森鴎外 高瀬舟
高瀬舟について、
この短い小説の中に我々人間社会の永遠の問題点を叩きつけているだけでも彼を代表する一つの傑作品と思います。場面設定も非常に単純で小舟の中での二人の会話に過ぎません。それでいながらその場その場の状況が見事に浮き上がってきます。鴎外の描写の上手さです。私は、終盤に近い以下の一句が大変に好きです『喜助の話は好く條理が立つてゐる』。この短編小説のテーマである「不条理の人間社会」に見事な皮肉であり正に不条理の典型例を示しています。鴎外も読者に決して解答を求めているのではなく私には、彼は読者に不条理を理解して欲しいと願っている様に思えます。明治大正時代に彼らが投げかけたこの不条理の矛盾は今でもその通りであるにも拘わらず、現在の社会がそれを無視して両極端にそれぞれの方向に人が流れてしまっている事が現代の大きい問題点になっていると私は思います。不条理を受け入れて如何にこの社会のバランスを取っていくかが必要とされていると思います。自己中心で良いのです、大切なのはオープンマインドになって他の人をより受け容れれる様になることです。 高瀬舟はこのような事を考えさせる大変意味のある短編小説であると思います。
高瀬舟の映画化について、
高瀬舟は、何回か映像化されています。この短編小説を映像化することに私は反対です。短い小説で映画がすべてをカバー出来てしまうと映画の一人歩きが始まりオリジナルの小説を破壊する可能性が出て来ます。長編小説になると二時間半の映画では全てをカバー出来ないのでオリジナルの小説は破壊されません。例えば夏目漱石の新聞掲載小説の「こころ」などは二時間半では全てのカバーは不可能です。この問題点を避ける為には、一例として川端康成の「伊豆の踊り子」位の長さは、必要だと考えます。吉永小百合のこの映画化はイメージと合って非常に見応えがありました。私のスタンスは『小説は文字を読むことにある』です。映像化はあくまでも小説の読書のアシスタントの役目と考えています。
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