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源一郎先生にやられた! 最近の読書事情

 最近は「歌い言葉」について書くのが楽しくて、読んだ本のことを書くのをすっかり忘れていた。

 いろんな本を読んでも、読む端から忘れていく自分にほとほと愛想が尽き、せめて記録だけは留めておこうと始めたnoteなのに、それさえできなくなっている。トホホ。

 気を取り直して、前回の続きから。

 山田吉彦『モロッコ』(昭和26年 岩波新書)を読む。昭和18年に発行した『モロッコ紀行』と同じ素材の焼き直しだが、山田の視点が大きく異なっている。『モロッコ紀行』では、植民地支配のノウハウをフランスに学ぶという姿勢が目立っていた。植民地、特に満州への統治方法の参考にしたいというフランス側の視点に同調していた。ところが『モロッコ』では、すっかり統治側の視点は排除され、数カ所だけだが統治される側からの発言となっている。フランスに統治されるモロッコ側の視点に立っているのだ。占領軍の統治方法を、統治される側の人間として見ている。

 フランスで、モースの優秀な弟子として将来を期待された新進の研究者であった山田だが、日本の学問の世界では誰も相手にしなかったのかもしれない。想像に過ぎないが、日本の閉じた学閥の世界では山田の求職活動は実らなかったのではないか。アメリカから帰国した鶴見俊輔が、京都大学に就職できたことを考えれば、山田の留学先がフランスだったことも災いしたのだろう。学問の中心は、二度の大戦で痛手を被らず産業(軍事産業)を爆発的に拡大させたアメリカに移ってしまったのだ。もちろん、経済的にも肉親のコネクションにおいても、山田は鶴見に遠く及ばないが、やはり二次大戦後の学問の勢力地図がヨーロッパからアメリカに移った影響が大きいのだろう。

 ちょっと暗い気分になったので、高橋源一郎『一億三千万人のための『歎異抄』』を読む。源一郎先生の本はちょくちょく読むのだが、当たり外れが大きい(あくまでも個人の感想です)。今回はハズレ。『歎異抄』は改めて、仏教の歴史をなぞりながら読みたい。未来の講読リストに載せる。

 続けて、東畑開人さんの『雨の日の心理学』を読む。『居るのはつらいよ』の一つ前の本から、東畑さんの本は出るたびに買って読んでいる。現代の日本で何が起こっているのか、何が必要とされているのか。彼は自分の立ち位置をよく理解して、そこからの発言をくり返している。人気のある心理臨床の専門家として、読者に対し、「市井のカウンセラーたれ」との発言をくり返しているのだ。どうすれば身近な他者の手助けができるのか、どうすれば自分の傷口がひどくならないのかを、さまざまな切り口から示してくれる。彼がもう一つ大きくジャンプアップするのか、それともこのままの立ち位置で、深く広く浸透していくのかは知らないが、これからも追いかけていくことになるだろう。

 続けて、高橋源一郎の『「読む」って、どんなこと?』『「書く」って、どんなこと?』(どちらもNHK出版)の2冊のムック本を読む。全く期待せずに読んだ(ごめんなさい)のだが、とても強いショックを受けた。あーっ、なんでこんな簡単なことを忘れていたんだろう。そんなこと、何度も何度も考えてきたじゃないかと、自分が大切なことを忘れて日常に埋没していたことを反省。何度も読み返す必要があるので、当分の間は枕元に常駐させることにする。ここに内容は書かない。でも、みなさんにきっと読んでもらいたい本。ぜひ読んでください。

 今は、源一郎ショックを引きずったまま、『負債と信用の人類学』(以文社 佐久間寛 編)を読んでいる。苦労して読み進めているが、全然理解できている実感がない。特にグレーバーの論文は、わからない。わかった気がするのは、負債論と同時に価値論を少しでも学んでおいた方がいいのだろうということ。若いころから、ずっと経済学には近づきたくないと思ってきたのだが……。

 そんなこんなの読書、である。相変わらず脈略のない本の並びだ。

 次は何を読むのだろう?



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