「雨=アジール」説
台風の先触れなのか、昨日は一日雨模様。雨の音が心地よく、「あーっ、ぼくは本当に雨が好き!!」と何度も思う。
半世紀近く前の話。小学校低学年だったぼくは、雨が降るのを心待ちにしていた。雨が降ったら、キャンプをするのだ。
玄関前には、砂利が敷いてある。雨が降りだすと、そこにゴザを敷いて、家にあるすべての傘を持ち出してテントを作った(どうしてあんなに傘があったのだろう?)。当然なかは傘の柄で串刺し状態だが、その隙間を狙って座ったり、横になったり。傘の布を伝う雨粒の流れを見て飽きることがなかった。
黄色い傘に当たる雨粒が集まって小さな池を作り、流れ出す。天気雨であれば、布越しの黄色い光も明るく、雨粒や流れが作る影を際立たせる。ぼくはきっと、ぽかんと口を開けて見ていただろう。
数年後、わが家に初めて自家用車がやってきた。中古のホンダN360。後部座席の床に穴が空いており、雨の日には足もとが濡れることもあった。当時よくあった大きな水たまりの上を走るときに、父はいつも「足を上げろぉ!」と叫んでいた。西部劇での保安官の台詞をもじっているつもりなのか、自分で言って笑ってた。
駐車場に停めてあるN360の運転席で、雨を見るのが好きだった。フロントグラスに少しずつ溜まっては、流れていく雨。激しい雨の時は、その音と流れる水の勢いがスペクタクルだ。いまも停めた車から見る雨が好きだ。
台所の小さな窓から見える夕立と落雷、フェス(当時はそんな言葉なかったけどね)で突然降り出す雨、春の広州の水墨画のような雨、バリのテラスから眺めるシャワー……。雨の思い出はきりがなく、どれもが唯一無二で美しい。
雨は、世界とぼくの間にやわらかな幕を作り、アジールを出現させる。ときおり現れるそのアジールのおかげで、ぼくはこの50年を何とか乗り切れたのかもしれない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?