徒然なるまま 0509
徒然なるまま思う…何かを思い、それを文字にしているときボクは自由だ。
F2Fのコミュニケーションが苦手なボクにしてみれば、文字が綴る世界は唯一の視覚化された現実なんだ。
ここから先は、心が描くボクだけの風景。たぶん、人にとってはどうでもいいことだと思うけど、ボクの個人的な風景の序章と自己紹介を兼ねて記しておこう。
ボクたちは、滅びの瞬間を目撃するかも知れない
ロシアのプーチン大統領が「戦勝記念日演説」をしていた。
テレビで報道された「短縮版」を聞いたけど、やはり上手だね。演説の内容は「?」なものだったけど、「伝えたいこと」が「間違いなく伝わる」ような演説。これが「指導者」と呼ばれる人の能力なんだろう。そう呼ぶのが、たとえ一部の人であったとしてもね。
演説は、第二次世界大戦の原因と結果を語る。
「反ナチズム」…これに疑問の余地はない。「ナチズムを打ち負かした戦争」…これにも疑問を挟むことはできない。「祖国ソヴィエト・ロシアが成し遂げた」…これも然り。そして今、「NATOというネオナチズムを倒す戦いをしている」と誘導する。
誰も否定できない歴史的事実の延長線上に現在がある。したがって、「その現在」も否定できない、あるいは否定させないというロジック。
第二次世界大戦と同じ構図があり、今はネオナチズムに対して「正義の戦い」をしているというロジックだ。ウクライナのNATO化に危機感を持ったが故の戦争だけど、背景には、ロシア革命直後から続く民族対立の歴史もある。
いずれにせよ、ヨーロッパでは、東西のホットな関係は続いているということだね。
歴史を理解しようとする意思があれば、演説の内容を無批判に信ずること、支持することはできないという理解に至るだろう。でも、「考える人びと」を説得するのは難しい。
それよりも、全体の10%でいい、疑わず熱狂的に支持する者を確保できればいい。その10%の「物事を信じやすく熱狂的になる人びと」は…、だいたいにおいて声が大きい。ひとりが5人分の大声を出せば、10%は50%になる…。
バカげた算数だ。でも、世論とはそういうものだ。
「ネオナチズム」とは何なのか…「思想」というカタチのないものを理解させることは難しい。でも、カタチを見せて理解を促すことは簡単だ。ネオナチズムを「NATOというカタチ」で見せれば済んでしまう。要するに、「ネオナチズム=NATO=悪」という意味が伝わればそれでいい。正しさなどどうでもいい。人びとの頭の中に、ロシアに向かって並べられたミサイルの景色ができあがれば…それでいいのだ。
国民に対して結束を促すプロパガンダ。
ヒトラーのように熱狂的に煽るのではない。プーチンは、淡々と事実を伝え、決意を語る。
「皆さんも皆さんも私とともに歴史を理解しよう」
演説を聞く人びとにも、乗せられたわけではないという自己満足が生まれる。そして、「結束」が生まれる。
某国の元大統領はヒトラータイプだけどね。その辺は、「死」を前提としない環境での発言と、人びとの確実な「死」を前提とする環境での発言の違いだろう。やってることは一緒、プロパガンダだ。
ただ、もたらされる結果は違うものになる可能性がある。
ひょっとしたら、ボクたちは今、滅びゆく歴史の瞬間を目撃しているのかも知れないね。
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