豊作読書。感謝感激。古田徹也さん『謝罪論 謝るとは何をすることなのか』 デヴィッド・グレーバー『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の論理』 他
10月からフルタイムの仕事に戻り、ワタワタしている。先日は、風邪をひいての発熱中に気を失うという、初めての経験をした。救急隊員によると(お忙しいところ呼び立てて申し訳ない)、「気を失う」のは高齢になるとママあることなのですよ、と言われる。過労で倒れるタイミングが、少し早くなっている気がする。早め、早めに休もうと思う。
辻村深月の『スロウハイツの神様』を読む。以前、友人に勧められて読んだ『東京會舘と私』が悪くなかったので、本棚にあったこの本を手に取って読み始めた。つまらないのは、すぐにわかったのだが、最後まで読む。ぼくには、どんな本でも最後まで読まないと気がすまないという悪癖がある。途中で投げ出せばよかった。最近の小説には、人が描かれていないものが多い。キャラは立っているのだが、人とキャラは違う。でも、これが流行なのだろうなとも思う。アメリカ映画の人物の描かれ方と似ている気がした。
風邪気味を感じ始めたころに、古田徹也『謝罪論 謝るとは何をすることなのか』(柏書房 2023年)を読了。謝罪とは何か、謝罪には何が可能なのか、謝罪にまつわるあれこれ(責任、償い、人間関係の修復、許し、癒やし……)について、個人的、具体的な事象から定義を積み上げていく。
これが終盤に向けてやたらめったら面白い。かなり興奮して読んでいたので、何が書かれていたのかよく覚えていない(笑・熱も出始めてたし)。ぼくの頭の中では、本文とは別の事柄が一人歩きを始めていたのだ。
戦後世代の戦争責任に対する謝罪が可能であるのならば、私たちは喜んでそれを行いたい。同時に、世界中の国にもそれを行ってもらいたい。
また、他国を侵略しそこに住み占領した人々も、ちゃんとした謝罪を行うべきだろう。南北アメリカ大陸、オセアニアの国々がネイティブに対するどのような謝罪を行ったかについては詳しくないが、充分とは言えないだろう。
さらに、かつての植民地に対する謝罪も。日本の中国、韓国、台湾、東南アジアの国々に対する謝罪。ヨーロッパの国々は、アジア・アフリカの国々に対してどのような謝罪が可能なのか。
あれっ、もしかしたら戦争や植民だけではなく、経済行為についても謝罪は必要なのではないか? 「自分の財産は正当なものだと思う人は、家に帰って暗く静かな部屋で胸に手を当てて考えてほしい。自分も、父も、祖父も、その先祖たちも、財産を殖やすために何一つやましいことはしなかったか、と。」そのようなことを書いていたのは、宮本常一(農地改革を巡る一節だった気がする)だったと思う。
他者を騙して、財産を殖やしたみなさんは、この際、謝罪してもらいたいね。三井も三菱も、五大穀物メジャーのみなさんも、グーグルもアップルも。
脳内でそんな発言が飛び交う中、『謝罪論』を読了。なので、後半部は話半分でしか読めていない。古田徹也さんに申し訳ないので、近々再読を誓う。
予約していた『ブルーピリオド16』が届き、読む。ここまでのあらすじも記憶の彼方だったが、何となくつなぎ合わせて、ふむふむ。
「蝶矢先生は、なんで作家って仕事を選んだんですか?」
「んーっ、俺ぇ? 俺はねえ、自分が納得できる地獄を選んだだけだよ」
って、格好よすぎ。どっかで使えないかなぁ(笑)。
『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』(デヴィッド・グレーバー 岩波書店 2020)も、熱に浮かされつつ読了。後半は、感動の嵐というか、あまりに納得できるので、「読まなくてもいいんじゃね?」みたいな勢いで読んでいた。ノートを取りながらじっくり読みたい気もするし、「あーっ、この勢いに飲まれたままブイブイ言わせたい」という気もする。いや、本当に。普通に目に見えていることをそのまま書いているのに、衝撃。自分がいかに見えていなかったかに気がつく。
グレーバー沼に入ることにする。とりあえず『アナーキスト人類学への断章』をポチッとする。一度に買うと楽しみが減る気がするので、一冊ずつ買おう。『負債論』を最後にするか、『価値論』を最後にするかで、悩み中。
『演奏家が語る音楽の哲学』(大嶋義実 講談社選書メチエ 2022)も読了。これも面白い本だった。最近、耳が遠くなってきている。どうやら高音域が決定的に消えていってるようだ。若い頃に爆音で聞きすぎたのか、単なる老化現象か、どちらでもいいが、新しい音の世界が広がるといいな。
古田さんとグレーバーさん。どちらも年に一冊あたるかあたらないかの名著。嬉しい。
こんなことがあるから、本読みはやめられない。