#2 ひな祭りを調べてみたぞ!
昨日はひな祭り。
ウチには三姉妹がいるので、奥さんの実家にてお祝いをしました。
お祝いを始める前に、
コロナの影響でひまを持て余した三姉妹に、
奥さんからミッションが。
『ケーキを作ってみよう。』
三姉妹と末っ子長男で役割分担し、制作開始。
見事キレイなケーキが出来上がりました。
真上からの写真のみですが、
それぞれアイデアを出し合い、
ひな祭りらしいカワイイ彩りと盛り付けです。
味も申し分なく、成長を感じた瞬間でした。
と、余韻に浸っていると長女から
『ひな祭りってさ、なんで今日なの?』
・・・・・、なんで?。
考えたことないよ。だって男の子だもん❤️
『ゾロ目の日だから縁起がいいからだよ💦。』
と、苦し紛れの返事が精いっぱいでした。
当然、白い目で見られるわけですよ。
ここで『もの知り父ちゃん』としてのプライドに火が点きましたよ。
そこで『ひな祭り』について、調べてみました〜。
起源は約1000年前の平安時代中期
平安時代中期の三月初めの巳の日に『上巳の節句(じょうしのせっく)』という、無病息災を願う祓いの行事が起源とありました。
陰陽師が神に祈り、季節の食物のお供えと共に人形(ひとがた)に災厄を託して、海や川に流したそうです。
(今も伝わる流し雛の様子です。)
平安時代中期とは、清少納言や紫式部がデビューし始めた頃です。
で、当時の上流階級の少女たちの間で流行っていたのが、『ひいな遊び』と呼ばれる、今でいうままごと。
ひいなとはお人形のことで、『枕草子』、紫式部の『源氏物語』の中でも語られてたようです。
長い年月をかけて、行事と遊びが合わさって、現在のようなひな祭りになったようです。
三月三日に定められたのは600年前の室町時代
600年前の室町幕府ってご存知ですか?
室町幕府6代将軍 足利義教が統治していた時代で、
秀吉よりも先に天下統一を果たした人物。
恐怖政治を敷いたことで有名な将軍だったようです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%88%A9%E7%BE%A9%E6%95%99
戦国時代しか知らない自分にとって、室町時代にちょっと興味が湧きました❤️
江戸時代に入り現在のかたちに
江戸幕府3代将軍 徳川家光の頃に京都御所(1629年)で現在のようなひな祭りが開催され、上流階級→町民、大都市→地方へと広がっていきました。
江戸時代中期には、女性ばかりではなく、女の赤ちゃんを祝う初節句とし、ひな人形や道具も増え派手になり、幕府は華美なひな人形を禁じるお触れも出すほどに。
経済が発展してきた頃なので、金・銀・銅もふんだんに使われていそうですね!
九月九日『後の雛(のちのひな)』
一年に節句は五日あります。
一月七日 七草の節句
三月三日 桃の節句・ひな祭り
五月五日 端午の節句・菖蒲の節句・子供の日
七月七日 七夕
九月九日 重陽の節句・菊の節句
最後の節句にあたる九月九日に、
ひな人形を飾る『後の雛(のちのひな)』という日があったようです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E3%81%AE%E9%9B%9B
いや〜、初めて聞きましたよ。そのような文化があったなんて。
なんせ僕にとって九月九日は、僕の誕生日以外知らなかったですからねw
あとは、SMAPのデビュー記念日ねw
なぜこの日かというと、
桃の節句→子供
菊の節句→大人として、長寿の長いを込めたそうです。
そして暮らしの知恵として、ひな人形を桃の節句から半年後に出して虫干することで、人形の痛みを防ぐ目的もあったようです。
こういうところに、僕は日本人の聡明さを感じます。
まとめ
今回長女に質問されなかったら、知ることも無かったひな祭りの起源。
お内裏様とお雛様が、天皇と皇后ということすら知らなかったですからね💦
文化を知るということは、歴史を知るということ。
その逆もまた然り。
自分の知見を深めてくれる、子どもたちに感謝です。
最後まで読んでくれて、ありがとうございました。
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