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気になったから福島第一原発付近の町へ行って、自転車で走ろう

きっかけ

ここ最近、Xで福島第一原発について投稿している人を見かけた。

その人は引用ポストを使って、「風評被害」を広げているユーザーを強く非難していた。
「これはデマであり、福島県に風評被害を広めるものです」という内容だった。

引用元のユーザーは原発事故の実態を投稿し続けている、という。
しかし、それらの投稿には科学的な根拠が無い、間違いを有識者から指摘され続けている。

ただ、この時に思った。

これだけヒートアップしている内容に「そうなの?」と思うところがある。
そして、「福島県の原発事故について何も知らない」と。思ったのだ。

東日本大震災の発生当時はニュースで周辺地域の避難情報や原発の状況が流れていた。

時間が進んでいくごとに建物が朽ちて、道路には雑草が生えて、人は遠く離れたまま。 その後も除染作業や周辺地域での放射線量の現状などが細々に流れていった。

事故が発生して気付けば13年が経過していた。

原発事故は未だに廃炉という結末まで長く難しい道を歩み続けているが、自分は原発事故によって影響を受けた地域の現状を全く知らない。

過去を知っていても、今を知らない。それはどうも、失礼な気がしてきた。

ならば、原発事故が発生してしまった周辺地域をこの目で見てみたい。

インターネットやテレビといった誰かが出した情報をそのまま胃袋にいれるのではなくて、その場の空気と熱を浴びて自分の目と足でその場に踏み込みたい。そう思った。

福島県・富岡駅まで向かう

今回、福島県の富岡町に向かうことにした。
福島県の富岡町に行った理由は行きたい場所があったからだ。

東京から福島県の第一原発近くの地域まで向かう方法としては、車以外となればJR東日本の常磐線の列車に乗り込むのがベターだ。 常磐線を乗り継いでいけば、原発周辺地域でも主要駅となる「富岡駅」に向かうことが可能だ。

そんな常磐線では特急列車が走っている。

1日に3本の列車が品川から仙台まで常磐線経由で走り抜けてくれる。 常磐線の特急は「ひたち」の愛称で親しまれ、富岡駅にも停車をする。
今回は9月20日、品川を7時43分に発車する「特急ひたち・3号」に乗車し、富岡駅へ向かった。

富岡駅に到着

富岡駅には10時58分に到着した。

特急が到着してホームに降り立っての感想は、「降りる人が多い」ということである。

今回乗車したのは10号車。進行方向から1番後ろ。それよりも前にも降りた人が結構いる。

改札に向かう乗客。多くの人が男性というのも特徴的だった。

もしかしたら自分一人だけがポツンとホームに立ち尽くす。そんな風に想像していた。しかし、スーツ姿のサラリーマンを中心に多くの人が特急列車から降りていく。これには少々驚きがあった。

特急がホームを抜けていくと、乗客も改札方面へと向かっていき閑散とする。静寂が包んで寂しさが膨れ上がりそうだ。

車掌さんは前方を確認し続ける。お疲れ様です。

改札付近

富岡駅の特徴として、精算機近くに放射線量を測定する空間線量計が設置されている。

機械から黒く太いケーブルが天井に向かって伸びている。

銀色のケース、赤と黒の表示が嫌でも気になる。
こんな風に画面に表示されている「0.067μSV/h」は高いのか、低いのか。
見た瞬間では知識がないので、残念ながらわからない。それ以前に、表示されているこの数値はどんな意味を持つのだろうか。

空間線量計が出す数値の意味

μSV/h」の読み方は、「マイクロシーベルト・パー・アワー

意味は、「放射線の1時間あたりの被ばくによる影響を測る単位」である。

環境省が示す空間放射線量率は「毎時0.23マイクロシーベルト」。
年間の追加被ばく線量が1ミリシーベルト以下となる時間当たりの上限値とされている。前述の0.23の数値は自然放射線も考慮されての数値だ。

それらの基準を考慮してでも、改札付近に設置されていた空間線量計の数値は基準を遥かに下回っている。ということになる。

0.23マイクロシーベルトという数値は原発周辺地域を知る上で重要な基準値となる。

レンタサイクルを借りようではないか

富岡駅の改札を出て右側に富岡町観光協会の案内所がある。

富岡町のガイドマップ。右上には帰還困難区域が色塗りされている。

元々は2017年の富岡駅が代行バスを運行の上で再開をした際に開店した「さくらステーションKINONE」という店舗があった。

しかし、2021年に昨今のコロナ禍の影響を受けて閉店。その後、観光協会が跡地を利用して案内所を開設。という経緯がある。

案内所には観光マップやイベントのポスター、とみおか復興応援キャラクターである「夜の森さくら子」のポスターが貼られている。

復興歌謡祭のポスターや植樹祭のポスターもある。

そんな案内所ではレンタサイクルを貸し出している。

利用可能時間は9時から16時30分。
料金は3時間未満だと500円。3時間以上の場合は1500円となる。 レンタサイクルがあれば、移動には便利だろう。

観光案内所で利用条件である身分を証明できるものを提示し、申込用紙を記入。そして、担当の方と一緒に自転車の利用方法をチェックする。という流れ。

身分を証明できるものとして、運転免許証やマイナンバーカードといった顔写真が確認できるものが一番いいだろう。

自転車は電動アシスト付き自転車。充電も満タンで貸し出してくれた。それに加えてヘルメットも用意されている。頭の大きい自分でも入るサイズだったので、大半の人は大丈夫だろう。

1つ目の行きたい場所「とみおかアーカイブ・ミュージアム」

この記事の序盤で「行きたい場所がある」とご紹介した。
その1つ目は「とみおかアーカイブ・ミュージアム」である。

富岡駅から距離にして約2.4km、車では6分程度で到着する場所にある。

とみおかアーカイブ・ミュージアムは2021年7月に開館。

町の成り立ちから原発事故の影響を受けてしまった町が変貌していく様子を収めた博物館で、原発事故に強い興味を持った自分には行くべき場所だと思えたのだ。

ミュージアムに到着し、自転車を駐輪場に停める。入口へ向かっていると「電源立地地域対策交付金事業」という看板が目に入った。

電源立地地域対策交付金とは一体なんだろうか。

 「電源立地地域対策交付金」とは、発電用施設の設置や運転の円滑化を図るため、電源地域の都道府県及び市町村で実施される公共用の施設や地域住民の福祉、利便性向上を目的とした事業に対して交付されるものです。

福島県 エネルギー課のホームページより引用

原発事故の伝承を伝えるために、交付金事業で開館したこのミュージアム。その中身は本来の使用用途とは少し違うような気もする。これは人によって、受け止め方は変わってくるはずだ。

常設展示の序盤は古文書や土器の展示、富岡町の昔からの産業について紹介されていく。 古代から近代にまで時間を遡っていくように展示を見ることができる。 そして、後半では震災についての展示へと変わる。

震災についての展示はどこか生々しく重たい感情を抱かせた。
容赦なく襲ってくる真っ黒の津波の写真と対策に追われた災害対策本部の再現、富岡町に設置されていた改札。

そして、津波によって押しつぶされてしまったパトカー。 これらが腹の奥に重たい空気を作り上げる。

ミュージアムの後半には避難所で張り出されていたメモや針を進めるのを止めてしまった時計などが展示されている。

自分は渡される映像を見ただけで全てを知っていた気になっていたんだな、と改めて思わされた。

夜ノ森駅へ自転車で

とみおかアーカイブ・ミュージアムを一通り見て回り終えて、次の目的地へと向かう。 今回の旅で行きたい2つ目の場所。「夜ノ森駅」である。

夜ノ森駅は富岡駅から仙台方面へ向かって最初の駅。 駅周辺は2020年の3月までは帰宅困難区域として指定されていたが、一部の避難指示が解除に加えて富岡駅〜浪江駅間の再開によって駅が再開された経緯がある。 次はそこに行ってみよう。

自転車を漕ぎ続けていくと、富岡駅付近よりも更地が多いことに気づく。 最近建てられたであろう住居の周りは何も無い更地、という場所が多い。
所々で避難指示が解除されたあとも解体工事がされていない建物も見受けられた。

広い空き地の奥に立派な住居。

夜ノ森駅付近には「夜の森桜並木」があって、桜が満開時期になると非常に綺麗な桜並木が出来上がるそうだ。

2つ目の行きたい場所「夜ノ森駅」

夜ノ森駅は橋上駅。東西へ抜ける通路にはレゴブロックで作られた桜並木も掲示されている。

画像奥にある空間線量計は0.149マイクロシーベルトを指している。富岡駅より高い数値が出ている。

駅のロータリー近くでは解体されずに残された店舗がある。
特に目を引いたのは自動販売機。 今では見かけなくなった商品や時代に取り残された値札が未だに自動販売機の中に入っている。

タバコの自動販売機もまた震災当時の料金のまま。 これらが撤去されて、新たな自動販売機が設置されるときはあるだろうか。

タバコの自動販売機の値段は410円が多い。2024年現在は500~600円台。

夜ノ森駅周辺を探索する

夜ノ森駅周辺を散策していると、公園にたどり着いた。
広々とした空間にポツンと遊具が置かれている。平日の昼間ということもあるが、人気の無さも相まって寂しさが募る。

公園内にも放射線量を測る空間計測器があった。 富岡駅よりも数値が高いのがわかる。

0.187マイクロシーベルト。夜ノ森駅より数値は高い。

バウムハウス・ヨノモリ

人気が無く、寂しい気持ちでいっぱいになりそうな夜ノ森駅周辺ではあるが、Googleマップを覗けば飲食店のマークが表示されているではないか。

表示されていたのはバウムハウス・ヨノモリ。 富岡町の米粉100%使用のバウムクーヘンを製造しており、玄米・さくらもち・プレーンの3種類を発売している。 当時は限定のさつまいも味も発売されていた。

バウムクーヘンは本当にうまい。

夜ノ森駅周辺では数少ない飲食店。 ふらっと立ち寄った自分にも店員さんは熱心に説明をしたり試食を提供してもらった。

数ある商品の中から玄米のホールをチョイス。 しっとりしていながらも玄米の仄かな香りが感じられて美味い。 もっと他の商品も購入すれば良かったとのちに後悔している。

バウムクーヘンの写真は美味くてバクバク食べてしまったのでなし。すまんね。

まだまだ復興は始まったばかりの夜ノ森駅周辺。そんな場所で新たな一歩を踏み出したお店に出会えて良かった。

富岡駅で仙台行の特急に乗って町を去る

富岡駅には15時46分に仙台行の特急がやってくる。特急の乗車前にレンタサイクルを返却する必要がある。

返却前に寄っておきたいところがある。それは駅近くの海だ。

富岡駅すぐのところに海へ伸びていく橋を見かけた。そこが気になっていた。
自転車を飛ばして、橋へ進んでいく。

富岡駅の上を超えるように橋が掛かっている。

橋を渡って、国道6号線沿いに出る。歩道へ出ると太平洋を一望できる。

駅の裏は広々としている。

広々とした地と青々しい海と雲から覗く青空。当日は海も落ち着いていて、静かな波が海岸にぶつかっている。

車通りは少ない。静かに風と波音が響く。

この海から震災当日は何もかもなぎ倒し、破壊した津波がやってきたことが信じられない。
車通りが少なく、静かな波の音と自分の吐息だけが聞こえた。

レンタサイクルを観光協会に返却、あとは特急を待つのみ。

15時46分には品川行・仙台行が同時に富岡駅を発車する。当日は仙台行が5分遅れ、品川行は定時で到着していた。

品川行のホームはスーツ姿の人、キャリーバッグを持っている人と乗り込む人が多かったのに対して、仙台行は自分以外に乗り込む人は5人程度だった。

緑の特急が品川へ、手前の赤の特急が仙台へ。

また新たな姿を見れれば

富岡町は地方特有の人口減少の問題に加えて、原発事故による被害も抱えている。これらを解消するには長い年月と理解が必要だ。

ネット上で見かけた「実態を広く知ってもらいたい」と原発事故について投稿をし続ける人は「原発事故を悲観的に捉えて、事故前の姿が戻ってこない」と思っている。そして、それに同調している人が多いのも事実だ。

ただ、そんなことを気にすることもなく町に住む人々は過去の事を理解し、それを深く受け止めて新たな街作りを続けている。飛んでくる嫌な目線と言葉に憚れることもなく。

今回の旅で思ったことは、その違いだろうか。

乗り込んだ特急の窓から陽が差し込んできた。町にいた時までは顔を見せてこなかったくせに。


最近、自分のサイト・ブログを開設いたしまして。
今回の投稿は、↓以下の記事からの切り抜きでございます。

富岡町内にある「さくらモール・とみおか」の様子や東京電力による廃炉資料館で見た感想なども掲載しています。
その後に向かった仙台での旅行についても投稿してます。
よろしければ見てやってください。


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