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山梨県中巨摩郡昭和町 昭和町風土伝承館 杉浦醫院

こんにちは。今日は甲府にきました。甲府駅前には、武田信玄さんがでーーーんと座ってにらみをきかせていました!

甲府駅からバスで20分、そこから徒歩で15分、目的地の昭和町風土伝承館 杉浦醫院に到着です。

御覧のとおり町のお医者さんです。昭和52年まで診療に使われていて、当時のままの状態で今は伝承館として開館しています。
さて、ここは「地方病」の治療をおこなうお医者さんとして有名でした。「地方病」????まず概要です。
地方病は山梨県甲府盆地底部一帯で発生した寄生虫による感染症です。戦国時代にはすでに患者がいたとされ、以降1996年に地方病流行終息宣言が出されまでの約400年間、住民の方々に多大な被害を与えました。正式には「日本住血吸虫症」といい、次の過程を経て発症します。
卵から孵した日本住血吸虫(生まれたばかりの幼虫はミラシジウムと呼ばれます)は、生まれてから48時間以内にミヤイリガイという淡水に生息する巻貝に寄生することで成長し始めます。成長した幼虫(セルカリアと呼ばれます)は、ミヤイリガイを抜け出し、今度は水中から人の皮膚を突き破り、人の体内に寄生します。人の体内で成虫へと成長した吸虫は、肝臓の門脈内部に巣食い、血管内部に生殖産卵を行うことで人の体を傷つけていきます。寄生された人は重症化すると肝硬変による黄疸や腹水を発症し、最終的に死に至る恐ろしい感染症です。
イメージできましたでしょうか?こんなの(↓写真)が水田で農作業している人や川遊びしている子供の皮膚から侵入して、

体内でこんな成虫(↓写真)になって(オスとメスが合体している)、

肝臓を傷つけることで人々を死にいたらしめます。(下の絵は、腹水がたまってお腹が膨れ上がっているところを描いています。)

戦国時代に確認されてから長いあいだ原因不明の病気とされていました。原因が日本住血吸虫であること、人に寄生する前にミヤイリガイに寄生すること、皮膚から人に寄生すること、このすべてがわかったのが1913年でした。その後、この感染症に効くスチブナールという薬ができたのが1923年です。副作用が強いため20回に分けて注射を打つのですが、注射後の倦怠感がとてもひどく、次の日の来院は家族がリヤカーに乗せて運んだケースもあったくらいでした。

さて杉浦醫院です。当時スチブナールはとても高価であったために、薬をあきらめていた人もいました。そんな中、なんと杉浦醫院は無料で薬を提供したんです!!。そりゃ有名になるはずです。1日200名以上の患者さんが注射を打つために来院していました。(↓当時の番号札がそのまま残されています。)

伝承館として開館した最初のころは、当時の患者さんが来館され、当時の苦しかった状況を思い出す、ということも多かったそうです。ほんと悲しい記憶ですね。

ただ、薬で病気を治すことができても、日本住血吸虫を撲滅しない限り地方病はなくなりません。大事なことは、住民の方々が一丸となって地道な駆除活動や啓もう活動をおこなったことで、地方病に勝ったということです。館の職員の方は、「地方病について話すことは風評被害をおこしてしまうかもしれない難しい事柄ですが、この戦いに勝ったからこそ今の山梨があるということを伝えたい、という思いで伝承館をやっている。」という主旨のことをおっしゃっていました。

右の写真は子供に地方病を知ってもらうために書かれた本です。当時は高価だったカラー刷りで印刷されました。左はミヤイリガイ(写真は死骸です)。この貝を駆除すれば地方病を撲滅できるということで、住民の方々が箸でこの貝をひとつひとつ駆除する作業をおこないました。体長7mmほどのほんとに小さな貝です。米粒一つ一つを集めるような気の遠くなる作業をおこなっていたのです。
また、学校にいち早くプールを作って子供が川で遊ばないようにしたり、用水路を直線のコンクリート作りにしてミヤイリガイが生息できない急流にしたりしました(↓こんなのが醫院のとなりにありました)。

地方病について少しは伝わりましたでしょうか?400年にわたる戦いには今回書ききれていない、もーーーっとたくさんのドラマがあります。地方病についてはぜひ一度Wikipediaをご覧ください。内容が素晴らしいためWikipedia三大文学のひとつとされています。Wikipediaを読んで地方病のことを知り、興味をもって杉浦醫院を訪れる方が多いそうです。
伝える、ということの大切さを強く感じた貴重な時間でした。ありがとうございました!(おわり)









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