徒然なるまま
◼️夜の道
仕事帰り。最寄りの駅から家まで、歩いて帰る。頭の中に日記をつくりながらトボトボ…いや、ブラブラ歩く。緩衝材のプチプチをつぶすように、今日という1日をクールダウンしながら。
約30分、それが家に着くまでの自由時間。
昼間だと目立つ街の汚れも、夜の道からは消えている。明と暗しかない夜道を歩くのは好きだ。余計なモノを見ないで済む。その分、妄想に埋没できる。そう….それがボクにとってはとても大切な時間なんだ。
歩くルートはその日の気分で決める。きょうは少し寄り道をしてみた。
◼️手児奈霊堂
ここは真間(まま)の手児奈(てこな)霊堂。真間は万葉集にも出てくる古い里で、手児奈という女性にまつわる悲しい伝説が残る。男たちの身勝手に耐えられず波間に消えたモテ女の物語。伝説では、身も心もひとつしかないから皆の望みに応えられないと悲しんで…ということになってるけど、彼女、きっと他に想い人がいたんだろうね。
「何ゆえ主が声をかけぬ?」と、歯がゆい想いがあったかもしれない。そして、
「主の声が聞けたなら、かように悩むこともなかったろうに」と、口惜しかったのかもしれない。そして、
「主よりほかに選ぶべくもなし、いっそこの身を真間の入江に捧げよう」と、決めたのかもしれない。
本当のところはどうだったんだろう、ねぇ手児奈さん?
ちなみに手児奈霊堂は「良縁、安産、子宝」祈願の霊堂。わが家の子どもたちもここで初参りをを済ませた。
おかげさまで優しい子どもたちに育ちましたよ。もっとも、今の世の中、優しさがストレスのモトになりかねませんけどね、あなたのように。
◼️ネコ
手児奈霊堂の参道を抜けると…、ネコがいた。近づくと逃げる。愛想悪し。
ネコはおいといて先に行こう。
◼️石段
真間山弘法寺(ぐほうじ)への石段を上る。段数は62段だけど、1段の高さが30cmくらいあって、とてもキビしい。
この石段は、かつて部活のシゴキ場だったそうだ。うさぎ跳びで登れ‼︎ なんて、やったら落ちますよ。
実はこの石段、登るより降りるほうがキビしい。段高のわりに奥行きがないから、トントンと行こうものなら、おそらく落下する。
「シゴキ」の体験者曰く、ここを何往復も上下したが落下事故はなかった、そうだ。今もあまり変わらない「ニッポン体育会系」の脳筋養成トレーニング。
故障もせず無事にその歳(ちなみに、その方は70歳)を迎えることができてよかったですね…、筋肉ダルマな体育会に無縁なボクには、これくらいしか返せない。部活は一瞬、ケガは一生ですよ、と。
そういえば、石段の中ほどに「涙石」と呼ばれている石がある。シゴキで流した汗と涙の跡だと件の方は申しておりますが、ちゃんとした由来はあるのでお調べください。
◼️山門
石段を上がると山門があり、両側にちゃんと仁王様もいる。
弘法寺は、伝承を聞いた行基が、手児奈の霊を祀るために建てたと伝えられている。その後、弘法大師が立派な伽藍を建てたのだそうだ。だから「弘法」寺、なるほどなるほど…。
飛鳥から天平に続く頃は、東大寺が建立され仏教への帰依が盛んになっていく時代。行基は東大寺建立の責任者でもあった…ということは、この仁王像も運慶あたりが彫ったのだろうか?
南大門の金剛像を彫った運慶とは東大寺つながりの縁がある。さらに言えば、行基は偉い坊様だ。エメット・ブラウンのように時空を超えるくらいワケないことだろう。500年の時を超えて運慶の夢枕に立ち…
「おい、師匠。ひとつ坂東の寺にも彫ってはもらえんか」みたいな感じで。
「東大寺の惣領に頼まれたんじゃあ仕方ねぇな」みたいな感じで…。
小説家は創造力が豊かだ。ボクは小説家ではないが。ずいぶ昔のことなんで正確な文面は忘れたけど、筒井康隆さんがこのようなことを書いていた。
映画に出てくる恐竜たちは「ガォ〜」と鳴くがホントにそうか?恐竜が「ニャア〜ゴ」と鳴かなかったと誰に言える?空ではプテラノドンがピーヒョロロ、地上ではティラノサウルスがテレツクテン、ピーヒョロロ、テレツクテン…、声は化石にならないから100%否定はできないだろう…。
もしかしてという想像を膨らませるのは自由だ。
◼️夜景
ふり返ると市川の夜景。夜陰に佇む街って感じがして、この景色、けっこう好きだ。
遠景に建つ2棟のタワマン。なかった頃はここから江戸川の花火を観ることができた。知る人ぞ知る…っていうか、近所に住むボクたちしか知らない秘密基地的な場所。臨場感はないけれど、梅雨明けの夜空に上がる花火を、仲間内だけで静かに楽しむことができた。
身体に沁み入る匂いも音もなく、それのどこが花火なのかという意見には完全に同意するけど、雑踏のお祭り気分がいいか、小さな火の華でものんびりと観るのがいいか、選択の違いは、「誰といっしょに観るか」じゃないかな?と思う。
ボクたちにしてみれば、小さい子どもを無秩序な雑踏に連れていきたくなかっただけ。
SNSなどなかった時代。招かれざる人々に情報が拡散することもない。だから、ワンボックスで乗りつける騒々しい集団もいなければ、場所取りのブルーシートが広げられることもない。
情報拡散によるエントロピーの増大、こんなモノないに越したことはない、そう思いませんか?
◆ ◆ ◆
夜景を見ながら、そういえば、あれからもう1年半が経つんだよな〜、って思う。時間ばかりが過ぎていって、状況はあまり改善していない気がする。
ここから眺める夜の街は、平和そのものなんだけどね。
◼️仁王像
密だ、マスクだ、いいかげんウザいったらありゃしねぇ
そういやぁこの仁王さん、強そうじゃねぇか、ひとつ願いごとでもしてみるか。
仏さんの敵をやっつけるくれぇだから、コロナごときイチコロだろうよ。
てなこと言いながら、ネギやらイワシやらいろいろお供えを置いてった。
何日かが過ぎて…、
おい、阿よ、お主の足元でなにか臭わんか
いや、吽よ、ワシの口では何も感じぬぞ
おい、阿よ、口ではなく鼻を使ったらどうだ
いや、吽よ、近ごろ味も匂いも感じぬようだ
やりとりを聞いていたお寺の小坊主、マスクを外してこう言ったとさ、
こいつはたしかに、におうぞう
テケテンテン…おそまつさまで
◆ ◆ ◆
ちなみに、「民間療法」は効果効能を保証しません。
また、ネットには、相変わらず根拠や基準がよくわからない情報が溢れています。
どのように気をつけていても、実生活では「第三種接近遭遇」を避けることができません。だからなおさらシンプルな行動規則、「マスク、手洗い、禁酒、禁煙」…を地道に守りましょう。
願いごとが通じればいいけど、神さまや仏さまが何も言わなくなって随分と経ちます。いま、日常回帰へのメッセンジャーはRNAですから。
生命にとって、遺伝子は偉大です。