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東京都中央区 貨幣博物館

こんにちは。前回の憲政記念館から歩いて1時間。貨幣博物館につきました。日本銀行本店のとなり。反対となりは東洋経済新聞社でした。

さて、こちらの博物館のみどころは、「ヤップ島の巨大な石貨」、でもなく、「1億円の持ってみよう!」、でもなく、

なんと言っても1927年の金融恐慌時に発行された「裏白紙幣」です。
当時、銀行の経営が不安定になったことにより、預金者たちが不安を感じて窓口に殺到する銀行取付けが起こりました。この騒ぎを鎮めるため日本銀行は大量の紙幣を発行しましたが、夜を徹して印刷しなければならないほど時間が足りなかったため、裏面の印刷を省きました。こうしてできたのが「裏白紙幣」です。正式には乙二百円券と言うそうです。
展示室内撮影禁止のため、貨幣博物館の電子図録をご覧ください。

そしてこの施策を断行したのが、当時大蔵大臣であった高橋是清さんです。(↓ この方。愛称は「ダルマ」)

高橋さんは総理大臣を1回、大蔵大臣を7回(うち1回は総理大臣との兼任)も務めた方です。日本銀行の総裁や副総裁を務めたこともあり、日露戦争時に戦費調達のための外債募集を成功させたことでも有名です。
そんな高橋さん、金融危機のときに、「この危機に対処できるのはあなたしかいない。」と請われて、74歳で4回目の大蔵大臣になり金融恐慌に立ち向かいました。以下、2018/12/8の産経新聞より引用。
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4月20日に皇居で新任式を終えた高橋は、直ちに行動を開始する。全国の銀行に22~23日を一斉休業するよう要請し、その直後から3週間のモラトリアム(法令により銀行預金など全ての債務の支払いを一定期間猶予すること)を実施する緊急勅令案を上奏、裁可された。平日のモラトリアムは経済活動に与える影響が大きく、世界的にもほとんど類例がないが、高橋は断行した。また、取り付け騒ぎで各銀行保有の紙幣が枯渇し、日銀による印刷も間に合わないと知るや、片面白紙の200円札を大量に刷らせた。それを各銀行の店頭に山と積み、預金者を安心させようというのである。こうした非常措置により、パニック状態は瞬く間に沈静化した。ダルマの高橋は、転んだ金融市場を見事に起き上がらせたのである。
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もちろん気合だけでやったわけじゃないです。日銀総裁も務めたほど経済に明るかった。危機のときに冷静かつ強い力で問題を解決する方。ほんとかっこいい!!!!そして最期が悲しい。。。二・二六事件です。軍事費の増加を求める軍部と対立し、赤坂表町三丁目の私邸で陸軍青年将校に6発の銃弾を撃たれ暗殺されました。享年83。
話を貨幣博物館の展示に戻しますと、高橋是清さんはお札の肖像になった唯一の日本銀行総裁だそうです。(↓ こちら。日本銀行のHPより)

「裏白紙幣」にまつわる話ばかりになってしまいましたが、貨幣博物館ではそのほかにもいろいろ学べます。古代・中世・近世と続きますが、やはり私の興味は近現代です。次のようなことが印象に残りました。詳しくは先ほどの電子図録をご覧ください。

◇開国時の不平等条約により日本の金が国外に流出したからくり。
◇「国立銀行」と呼ばれた民間銀行の果たした役割。
 (例として、第二国立銀行が群馬や長野で生糸を生産して横浜経由で輸出した商人に対して、生糸の仕入れ代金を融資したことが挙げられます。こちらの解説は展示室にはあったのですが図録になかったので補足でした。)
◇西南戦争後のインフレと松方財政、そして日本銀行の誕生。

それから、日本が朝鮮や満州を植民地としていた時代に発行された紙幣が、「外地発行紙幣」と題して何も解説のないまま展示されていたことが気になりました。韓国併合の正当性をアピールするために日本の神話上の人物が描かれたことなどは、紙幣がもった役割として貨幣博物館での解説があってもいいのかなと思いました。

貨幣博物館、とても勉強になりました!ありがとうございました!(おわり)

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