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待てができる人できない人
僕は長年、人を見る時に
基準にしているものがあります。
性格、能力、経歴、環境など
人の判断基準って千差万別…
掴みどころがないなぁって思うことが
多々あるのですが
結局人って「1種類」しか
存在しないと思っていて…
待てができる人と
待てができない人
それを結ぶ1本のライン上に
全ての人が存在すると思っています。
僕は絶対的に優しい人って
存在しないと思っているんですよね。
正確には「優しい人でいられる状態」にある…
というべきでしょうか。
① 金銭的にゆとりがある
② 時間的にゆとりがある
③ 能力的にゆとりがある
上記がある程度揃っていると、
人ってそれなりに
優しい状態でいられるんだと思います。
逆に不安定になると
人に優しくするゆとりって
なくなっていきますよね…
3つが不安定でも
人に優しくできる人がいるなら
それはきっと聖者の類なんだと思います。
これは
能力や肩書き、性別や人種など
そういったものは
いっさい関係ありません。
待てができる人…は
さまざまな行動に
一度待てをかけて思慮をめぐらし、
少し先を見通した言動を行う人。
自分の言動がその先、
どう影響を与えるのかを考えられる
ゆとりのある状態。
待てができない人…は
自分の行動に対して、
短絡的に見返りを求めることや
相手にすぐにいろいろと要求する人。
自分の要求をすぐに満たしたいと考えてしまう
ゆとりのない状態。
これは生まれてから一貫しているものではなくて
書かせて貰った①②③の状況で
常に変動するものだと思っています。
人が変わった…
なんて言葉がありますが
このライン上での
立ち位置が変わったにすぎないんじゃないかなぁ…
なんて
イラつきやすくなったり、焦ったり、
そんな感情を自分の中に感じると
あ、今、俺は「待てができない状態」に
向かいつつある!
そう感じて自分を戒めたりすることがあります。
自分の感覚が左右に変動する状態って
なんかゲームみたいで面白いんですよね。
自分がイラだっている状況が
思わず滑稽に思えたり。
自分がいい気になっている姿に
興醒めしてみたり。
行動と感情のトレードオフは
人生の妙味だったりします。
僕は学者でもなんでもないので
なんの根拠もありませんが
50年生きてきて感じています。