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沖縄県那覇市 不屈館

沖縄の人々の平和実現のために命がけで戦った瀬長亀次郎さん(1907年~2001年)の功績を後世に伝えるために設立された資料館です。
瀬長さんは、沖縄が米軍に統治されていた時代(1945年8月~1972年5月)に、法律に則った方法でアメリカに反論し、さらに心に響く演説をおこなうことで那覇市民から絶大なる信頼を得ていました。これに対してアメリカは瀬長さんが統治をする上でやっかいな存在であったために、逮捕投獄をおこなう、瀬長さんが活動できないように法律を変えるなど、権力でつぶそうとしました。しかし瀬長さんは負けることなく最後まで沖縄のために戦い続けました。↓こんな人

瀬長さんが初めて米軍に目をつけられたのが、1952年 琉球政府創立式典での宣誓拒否です。第1回立法院議員選挙で当選した瀬長さんは、式典へ参加します。ただ市民に選ばれて議員になったので市民に対しては宣誓するが、米軍に対しては宣誓する必要がないとして一人だけ起立しませんでした。
↓これ

米軍統治下でこれをするという精神、かっこよすぎます。しかもこれは感情的におこなったのではなく、ハーグ陸戦条約 第45条において「占領地の人民は、敵国に強制的に忠誠の誓いを為さしめられることはない。」と記されていることを根拠におこなっているのがさらにかっこいいです。
これに対して、アメリカが瀬長さんにおこなったことは以下のようなひどいものでした。
・演説会を妨害するために、最前列にアンモニアをまく。
・演説会に行った市民を探しだし、米軍の仕事していた場合は解雇する。
・でっちあげの事件を起こし、2年間瀬長さんを投獄する。
・瀬長さんが市長に当選したあと、那覇市への水道供給を止める。
・市長をやめさせるために、これまで罷免には2/3以上の投票が必要だったのを1/2に変更する。
・瀬長さんの被選挙権をはく奪する。
このような困難に負けず、瀬長さんは1970年沖縄で行われた戦後初の国政選挙で衆議院議員に当選し、1990年に勇退するまで沖縄のために尽力しました。
沖縄は他の日本の地域と異なり1972年まで米軍の統治下にあったこと、そしてその間に県民の方々が非常につらい思いをしたことを不屈館で知ることができました。

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