたつあります。 ひとつは、バスとの連携が「案内上も実際の接続上もよろしくないのでは?」ということ。例えば、私は本作撮影後に首里城公園に立ち寄りましたが、どのバスに乗り継げばいいか判りにくいし、首里城公園入口の最寄りを通るバスの本数も少ない(毎時2本程度)。これだったら、ゆいレールの絡まない別のバス系統に乗るかタクシーを使うだろうなと。 もうひとつは、車内のアナウンスで「**へお越しの方は、次の@@駅でお降りください」といった案内がないこと。これはさすがに不親切。朝夕の通勤時間帯は端折ってもいいですから、日中は観光案内も織り交ぜてはどうかなと思いました。 ゆいレールさんにとって、コロナ禍の今は辛い時期でしょうが、何とか乗り切って、再び威勢のいいところを見せてもらいたいと思います。
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2021.07.16 関東甲信越完全制覇(最終夜)④「箱根登山鉄道《下り》強羅→箱根湯本 前面&後方展望 on モハ1形+モハ2形」
箱根登山ケーブルカー制覇からの帰り道、強羅での乗り継ぎを1本落とし(理由:乗り継ぎ時間が3分と短かったことと、複数の「賑やかな団体」がその列車に乗り込んだこと)、静まりかえったホームで待つこと十数分。やって来たのは、オールドタイマー「モハ1形+モハ2形」でした。 「オールドタイマー」といっても、吊り掛け駆動式の車両は2019年にすべて引退しており、台車と駆動方式を更新(カルダン駆動方式に変更)した車両だけが残っていますが、モハ1形(104-106)は1919年生まれ、モハ2形(108)は1927年生まれ(どちらも、1950年に複電圧対応改造等更新済み。そのためか、車体横の銘板表記は「昭和25年 汽車會社 東京製作所」となっています)。今となっては唯一の非冷房車であることと相まって、まあ「オールドタイマー」と呼んでも差し支えないと思います。 箱根湯本への下り坂に乗車したためか、モーター音などの迫力に欠けるところはありますが、室内の雰囲気など、昔ながらの「登山電車」風味を味わいたいなら、何列車か見送ってでも、モハ1形+モハ2形を選んで乗ってみてもいいでしょう........というか、3000形「アレグラ号」あたりが増備されたら、代わりに引退することになるでしょうから、今のうちに乗っておくことをお勧めします。
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2021.07.16 関東甲信越完全制覇(最終夜)③「箱根登山鉄道 箱根登山ケーブルカー(鋼索線)」
箱根登山ケーブルカーは、日本で二番目に古いケーブルカー(一番古いのは、現在の近鉄生駒ケーブル 宝山寺線)。高低差214m、最大勾配は200‰と、ケーブルカーとしては「緩め」ですが、箱根登山鉄道・箱根ロープウェイと連携し、箱根・芦ノ湖観光のメインラインとなっています。 日中は毎時3本の運行ですが、多客時には臨時便も出すそうで、その場合は途中駅に止まらない「直通」として運転されるとのこと。そのためか、現在の車両(2020年、台車のみ先代から流用して新造)の座席がロングシートなのが特徴的です。 設備全体も2019年から2020年にかけて更新されました。特に早雲山駅は「ここがケーブルの駅か」と思えるぐらい現代的でピカピカです。ホームドア(昇降式ホーム柵)のあるケーブルカーの駅はここぐらいではないでしょうか。検修設備も兼ねているそうで、天井と床下の構造がそれを表しています。 月曜日のお昼頃ながら、登りも下りもそこそこの乗客がいました。さすがは箱根。これが週末とかだったら、車内はもっとうるs........賑やかになっていたことでしょう。
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2021.07.16 関東甲信越完全制覇(最終夜)②「箱根登山鉄道【登り】箱根湯本→強羅 前面&後方展望 on 1000形「ベルニナ号」」
初めて箱根登山鉄道に乗ったのは1989年3月。乗車したのは本作と同じ1000形「ベルニナ号」。しかし、こちらも強羅から先、早雲山までのケーブルカーをまとめて乗車しておかなかったのが悔やまれます。さらには、東京在住の間にでも、日帰りで潰せたというのに。 今さら過去の自分に文句を言っても仕方ありませんので、関西へ戻る前の最後のひと仕事として、久しぶりに箱根登山鉄道に足を踏み入れます。せっかくですから、登山電車の往復とも前面&後方展望を撮り下ろしておくことにします。 30年あまりの間に、箱根登山鉄道自体も大きく変わりました。最大の変化は「箱根湯本での系統分離」。登山電車が箱根湯本止まりになった代わりに、小田急の1000形4連(専用ラッピング車)が小田原と箱根湯本の間を往復するようになりました。これに関連して、箱根登山鉄道の名物でもあった「標準軌(登山電車)と狭軌(小田急乗り入れ)の三線軌条」が、入生田ー箱根湯本間に短縮されています。営業列車が箱根湯本駅構内のデッドセクション(登山電車側750V・小田急側1500V)を通ることもなくなりました。 あと、利用客の増大で、3両編成での運転が基本になったのも、この30年での変化です。本作で乗車した「ベルニナ号」も、2000形「サン・モリッツ号」から中間車を引っこ抜いた上で、3両編成化+冷房化が行われています。 そういえば、2019年の台風19号により、当線も甚大な被害を受けました。運転再開したのは、翌年(2020年)の7月23日。一番ひどかったのは大平台ー小涌谷間で、本作中で見るからに真新しい擁壁が目立つところが被害箇所です。
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2021.07.16 関東甲信越完全制覇(最終夜)①「大山観光電鉄 大山ケーブルカー(大山鋼索線)」
「大山」......関西というか西日本の人間なら「だいせん」と読んでしまいそうですが、こちらは「おおやま」。丹沢大山国定公園に属する、神奈川県有数の観光地のひとつであり、日本三百名山や関東百名山のひとつでもあります。 大山ケーブルカーは、江戸時代から庶民の信仰を集めた「大山講」で賑わった「大山阿夫利(おおやまあふり)神社」への参詣の便を図るために建設されました。延長 0.8 km、高低差 278 m、最急勾配 477 ‰。戦時中は不要不急路線として廃止され、1965年に復活した歴史を持ちます。現在は、小田急グループの大山観光電鉄が運営しています。 その流れで、現在の車両は小田急ロマンスカーVSE・MSEや、箱根登山鉄道のアレグラ号のデザインを手がけた岡部憲明により設計されたもの。ドーム状の屋根や大きな窓、外装のストライプ、細かいところでは「OYAMA CABLE」のレタリングも、ロマンスカーの意匠を踏襲しています。約50年使い込んだ車両の後がまということを含みに入れても、小田急がこのケーブルカーを重視していることがわかります。 訪れたのは月曜の朝。しかし発車直前には、私以外に10名以上の乗客がいました。山登りというのは軽装っぽいので、おそらく大山阿夫利神社への参詣客(大山講 または 大山詣り)でしょう。折り返しは、私一人で貸し切り状態でした。 そして、麓の大山ケーブル駅までは、伊勢原駅からの神奈中バスで30分ほどの「大山ケーブル」バス停から「徒歩15分」......と公式ホームページにはありますが、両側に土産物屋や旅館が並ぶ参詣道「こま参道」の階段は362段。健脚でならした方なら楽勝でしょうが、そうでない方にはかなりの苦行です。乗りつぶしで訪れる皆さまは、登りも下りも、時間の余裕を見ておかれることをお勧めいたします。
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2021.07.09 関東甲信越完全制覇(第四夜)②「筑波観光鉄道 筑波山ケーブルカー(筑波山鋼索鉄道線)」
筑波山ケーブルカーは、関東で二番目に古いケーブルカー(一番古いのは箱根登山ケーブルカー)。延長1.6km、高低差495 m、最急勾配358‰。筑波山の西方の峰を、男体山山頂近くまで登ります。筑波山頂駅から、女体山の頂上(ロープウェイの女体山駅がある)へも歩いて行けます。 線路は途中西方へカーブしており、カーブ途中に交換設備とトンネル(長峰トンネル、全長118m)があります。この長峰トンネル、斑れい岩(すべて結晶(鉱物)からできている、細粒~粗粒の硬い岩石。ハンマーでたたいてもなかなか割れない)を通過するため、難工事となったそうです。 あと、本線ならではの特徴として、車内電源用の架線がないことが挙げられます。近隣(石岡市)所在の気象庁地磁気観測所での地磁気観測に影響を及ぼさないためであり、車内電源は車載蓄電池で、自動ドア作動用の電源は駅構内に設置した第三軌条(交流100V)から給電している由。本作中で、どれが第三軌条なのか、探してみてください。 なお、麓の宮脇駅へは、TXつくば駅からのシャトルバスで40分の「筑波山神社入口」バス停から歩くことになりますが、筑波山神社本殿脇の石段から、勾配が急にキツくなります。山登りではなく乗りつぶしのためであっても、雨や雪の日の乗車は避けた方が賢明かと思われます。
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2021.07.09 関東甲信越完全制覇(第四夜)①「つくばエクスプレス 前面展望 快速 秋葉原→つくば」
つくばエクスプレス(TX)乗車は12年ぶり。前回はつくば駅でサッと折り返したのですが、今となってそれが仇に。なぜ筑波山ケーブルカーをまとめて乗りつぶしておかなかったのかと。ならば前面展望でも撮り下ろしておくかと気を取り直し、つくば行きの快速でカメラを回しました。 2009年当時は、まだ動画撮影に目覚めておらず、秋葉原からつくばまでの道中、しつこいくらいにシャッターを切っていました。それらと今回の動画を見比べてみると、明らかに沿線の建物が増え、駅周辺にマンションやホテルなどが建て込むようになっていました。それはそうでしょう。TXはまさに「リアル A列車で行こう」あるいは「ぼくがかんがえたさいきょうのてつどうろせん」ですからね。沿線開発も思いのままですよ。 ただ、悩ましいのは、そのスピードにTXの輸送力増強が追いつかないこと。TXと接続する他社線(東武野田線@柏おおたかの森、関東鉄道常総線@守谷)からの乗り換え客や、JR常磐線からの転移も加わって、混雑率は171%にまで高まりました。じゃあ増結すればいいじゃないか........というほど簡単な話ではないようで、ホーム延伸工事が絡むため、8両編成化の実現は2030年代前半になるとのこと。どうしてはじめから8両(かそれ以上)対応のホームを造っておかなかったんだと、この点だけは悔やまれるところです。 秋葉原ーつくば間は快速で45分。かつては「陸の孤島」と呼ばれ、学生寮あるいは下宿住まいが前提(それゆえか、筑波大学では学生結婚も多かったとか)だった筑波研究学園都市に電車通学・通勤できるようになったとは、自分が受験生の頃には予想すらできなかった未来です。定住人口も増えることでしょうし、今後は成長だけでなく「成熟」も楽しみな路線です。
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2021.06.25 関東甲信越完全制覇(第三夜)上田電鉄 別所線 車窓 別所温泉→上田
上田電鉄別所線は、その名のとおり、上田駅から別所温泉に向かう路線。上田盆地(上田平)の塩田平を縫うように走ります。塩田流北条氏ゆかりの地で、著名な社寺・遺跡が点在することから、「信州の鎌倉」と呼ばれており、2020年には「日本遺産」にも認定されています。 もしかしたら、本線のことを「上田交通」の名前でご記憶の方もいらっしゃるでしょう。現在の上田「電鉄」は、2005年に上田交通から分社化されたもので、その前にバス・タクシー事業も分社化(1999年。2009年にグループ離脱)したことで、現在の主業態はは不動産業となっています。ただ、東急創業者の五島慶太が当地(小県[ちいさがた]郡青木村)の出身ということで、東急グループを構成する企業のひとつでもあります。 2019年の台風19号により被害を受けた千曲川橋梁(千曲川右岸;城下駅寄りの桁が落橋)は、2021年3月28日に復旧し、元の運行形態を取り戻しました。その際、橋梁部分を上田市が市有化することで、公共事業スキームでの復旧が為されたことでも注目を集めましたが、1970年代から上田市による財政面のテコ入れが行われてきたことが「千曲川橋梁のみ市有化」なる決断につながったのかもしれません。 本作は、別所温泉から上田に向けて下っていく車窓ですので、あまりピンとこないかもしれませんが、下之郷から別所温泉にかけては勾配がきつく、とりわけ別所温泉(標高554m)付近は40‰の勾配になっています。1986年に1500Vに昇圧されるまでは、「丸窓電車」を含めた旧型車両が20km/hそこいらのスピードしか出せずに難儀したとか。その「丸窓電車(上田温泉電軌デナ200形→上田丸子電鉄モハ5250形)」のうち1両(モハ5252)は、別所温泉駅構内で静態保存されています。
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2021.06.18 関東甲信越完全制覇(第二夜)④ JR全線完乗 on JR東日本 弥彦線 吉田→東三条
この日この路線この区間は、個人的に記念すべきものになりました。なぜならば、弥彦線の吉田ー東三条間の乗車をもって、JR全線完乗を達成したからです。「乗りつぶし」を意識し始めたのが1985年高2の夏でしたので、36年もかかってしまいました。 今回の旅の主目的といってもよかったのが「JR越後線と弥彦線の制覇」。乗りつぶしそのものは無事に終えられたのですが、エビデンス代わりの前面展望&車窓撮影の素材(編集前の動画)のほとんどを、作業ミスでロストしてしまいました。唯一無事に吸い上げられたのが、奇しくも「JR最後の未乗区間」だったのが、せめてもの救いです。 弥彦線の現在の姿は、東三条から分岐し、吉田で越後線を串刺しにして、弥彦まで延びる「信越本線の支線」に見えます。が、元を質せば、「信越本線の支線である越後線(起点は柏崎、新潟へ向かうのが「下り」)の支線」であり、吉田駅で上り下りを揃える意味もあってか、弥彦駅が起点で、吉田・東三条へ向かうのが「下り」となっています。かつては、東三条からさらに南東方向へ、越後長沢まで線路が延びていましたが、1985年に廃止されています。 あと、国鉄末期(1984年)の電化ということで、コスト削減のため「直接吊架式架線」が採用されました。のちに高架化+ルート変更されたのに合わせて、燕三条ー東三条は「シンプルカナテリー式」で吊架されていますが、同時期に電化された越後線と同様、路線最高速度は85km/hに抑えられています。車両だけはE129系が幅を利かせるようになりましたが、そのあたりはJRになってから30年以上経っても変わっていません。 ちょうど桜が満開の時期に訪れたこともあり、越後線・弥彦線には観桜あるいは「映える画」を狙ってカメラやスマホ片手の人たち(乗客とは限らないのがやや残念)が数多く見えました。次回も桜のシーズンを狙って、今度こそは全区間しっかりと素材を残したいと思います。
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2021.06.18 関東甲信越完全制覇(第二夜)① JR東日本 GV-E400系 走行音 羽越本線 新津→新発田
新潟駅で、間違って新津行きに乗ってしまった(本来は新発田行きに乗って、新潟→新発田→新津と回る予定だった)のですが、逆にこれが幸いして、新津駅から新発田駅まで、JR東日本の電気式気動車「GV-E400系」に乗ることができました。 実は動画も撮影していたのですが、iPhoneからデータを吸い上げる作業をミスって、ロストしてしまいました。ただし、音は別録りしてあったので、それを生かして「音鉄動画」風に仕上げてみました。 新津駅を発車しての第一印象は「思いの外うるさい(ディーゼルエンジンの気動車と大差ない)」でしたが、加速はキハ40系列のそれに比べればスムーズ。初動からエンジンが唸り始めるなど、ノッチの入り方とエンジン音は概ね比例している感じでした。同じJR東日本でも、ハイブリッド車(例:HB-E210系 https://youtu.be/PYNzcMcweVg )の場合は、加速を始めてから数秒後にエンジンがかかる(初動は蓄電池からの電力でモーターを駆動する)のですが、それとは違う感覚です。 JR他社でも似たような気動車はあります(JR九州のYC1系、JR東海のHC85系)が、それらはいずれもハイブリッド車。加速初動時に蓄電池からの電力を使用することで燃費を向上させる意図がありますが、GV-E400系はそこまで「攻めた」仕掛けにはなっていません。それでも、機構の簡略化による軽量化(概ね従来型の気動車と同等に抑え込める)と相まって、従来の気動車に比べて2割以上の燃費向上を実現している(従来型気動車の燃費は1km未満/L、GV-E400系は1.4km/L)とのこと。できるだけ安価に環境性能の向上を図った結果といえるでしょう。 JR東日本管内に残ったキハ40系列を駆逐するべく登場したGV-E400系ですが、JR北海道でもこれを元にした「H100形」が投入されています。未だキハ40系列が多数生息するJR西日本にも、GV-E400系のOEM車が投入されるのでしょうか?