奴隷のように働き、王のように遊ぶ
子どもたちのように「夏休み」が欲しい…毎年そう思うけど、実現したことはない。
今年のGWは、10連休を愉しんだ人も多かっただろう。ボクはカレンダー通り、飛び石の8休だった。それもスゴイといえばスゴい。ボクの若い時には、「休む」ことは一種の「さぼり」に近かった。
「24時間戦えますか?」こんな広告コピーがまかり通った時代。「働いてナンボ」の時代。
※三共製薬(当時)「リゲイン」の広告コピー (1989年)。ちなみにタイトルのもとネタは、大正製薬「サモン」の広告コピー「大統領のように働き、王様のように遊ぶ」(1989年)
でも、日本人がメッチャ勤勉だったというわけではなく、その時代の経済システムが「長時間労働」を求めていたということにすぎないんだよね。労働は経済システムの最も基本的な要素。経済規模の拡大期には、より多くの労働力が求められる。
当時はそれが「人力」だったということだよ。
休日が増えたということは、単に「ヒトが仕事をする必要がない」ということかもしれない。システムの基本要素が「ヒトの労働」ではなくなってきたということなんだろうね。
経済規模に応じて必要な総労働量は変わっていない。ただ、ヒトに代わるものが出てきたということだよ。
ロボットやAIと称されるもの。
より速く、正確かつ均一。食事も休息も寝る必要もない。報酬も要求しないし、待遇に不満を言うこともない。さらに、いつでもスクラップ&ビルドができる。つまり、解雇と採用が必要に応じて自由にできるということだ。
完全無欠な労働力
…だよね、まったくのところ
経済システムの要求は「効率」であり、それは常に進化する。そして、進化に適応した能力を求める。残念ながら、ヒトはその要求には応えられないということだ。
「面倒くさいものは捨てちまえ」…これがシステムの本音なんだよ。
Give & Takeの関係は崩壊し、システムは「得るだけ」という「究極のゼロサムゲーム」に移行しつつある。
もちろん、ヒトは今でもシステムにとって重要な要素のひとつだよ。ただ、最重要な要素ではなくなったということだ。あくまで性能によって選ばれる要素のひとつにすぎなくなった、ということなんだよ。
この先に来るもの…それは、徹底的な二極化。
システムを形成するテクノロジーの進歩は速い。10年後にはその姿が見られるんじゃないだろうか。
でも怖がることはない。どっちの「極」の住人になるかはわからないけど、生物としての「ヒト」は保護されるだろう。「退屈な生活」になるかもしれないけどね。
でも、退屈な生活にするかどうかはボクたち次第だろう。ヒトには優れた創造力がある、はすだ。
それを信じてがんばろう‼︎
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