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歩くリズムで、言葉を渡してくれます。  高田渡の「歌い言葉」

  Ⅰ. 生活の柄

 渡さんの「歌い言葉」は、いつも歩いています。
 言葉が、渡さんの身体を使って歩いているのです。
 ゆっくりと、だらだらと、歩いています。唄っています。

  歩き疲れては 夜空と陸との
  隙間にもぐり込んで
  草に埋もれては寝たのです
  所かまわず 寝たのです
     歩き疲れては 草に埋もれて 寝たのです
     歩き疲れ 寝たのですが 眠れないのです
       (作詩 山之口獏「生活の柄」1971)

 渡さんの代名詞ともなった「生活の柄」は、貧乏詩人として有名な山之口獏さんの言葉です。
 渡さんは、その言葉たちを淡々と歩かせます。
 貧乏を突き抜け、貧乏を眺め、貧乏を味わい、時には貧乏を笑う獏さんの言葉たちが、渡さんの声に乗って、川原道を歩いていきます。

  そんなぼくの 生活の柄が
  夏向きなのでしょうか
  寝たかと思うと 寝たかと思うと
  またも冷気に からかわれて
       (同上)

 獏さんの残した言葉たちから、渡さんは一枚のアルバムを作りました。
 古来からこうやって言葉は受け渡されてきたのだよと、渡さんが言ってるようです。彼は、口承の力を信じているのです。
 その舞台は河原からYou Tubeに移りましたが、今日も誰かが、獏さんの言葉を、渡さんの歩く速さで、唄っています。


  Ⅱ.私の青空

 基本的にはつらい毎日でも、歩いていれば楽しい日もやってきます。
 そんな日も、やっぱり唄うのです。川原道を、我が家目指して。

  夕暮れに あおぎ見る
  輝く 青空
  日が暮れて たどるは
  我が家の 細道
  狭いながらも 楽しい我が家
  愛の月影のさすところ
  恋しい家こそ
  私の青空
       (作詩 堀内敬三「私の青空」『ねこのねごと』1983より)

 いいことは一つもないのに、なんか笑えてくる時があります。
 どうやら人は、つらい顔ばかりもしていられないようです。
 「生きていれば、こんな夕焼けに出会うこともある」と書いたのは、永島慎二さんでした。
 渡さんの「歌い言葉」は、旅人くんの歩くリズムに似ています。


  Ⅲ.「さびしいと いま」 「風」

 それでもやっぱり生きていれば、さびしい日がまたやって来て、さびしい気持ちで歩きます。
 楽しさや嬉しさよりさびしさの方が身体に馴染むのは、どうしてなのでしょう。楽しいのも嬉しいのも素敵だけれど、なんか着慣れない服を着ているようで落ち着かない気がします。楽しさや嬉しさが長い時間続くと少し疲れてしまうし、そもそも、長く続く楽しさや嬉しさを経験したことがありません。それは、すぐに慣れてしまう。
 でも、さびしさに慣れることは、あまりないような気がします。

  さびしいと いま
  いったろう ひげだらけの
  その土塀にぴったり
  おしつけた その背の
  その すぐうしろで
  さびしいと いまいったろう
       (作詩 石原吉郎 「さびしいと いま」『渡』1993より)

  ほんとのことが 言えたらな
  目が見たことが 言えたらな
  思ったことを便りに書けたらな
  頭の上を吹く風よ

  仲間がいま 何をしているのか きかせてくれ
  彼はいま 何を見ているのか
  もうひとりの彼は何を考えているのか
  遠くの彼はだれと心を、通じているのか
       (作詩 朝倉勇 「風」『渡』1993より)

 不思議な感じがします。
 歩いていくと、さびしい気持ちが少し姿を変えるのです。さびしいって気持ちが、いとおしくて抱きしめたくなったりします。
 ぼくと土塀の間に何者かが姿を現したり、風が何かを伝えたりしてくるのです。誰でもない誰かが、ぼくと寂しさの間に生まれます。
 さびしいって気持ちも、そんなに悪いもんじゃないなって思えてきます。


  Ⅳ.ちょいと寄り道

 貧乏やさびしいって気持ちは、いつの間にぼくらの敵になったのでしょうか。本当に、貧乏はぼくらの敵なのでしょうか? さびしいって気持ちを、ぼくらは自分の中から排除しなくちゃいけないのでしょうか?

 「ネガティブ・シンキング」を排除しようとする前に、どうして「ネガティブ=悪」とするのかを、ちゃんと考えたいと思います。

 幼いころ、「いやな匂い」とか「くさい」という感覚が分かりませんでした。確かに匂いは感じるのですが、それを「いい匂い」とか「いやな匂い」と二分することができなかったのです。「匂い」はいつもさまざまで、独自のものでした。「いい匂い」と「いやな匂い」に二分することを覚えたのは、小学校高学年のころだったと思います。そんな言葉は知りませんでしたが、自分を少し堕落させた感じがしました。

 ぼくらは気持ちに名前をつけないといけないのですか?
 いい気持ちと悪い気持ちに、分けなければいけないのですか?


  Ⅴ.漣

  漣とぼくは いる
  ふたりで いる
  野原に 座っている
  空を 見上げている
  
  見えるものは みんなのものだよ
  うん と 漣は言う

  親のぼくも 頭が弱いが
  どうやら息子の漣も 似ているらしい

  見えないものは ぼくらのものだよ
  うん 

  腹減ったか
  腹減った
       (作詩 高田渡「漣」『FISHIN' ON SUNDAY』1976より )

 渡さんの「歌い言葉」は、座ることもあります。「秋の夜の会話」もそうでした。ここでは、散歩の途中で野原に座り込んでいます。
 一人息子の漣くんに、どうしても伝えたいことがあったのでしょう。

 「見えるものは みんなのものだよ」
 「見えないものは ぼくらのものだよ」

 漣くんは、渡さんと「見えないもの」を共有しました。漣くんは、今日もそれを誰かに伝えています。


  Ⅵ.渡さんの「歌い言葉」

 渡さんの「歌い言葉」は、足で歩く言葉です。
 ぼくらが生きる速さで、歩く速さで、語りかけてくれる言葉です。
 でも、残念なことに、ぼくらはもっと速く歩かなければならないと思い込んでしまいました。現代は、タイパが大事。本当でしょうか?
 いまでも(いまこそ?)、渡さんの「歌い言葉」のスピードが、その風景が沁みます。

 渡さんは、現代のすぐれた言葉を選び出す名手でもありました。
 魚河岸の目利きのように、渡さんは、日本語河岸の目利きでした。
 彼は自分が選んだ言葉に、歩くリズムを刻み、陽の光を与えて、星のまばたきを書き添え、風を吹かせ、雨を降らせ、雪を積もらせました。
 彼はそうやって言葉を再生させ、私たちに渡します。たくさんの人が、渡さんの「歌い言葉」を通して、多くの詩人の言葉を手渡されました。

 渡す人だったんですね、渡さん。

 渡さんの「歌い言葉」に身を任せていると、さびしさとか貧乏だとかいう言葉が意味を失って、どこか広いところに連れて行かれるようです。

 「見えないものは ぼくらのものだよ」

 泣きそうです、渡さん。



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