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自己紹介のようなもの。
見た目マイナス10歳のアラフィフ。時計台の鐘がなる街で生まれ育つ。
小・中学生のころ、「池中玄太80キロ」というテレビドラマを見た。主人公は通信社のカメラマン。ストーリーよりもカメラマンという職業よりも主人公が務める会社に反応した。通信社とはなんぞやと調べた。
惹かれた。世の中の動きをつぶさに見られるなんて。
高校生のころ、米国の著名なジャーナリストの言葉を耳にした。「ジャーナリストは映画館の最前列の席に座り、歴史が作られる様子を見るような仕事だ」。
興奮した。好奇心の塊である自分には天職ではないか。
ジャーナリズムが学べる大学へ進み、「補欠繰り上げ」で新聞社に入社。バブルさまさま。
最初の10年。希望してつかんだ仕事なのに、退職願を鞄に入れて日々過ごした。「こんなこともできないとは」と同僚の前で怒られた。夜中、ニュース感覚のなさを指摘され続けた。もう、心が持たないかも。
脂が乗ってきたのは30歳を過ぎてから。会社初の業務につくめぐりあわせ。初めて挑む内容が手招きする。「ほら、こんなことがあるよ、書かなくていいのか」と。
書きまくった。自分が言葉を連ねることで、人のおもしろさをあぶりだした。読者の反響を胸に、新たな素材でまた書いた。海外出張も、チームを率いてディレクションする場面も増えた。自分のやりたいことが、どんどん実現した。
でも、日本の記者は会社員。いつまでも取材現場にいられない。書けない役職に興味なし。50歳の春、大学へ移った。
若者と対峙する生活は楽しかった。一方、研究と教育、校務にフル回転。仕事とストレスが加速度的に増えていく。ある朝、立てない自分になった。
研究も教育も好きだ。だからこそ、すこし休む。自分のリズムを取り戻せる生活で、リハビリしよう。辞表を出し、私はもの書きに戻った。
言葉と生きる場所に居を構えた。これまで培ってきた力、すなわち取材する力と聞く力をよりどころにして、生きていく。ヒトとモノの魅力を存分に引き出し、社会に伝えていく。
そういえば新聞社の入社試験。作文でこんなことを書いたっけ。「どんな人も普段の姿と素顔は違うはず。素顔の魅力を私は書きたい」
あなたの素顔、私に書かせていただけませんか。